君たちはどう生きるかの哲学 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
3.38
  • (3)
  • (2)
  • (6)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 51
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344984998

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 本の印象。タイトルが熱を帯びた投げかけのように感じるのに、文章は淡々とした語り口が続いていく。
    だから、ジーンとした心に刺さるものを得るには、読者の側の姿勢に委ねられる。
    上原氏もこの本の中で書いていたが、それは鶴見俊輔氏の文章術を引き継いだもの。“なるべく形容詞や副詞は避ける。「美しい」とか「とても」とかは使わない。基本的には名詞と動詞だけで良い”というものが貫かれているからなのだろう。

    コペル君が、友達と約束したのに、上級生の理不尽に抗議する友達の雄姿に加われず。そのことを分析した箇所が気に入ったので一部引用します。

    〜〜火のそばに手を持っていけば熱いから手を引っ込める。赤ん坊にはそのようにして火の恐さを教えている。それが人間の思想の根本だと私は思う。そういう反射が思想の最も重要なもとになるという気がする。だからリンチが生じるような状況がきても、リンチを避けるような、リンチにくみしないような反射が自分の中にある人たちが大勢いれば、それは食い止めることがあるできる。これは日常的な付き合いの問題であるし、生活の中で自分が自分で育てる感覚の問題なんです。それは思想をどう見るかということとかかわっている。〜〜

    【コペル君が何故行動に移せなかったのかの答え】
    トゲトゲしい空気の中で行動を起こせる「反射」がコペル君の体の中になかったから。コペル君は自分の意思に反して行動を起こせなかったのだ。

    ここからは、この本が引き連れてきた記憶と妄言を書くことにする。
    必ずしも、この鶴見俊輔氏の考えには納得したわけではないけれど、こうやって、その原因をつきつめていこうとする姿勢に共感した。そして、自分が若い頃思い悩んだことを思い出した。


    それは、『自分は自分より上位職にある者、弁がたつ者の意見にすぐに靡いてしまう』ことへの自己分析だった。
    決して自分の意見がないわけではない。だが、意見を闘わせること、人によってはそれによって不機嫌になる人がいてその表情や振舞いを勝手に想像して、“ことを荒だてたくない”とひ弱な自分の姿が他者の意見をまるごと飲み込んでしまっていたのだ。
    そうやっているだけなら、“そのひ弱な自分がそこにあるだけだから一人間の問題”だし、それを引っさげた人間の佇まいや振舞い、言動は虚勢では覆い尽くせず周囲の人間の信頼を獲得することはできない。というだけでこれも本人の問題で済ませられる。
    でも、許せなかったのが、自分が必死に努力して自分の存在を高めようと努力し、エネルギーを注いでいる日々のもがきが、このことで『無意味に感じられた』瞬間があった。様々な、苦労や経験に耐え忍んでいるのは、「自分が自分として存在するため」なのではないのかと思えてきたし、それはこの世の中にある“正義”という言葉に影響を及ぼすようにおもえてきたのだ。
    それから、条件反射的な同意(自分の意見を引っ込める)はしなくなった。自分の意見の裏付けを持てないときは、相手には時間をもらってでも、それを整理して伝えるようにしてきた。

    【世の中をうまく生きる】≦【自分を生きる】ことに価値を見出した瞬間であった。
    今でも、その指針をもって世の中を生きている。しかしそのことによる葛藤が障害物のように立ち塞がることだらけでもある。
    そして、そんなとき呟いている。
    「あぁこれが、みんなが口にする“現実”っとやつの正体だな」って。

    いつの日か、“世の中”と“現実”の関係を図に示して孫に見せてやらねば。



    鶴見俊輔の書は読んだことがないので、読んでみようと思うが、この世代の人は、書物をとおして多くを知ることになるので、生きる姿勢と言動が一直線上にあるのを強く感じた。

  • ● 1937年(昭和12年)に完結。満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争に突入する時期。
    ●岩波新書を提案し創刊したのが吉野源三郎。

  • ごめんなさい、全然わからなかった。。
    鶴見さんって誰?コペルくんの話は??

  • 吉野源三郎 1937年8月 出版 80年後に再度のブーム
    専門家が分かりやすい言葉で学問探求の面白さを伝える 新書の原型
    戦争前夜・山の手 いたずら好きコぺル君 おじさんがノートを書く。

    筆者・上原隆コラムノンフィクション ギタリストの息子が「家賃入れようか?」 雹に当たったリンゴ農家 障害のある息子
     私が会うのはすぐ隣にいるような人たちだ。一人ひとりがそれぞれの仕方で困難に立ち向かっている。その話を聞き、姿を見るとき、ここに生きることそのものがあるという思いが胸に満ちてくる。そのことを文章にし、本にしてきた。

    デパートの屋上 下には無数の人 ものの見方について→個人の考えはパースペクティブ(眺め)に限定
    論理実証主義 哲学の務めは科学の言語を論理学的に分析すること 形而上学→論理学的に分析不可能な領域は無意味である。

    1960年5月19日 岸内閣 日米安保条約強行採決 竹内好大学教授「岸内閣のもとでは公務員としてとどまれない」→10日後、内閣総辞職

    1933年2月20日 小林多喜二 拷問後死亡・他の共産党員の名前を言わず

    本当に大切なのは自分の問題を見つけること 上野千鶴子「先生、問題ってなんですか?」「問題ってあなたを掴んで放さないもののことよ」
    上野=「女であること」が問題 日本の女性解放運動に大きな理論的支柱

    コペル君の家は裕福、上流階級 貧しいことは人間性とは別、階級に関係なく立派な人はいる→だが、下層階級では劣等感で傷つきやすい人がいることを知っておかなければならない。

    出自は責任を問われる必要のないこと 市井三郎 ☆日韓問題へ利用する論調が現われるか?

    1910年 大逆事件 常陸太田市磯部町の根本秀之介(昭和31年の年賀状 放火、殺人、強盗、強姦、何でもやります。) 幸徳秋水と交流、天皇暗殺の革命

    雪の日の出来事 コペル君は殴られる友達を助けに行けず→勇気がなかったからではない 行動の機動力となる肉体の反射・リンチを避けることは人間の反射行動
    貧しい子→トゲトゲしい空気に慣れていたので動けた。

    石段の思い出 母・湯島天神で重い荷物のお婆さん→声をかけられず躊躇→このときの経験から、自分の心の中の温かい思いを行動にあらわすようになった。


  • 『君たちはどう生きるか』をなぞりながら、哲学者 鶴見俊輔の視点を織り交ぜ、平易な文章で読みやすく、深掘りと解説がされている。

    「貧しき友」にある、「私は、その人が出発点から努力によって、どれだけ自分の生活や精神を向上させたかという尺度が大切だと思っている。」は、共感。

    さらっとら読める。

  • 東2法経図・6F開架 B1/11/498/K

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

1949年、神奈川県横浜市生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。エッセイスト、コラムニスト。記録映画制作会社勤務のかたわら、雑誌「思想の科学」の編集委員として執筆活動をはじめる。その後、市井の人々を丹念に取材し、生き方をつづったノンフィクション・コラム『友がみな我よりえらく見える日は』がベストセラーとなる。他の著書に思想エッセイ『「普通の人」の哲学』『上野千鶴子なんかこわくない』『君たちはどう生きるかの哲学』、ノンフィクション・コラム『喜びは悲しみのあとに』『雨にぬれても』『胸の中にて鳴る音あり』『にじんだ星をかぞえて』『こころが折れそうになったとき』『こころ傷んでたえがたき日に』などがある。

「2021年 『晴れた日にかなしみの一つ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

上原隆の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×