往復書簡 限界から始まる

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  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344038158

作品紹介・あらすじ

「上野さんは、なぜ男に絶望せずにいられるのですか?」
女の新しい道を作った稀代のフェミニストと、その道で女の自由を満喫した気鋭の作家が限界まできた男と女の構造を率直に、真摯に、大胆に、解体する。

「しょせん男なんて」と言う気は、わたしにはありません。――上野
・女の身体は資本か? 負債か?
・娘を幸せにするのは知的な母か? 愚かな母か?
・愛とセックスの分離から得たもの、失ったもの
・家族だけが磐石だという価値観は誰に植え付けられたのか?
・人間から卑劣さ、差別心をなくすことはできるのか?
「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」「結婚」「承認欲求」「能力」「仕事」「自立」「連帯」「フェミニズム」「自由」「男」――崖っぷちの現実から、希望を見出す、手加減なしの言葉の応酬!

感想・レビュー・書評

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  • 高学歴スーパーお嬢様で夜の仕事やAV女優を経験された鈴木涼美さんは、私にとって最も関心のある作家で、いままでにエッセイを2冊読みました。

    今回は上野千鶴子さんとの往復書簡ということで、
    終わりの方はちょっと難しくて退屈だったけど
    ほとんど滅茶苦茶面白い内容でした。

    私は佐藤優さんや出口治明さんから「小説読んだ方が良い」と言われ、「何かの役に立つかな」と思って読んでいるのですが、この本を読みながら、やっぱり小説はノンフィクションにかなわないと思いました。
    そしたら上野千鶴子さんがこうおっしゃっていたのです。

    〈どんなひとも一生に一度は傑作を書くと言われますが、職業的な書き手は、一度ではなく、何度も継続して書き続ける必要があります。そうして一生に一度のベストセラーではなく、イチローのように毎シーズン打率3割の安定したバッターであり続ける必要があります。
    こういうときほど、自分が社会学者であってよかった、と思うことはありません。その裏側にあるのは、作家でなくてよかった、という感慨ですが、もちろん自分に作家になるほどの才能があったとは思いませんが、作家は自分を実験場にして切り刻むような仕事、それにくらべれば社会学者は他人の集合である社会を実験場にします。自分の足元をいくら掘っても退屈なだけ、だから他人という戦場に赴くのだ、と思ってきました。そして他人という存在は無尽蔵ですから、社会学者の仕事にはタネが尽きるということがありません。わたしは想像力は身の丈を超えない、現実のほうがはるかに想像力を超える…と思っている人間なので、フィクションに対する要求基準がきわめて高く、小説をおもしろいと思ったことがめったにありません。つまらない小説を読むと、「時間を返せ!」と言いたくなりますし、反対にどんなつたない論文やノンフィクションでも、知らない事実を知ったときの喜びのほうがまさります。〉

    最近小説を読んでなんかモヤモヤしていたのは、こういうことだったんだと思いました。
    「知らない事実を知ったときの喜び」
    私はそんな読書が好きなんだって。
    上野さんから、佐藤さん出口さんとちがう意見をもらって、すごく嬉しかったです。

  • 上野千鶴子と鈴木涼美。この二人が往復書簡を通して一体何を話すというのだろうと、想像するだけで息が詰まる、でも絶対にとんでもない一冊に仕上がっているだろうと約束してくれる凄い組み合わせだ。
    エロス資本、母と娘、自立、フェミニズム、男、などなど。12個のテーマに一応は分けられているが、話題は連続しており一貫している。
    豪速球が飛び交うかのような丁丁発止の議論に、一瞬でも目を離したらすぐに球を見失ってしまいそうで、ついていくのに必死だった。
    ちなみに付箋をべたべた貼りながら読み進めている私をみて夫はぎょっとしていました。
    発見の多いとても実りある読書だった。私ものこのぐらい言葉を駆使してこれらのテーマについて表現できる女性になりたい。

  • これは本当に得難い読書体験だった。
    読み終えたところだが、もう一度最初から読み直したいくらい(笑)覚えておきたいことがたくさんすぎ。

    上野千鶴子の誠実さ!
    「情報生産者になる」「情報生産者になってみた」を最近読んだので、上野千鶴子の後輩たちへの深い愛を三冊続けて感じた。
    次の世代に自分の持てるもの全てを渡したいという意志。ここまで正直に全部をもってけ!という上野さんに一体何があったのか。

    以下、付箋をした部分
    少しだけ感想を添えて

    被害者と呼ばれたくない、「弱者」であることが我慢できないという気持ちをウィークネス・フォビアと呼び、エリート女性がしばしば陥りがちなメンタリティ。「慰安婦」を嫌う右翼の女性にもある。p30

    (私にもある)

    「リベラリズムの自己責任論が前提としていることは、個人が完全情報下で自由に自己決定できる主体だという『神話』です。」p319

    (本当にそう。自己責任論蔓延してしまった)

    ネオリベラリズムのシニスムは何もうみ出さないp31

    女は「道にはずれた」性によって「人格を穢す」のに
    男は性によって人格に影響を受けないp75

    「はした金のためにパンツを脱ぐな。好きでもない男の前で股を拡げるな、男にちやほやされて、人前でハダカになるな。人前でハダカになったくらいで人生が変わると、カン違いするな。男の評価を求めて、人前でセックスするな。手前勝手な男の欲望の対象になったことに舞い上がるな。男が与える承認に依存して生きるな。男の鈍感さに笑顔で応えるな。じぶんの感情にフタをすらな。そして…じぶんをこれ以上おとしめるな。」p138

    (上野さんはやさしい)

    自分の人生にどれだけ「女」を混ぜ込むのか、というのは学生時代の正直な悩みでしょう。p181

    歳をとってからできた女友だちがたくさんいる。若い時に出会っていたら、友だちにはならなかっただろう人もいるp237
    友人とはお友だちだけど、友人の夫とお友だちになりたいわけじゃないp239

    (そこを弁えている男はいいね)

    河合隼雄や宮台真司が援交する女子高生に「魂が傷つく」「魂は傷つかない」と論争したことに対して、「どっちもどっち、男たちが当事者の代弁をして代理戦争をするのはやめてくれ」p270

    これに関しては、鈴木涼美も
    「ブルセラ時代からキャバクラやAVの世界にいた頃、私たちは私たちの与り知らないところで、多くの男性論客(女性もいますが)に勝手に代弁される対象でした」「なぜか私たちの側に立って庇っているつもりなのかわかっているつもりなのか知らないけど熱弁を振うおじさんたちの頭を後ろから撃ち抜きたいという思い」があったという。p226

    (痛快)

    巨人の肩に乗ると大きな視界が開けるp273

    「わたしは社会変革とは、ホンネの変化ではなく、タテマエの変化だと考えています」p291

    表現の自由を守りたいが、「わたしがある表現を不快に感じることを妨げません。」「わたしが反対するのは法的な規制や政治介入など、公権力による抑圧です」p296

    「構造と主体」の隘路をどう駆け抜けるかp314

    「どうして性暴力の問題を解決しなければならないのが、被害者側である女性なの、わたしには理解できません。男の問題は男たちが解くべきではないのか、なぜ女性からの信頼を失墜させる痴漢男性に男たちは怒らないのか、なぜ痴漢撲滅の運動を男性たちは起こさないのか、それどころか女性からの告発を不当な訴え扱いして[痴漢冤罪』説ばかり主張するのか、セクハラ男に最初に怒ってよいのはセクハラしない男たちなのに、なぜ彼らは怒る代わりにかえってセクハラ男をかばおうとするのか、風俗を利用する男たちはなぜそれを恥だと思わないのか」p321


    往復書簡なのに付箋は上野千鶴子のところばかり。
    その覚悟、魅力的でした。

  • 上野さんの本は何冊が読んでましたが鈴木さん、以前から気になる人でしたが今年芥川賞候補になられてますます興味が湧いて小説ではなくまず人となり?を知りたくこちらを手に取り。

    最初から飛ばしてるというか、途中で上野さんもおっしゃっておりますが、本書を男の人はどう読むのか、とらえるのか、そもそも読む人いるのか大変気になりました。
    ところどころにぐっと掴まれる言葉があり上野さんの「両親を失ったとき、わたしはわたしがただ存在するだけで喜んでくれるひとたちを決定的に失った」という言葉にはハッとしました。染みすぎて泣きそうになりました。
    7章の上野さんのセキララ感に圧倒されました。著作をそれなりに読んてきたつもりだったけど思ってたより全然読んでなかったなと気づきました。
    「社会変革とはホンネの変化ではなく、タテマエの変化」という言葉も膝を叩くような見解です。

    11章、12章で鈴木さんがSNSで抗議を受けた際に、どういう意図でそれを表現したのかという釈明なしに謝罪、削除という流れができてしまっていることに懸念を表しています。
    私も最近のその傾向にもやもやしていました。
    批判されたにせよ、表明した側にはそれを表明したい意図があったわけで、全くそういうものを説明なしに批判されたからといきなり「ああそうですか」と消すのはそれを批判を持たずに目に止めた人に対してある意味失礼な行為ではないかとも思うことがありました。
    鈴木さんはそれなら最初から載せなきゃいいのに、そして製作者の意図がわからぬまま削除されてしまうことは気持ちが悪いと言うようなこともおっしゃっておりとても共感しました。
    その点でマスコミに腹を立てているとも言っており元新聞記者を感じさせられました。

    確かにSNSを見ていると議論ではなく罵倒が多すぎると感じることが増えました。
    特に何かについて意見をもとめる、というサイトではほぼ罵倒しかない、というのもありがちです。
    例えば低賃金是正について協賛を求めるサイトで、「世の中にはあなたよりもっと貧しく辛い思いをしている人がいる」とか「そんなに文句言うなら自分で起業したら?(会社作ったら?)」なんて発言を見たら、(そういうことをそこで言ってるのではないのです。その発言がなんの解決も導かないことを考えればわかるはずなんですが)この人たちは主催者を叩きたいだけで提起された問題について議論をする気はないんだなと思えます。鈴木さんの言う「元気なのは匿名の罵倒」。本当に深く頷きます。
    11章12章はとても考えさせられました。

    12章の中で上野さんが、自分が子供をもたなかった理由について語っています。先日読んだ「母親になって後悔してる(オルナ•ドーナト)」を思い出しました。
    タイトルついて様々な案が出たこともあとがきに触れられていますが絶妙のタイトルと思います。
    最初の書簡で上野さんが自分を先生と呼ぶ鈴木さんに対して「先生はやめて。私はあなたの先生であったことは一度もないのだから」と言ってます。私も年上で知り合いの教職の人を「先生」と呼んでいたら「あなたの先生だったことはないんだから普通に呼んで」と言われたことを思い出しました。先生である人、だった人たちは職を退いても先生って呼ばれるのが好きなのかなーなどと思ってましたが、そんなことはないのだなと認識改めました。
    教え子や弟子でないなら先生って呼ばない方がいい人もいるんですね。

  • フェミニストの上野千鶴子と元AV女優の鈴木涼美の往復書簡。建前では気を遣いながら、決して予定調和にならず、確実に論点を捉え、深掘りしていく様子は知的バトルのようでスリリングだ。やや、言辞や語彙を弄したマウント合戦のような雰囲気も垣間見えるが、ある種それこそが、こうしたジェンダー論に内在する承認欲求の発露であり、それを性差に期待する所から、その善悪が議論され始める一面もあるのだろう。自己承認や自己防衛のために、自らのエロス資本の活用を自己決定する事は、悪なのか。

    結婚前に処女では無くなる事をネガティブに捉える時代はとうの昔の事だ。生殖や出産による対等性が確保され、いずれ女性の負担が社会制度やテクノロジーにより低減すれば、性愛はよりライトになる。多様性を立脚点にするなら、性別や世代を代表して語る事にも限界があるだろうし、ブルセラにしても元AV女優にしても、欲望を発現する方やそれを回収する方も愚かだと自他に決めつける必要は無いのだろう。社会的なコンセンサスとして、好ましく無いものと決め付けているだけ。

    性差を原動力に、異性を利用し、相互に理解不能な行動を取るのが異性生殖生物の本質のはずだ。それを分かった上で、変態性を発揮するオスや、それを利用するメスの行為には社会コンセンサスからの逸脱という色眼鏡に晒されている。片方は犯罪者や変質者のレッテルを、片方は娼妓売女のレッテルを。社会的に許容範囲とされるコンプライアンスOKな性取引なんてあるはずが無い。性行為そのものが公開されぬ限り、いつだって当事者二人の了解事項に従う。例外は、片方の了解無き場合や性行為の公開について。従い法的保護やAV新法を巡る議論があるという事だ。

    この事を鈴木涼美が鋭く、分かりやすく表現していて流石だなと思った。恋愛とは、少女漫画で恋を学んだ女と、AVで性を学んだ男が、同じ部屋を別の文脈で共有し、互いの文脈に引き込もうとする行為。上野千鶴子はそれを同床異夢と表現した。分かっているなら、理解不能な片方の性を軽蔑するのはやめた方が良い。ブルセラおじさんに愛をとは、まだまだ未熟な私も思えないが…。いや、やはり軽蔑し回避する状態が自然状態か。コンセンサス以前に、単に気持ち悪いな。

  • 上野千鶴子さん鈴木涼美さんが往復書簡を終えてはじめて語り合うイベント開催|往復書簡 限界から始まる|上野千鶴子/鈴木涼美 - 幻冬舎plus
    https://www.gentosha.jp/article/18998/

    上野千鶴子/鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』 - 幻冬舎plus
    https://www.gentosha.jp/store/ebook/detail/10820

  • 自分の知識が乏しいために特に上野先生のターンでその知識と経験の風圧にたじろぎそうになることもあったが、書簡という形式をとって効果なのか個人的な経験に紐付けやすい箇所も多く読み進めるのが楽しかった。
    おそらく書かれていることの半分も理解できていないきがするので、もう一度読んでみたい本。
    上野先生のいう「対」の意味や考え方をもう少し聞いてみたいと思った。

  • 例えば、家庭では両親の母国語(例えば英語)を話すことを強いられて育ったとする。そのことが嫌で仕方なかったとしても、そのおかげで、英語と日本語が話せるスキルが身に付き、社会で生きていくサバイバルスキルになっていた――なんて話はありそうだ。
    この本の共著者の鈴木涼美さんの母親は、彼女に常に「言語化」を求めていたらしく、鈴木さんはそれが嫌で仕方なかったと書いている。ただ、そこで鍛えられた「言語化」する力が、現在鈴木さんが物書きである土台になっていることは確かだし、そのことは本書で上野千鶴子さんも指摘している。
    自分では選ぶことのできない母親との関係だけに、鈴木さんを羨ましく思った。なぜなら、他人(親子も含む)と生きていくときに必要なのは「言語」であり、特に、相手と分かち合いたい、相手との困難を乗り越えなければならない、あるいは物書きとして不特定多数の人に伝えたいことがあるならば、「言語化」する力は必須だろうし、この力は、短期的に身に着けられるものではないと私は思うからだ。
    特に、言葉を与えられていないものごとを「言葉」にしていくことにこそ、物書きの存在意義があると私は思うし、そういう文章に出会ったときに、はっとさせられる体験こそが、読書の醍醐味であったりする。
    上野千鶴子さんの無駄のないシャープな文章には、社会を対象として研究されてきたことから見えてくる「可視化されていない」ものごとへのクリティカルな視点が溢れている。
    とてもよい本だった。付箋をたくさんはって読了しました。

  • 往復書簡ですが,売文家が上野千鶴子に個別指導受けてると考えれば,とても贅沢な企画。鈴木涼美は受講料払ってもいいくらいw
    鈴木世代つまりブルセラ世代以降の「おじさん」不信は,実体験に基づいているだけ深刻ですね。先日,ある女性同業者に,離婚事案で女性相談者が女性弁護士を希望するというのは,別に女性だから分かってくれるとかではなくて,ただ単に「おじさん」弁護士が嫌だから女性に行き着くのである。若いイケメン弁護士でも別に良いのだと思う,と言われたことを思い出した。
    小説は村上龍に言わせれば死刑囚でもできる仕事で,上野千鶴子的には,この人も小説しか書くことがなくなったか,と思うとか。そして,鈴木に対して,あなたも編集者から小説を書くことを求められているのでは?と突っ込む訳だが,その警告を無視して小説を書いてしまいましたね。それでもいきなり芥川賞候補なのだから,上野千鶴子の老婆心だったか?
    自分の経験を突き詰めて言語化するという営みは,極めて女性的だなぁと思った(こう言うこと自体上野千鶴子に怒られそうだけど)。やっていることは,ある意味では勝間和代も同じなのだが,アウトプットの方向性が違うだけで。
    多くの一般人は,語るべきことを持たないのに,過剰に語ること=コンテンツを生産することを求めるプラットフォームに投げ込まれていることで,質の悪いアウトプットが量産され,炎上が起こる,というのは誰の分析だったか忘れてしまったが,個人的経験を内省によって言語化することで,だれしもコンテンツを作り上げられるのかもしれない。それが商業的な成功に繋がるかはまた別として。

  • 近年、男の愚かさを論じる本が増えてきている。異性からはもちろんのこと同性からも反省を込めた形で出版されている。時代の流れと言ってしまえば軽いかもしれないが、日本人に刷り込まれている男尊女卑の思想はおそらくしつこい油汚れのようにこびりついていると思う。その汚れを放っておかずに少しずつでも落としていこうとする動きは、僕としては歓迎している。価値観のアップデートは常に必要だ。特に昭和のオジサンの価値観は時に酷く醜いからだ。
    本書の執筆者の一人である鈴木涼美はAV女優含め「夜職」に従事していた過去があり、その労働の対価に「男達の信頼を風前の灯火」にまで陥らせてしまう。「男達の信頼」は本書の一つの重要なキーワードでもあると感じる。母と娘ほどに年齢の離れた二人のやり取りは、男の無様さを見事に抉り出していて、またそこに二人の自分語りが塗され更に立体的になる。もう一つ、上野千鶴子の指摘を受け止め鈴木の思考が成長していく様も清々しくて良い。実にスリリングで充実した読書体験であった。垣根無しに面白い。
    それにしても、何の躊躇いもなくフーゾクに行けてしまう男の心理を僕は全く理解できないのだが、そういう何の躊躇いもなく行けてしまう男達にこそこういう本は読まれるべきだと思う。まあ、読むわけないよな。所詮男なんてそんなもん、か。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

上野千鶴子の作品

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