フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本)

著者 :
  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393333020

感想・レビュー・書評

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  • ☆2(付箋6枚/P429→割合1.40% 文字数加算+1)

    松岡正剛の8回に渡った「連塾」の7、8回目を収めた三冊目。
    いまなお私たちは、2.26とは何だろう、石原莞爾とは何だったのだろう、バブル、太平洋戦争、東京裁判、それは何なのか、答えを出せないでいる。

    “私たちはそういう現代史の日本から、いったい何を思い出しているのでしょうか。どんな面影を思い浮かべるべきなんでしょうか。昭和史ですか。満州の夕陽ですか。大正デモクラシーですか。それとも「明治」ですか。あるいは「江戸」ですか。もっと前でしょうか。私たちはその「面影日本」というものが、実はどこに拠点をおいていいやらわかりにくくなっているように思います。”

    それはただの歴史の一コマに過ぎない訳じゃない。今が積って歴史となっているのだから。

    “いったいどういう情勢の中にわれわれはいるんでしょうか。商品は溢れ、情報は好き放題に端末にとりこめる。だからそれでいいじゃないかと、本気で感じているんでしょうか。今日本はグローバル・スタンダードとコンプライアンスに骨の髄まで組み込まれたいと本気で願っているのでしょうか。だったらそれって、黒船とはどこがちがうのでしょうか。黒船でないとしたら、市場グローバリズムは世界の必然というものでしょうか。フランシス・フクヤマはそれを「歴史の終わり」と言ったわけですが、そんなことでいいのでしょうか。”

    その、日本の形とは何であるのか。日本のやり方、方法とは何だったのか。その一つが万葉からある「寄物陳思(きぶつちんし)」

    “万葉人はほとんど自身の周辺の風景から関心事を生け取ります。人麻呂も長屋王も防人も額田王も。ですから雪月花というのは、花鳥風月もそうですけれども、雪そのもの、月そのもの、花そのものじゃないんですね。雪は盆に活けるし、月は水盤に水を張って月を映し、花はもちろん手折ってきて差すわけですね。
    いまでも産地直送が日本で流行しています。もともと日本は広大な土地ではありません。水戸とか信州なんて東京から見てもとても近い。けれどもそんな近距離から何かをわざわざ取り寄せているということが大事なのです。気仙沼のサンマなのか大分のシイタケなのか、和歌山の梅干しなのかです。
    この「取り寄せる」ということ、それを万葉人は「寄物陳思(きぶつちんし)」と言いました。「物に寄せて思いを陳べる」ということです。…何かを取り寄せたということは、元の場所から手元にもってきたわけだから、その何か、花や月は別の新たなところに移ったわけです。たとえば花は一輪になって竹の花器に入り、それが床に掛けられた。そうすると、その花は元の場所の風景や記憶をブラウジングしてきたものであるとともに、そういう花に託した古来の詠み人たちの記憶もともなっているということになります。それが、いまここにあるわけです。”

    ***以下抜き書き**
    ・当時はほとんど財界・政界、そしてマスメディアのトップが戦争犯罪者になった。それからまだわずかしかたっていません。しかし、そういうことをしたあとに思い出せるものとしての「日本」とはなんなのか、その「日本」はどういう面影なのか。
    私たちはそういう現代史の日本から、いったい何を思い出しているのでしょうか。どんな面影を思い浮かべるべきなんでしょうか。昭和史ですか。満州の夕陽ですか。大正デモクラシーですか。それとも「明治」ですか。あるいは「江戸」ですか。もっと前でしょうか。私たちはその「面影日本」というものが、実はどこに拠点をおいていいやらわかりにくくなっているように思います。

    ・ちなみに日本の歴史では、そもそも法律文書には漢字とカタカナを使いますが、文化はもっぱら漢字と平仮名を使ってきました。文芸的なものはみんな平仮名がベースです。カタカナを使うのは漢文をフォーマルな文章としたときの名残です。
    いま、日本中で書道展が毎日、130ヶ所ほどで開かれているらしいですけれども、ところがカタカナを表現した書家というのはほとんどいない。これはちょっとおかしいことです。ということは、日本人はどこかで文化としてのカタカナというものを失ったんです。

    ・一つは、慕夏主義。二つ目は、水土主義。三つ目は、中朝主義。
    これはいずれも山本七平さんのネーミングですが、なかなかよくできているのでそのまま使います。しかも私はこの三つの「日本モデル」を日本はどうも今日までずるずる引きずってるんではないかというふうに思ってます。
    …「夏」というのは中国の幻の王朝のことです。最近では殷墟のような都市の遺跡が発掘され、彩陶といういろんな焼き物も発見され、とくに長江文明の研究が進んだので、「夏」も実在したのではないかと言われはじめてますが、この「夏を慕う」という考え方は長らく中国王朝の分母になっていました。
    ですから「慕夏主義」というのは、過去の偉大な国にモデルを求めていけばのちの王朝はつくれるという考え方です。これを日本も中国から受け入れた。奈良朝がつくった平城京モデルは唐の律令モデルを真似たものであり、その唐はさかのぼれば夏や周のモデルを想定したものでした。もっとも戦後の日本では「夏」が「米」という字になって「慕米主義」というふうになってますね。その前の明治維新の場合は「慕列強主義」でした。それは日本がつねに中国のような海外のグローバル・スタンダードにモデルを求めるという考え方の方程式があったからです。
    二つ目の「水土主義」は、仮によその国のモデルがよくても、日本の実際の風土に合わないのではないか、やっぱり自分の国の風土に応じたモデルをつくったほうがいいじゃないかという考え方です。抽象的な観念やシステムがすばらしくても、実際の土や水が合わない。だからこのモデルは「その国のよさはこの国には当てはまらない」という見方をもっています。いいかえれば、どんなモデルも日本的に改変したほうがいいというモデルです。これは熊沢蕃山などが提唱したモデルで、のちに貝原益軒を含めた日本の本草学や吉宗の国産物産論につながります。
    それから三つ目のモデルが「中朝主義」です。これは一言で言えば「中華」という思想を日本にそのまま移しちゃえというものです。

    ・けれども、そこに生じていったのが明治中期の領土拡張路線の選択であり、日清・日露の戦争選択であり、日韓併合の実現であり、そして満蒙問題の解決であったのです。
    それらはすべて欧米のロジックで説明できるようになっている案件ばかりです。大半が海外交渉力がモノをいうことばかりだし、勝てば勝利者が利益をぶんどるしかなく、敗ければ相手や同盟国の言うことを聞くしかないゲームです。でも日本はそういう競技に参画する意志を示す一方で、他方では、そこに皇国主義や国体ナショナリズムをくっつけて、五族協和や王道楽土の理想を組み入れた。
    それも不可能なこととは言えません。EUにカール・マルテル以来のヨーロッパの理想が入ったように、そういうことが選択されてもいいでしょう。けれど、それならそれでその説明ができなくてはまずかったのです。ところが、そのことを正面から取り組むべきその期間に、日本は軍部の抗争にかまけ、満州国の理想を自身で踏みにじって日中戦争にし、あげくに太平洋戦争の決定的敗戦に至ってしまったのですね。
    これでは、東京裁判による“裁断”がくだるのはやむをえないことになるでしょう。それが天皇の“聖断”を上回り、マッカーサーと天皇が一緒の写真として世界に公開されることもやむをえないことになります。しかしながらもっと大きな問題は、そのあとの日本がかつて努力してきた「日本という方法」によって、私たちの国の来し方行く末をつなげていくことを怠ったというほうにあります。
    このことを怠ったということは、いまなお「石原莞爾って何だろう」「二・二六って何だろう」「将軍と天皇って何だろう」「内閣と天皇って何だろう」という疑問に誰も答えられない現状をつくってしまっています。日本人は本来と将来をつなげる説明を、私たち自身の母国にあてはめることができなくなっていったのです。

    ・株主資本主義どころではありません。デリバティブといった「明日以降の確率的リスク」を証券化して、これを投資案件にしてみんなでポートフォリオを売り買いしようというんですから、これはいつのまにかお金が一番の「自由」になってしまったんですね。各国各地の年金組合の貯蓄がどんどんそういう案件に注ぎ込まれていることがわかっています。そこには祖国も租法もありません。
    …いったいどういう情勢の中にわれわれはいるんでしょうか。商品は溢れ、情報は好き放題に端末にとりこめる。だからそれでいいじゃないかと、本気で感じているんでしょうか。今日本はグローバル・スタンダードとコンプライアンスに骨の髄まで組み込まれたいと本気で願っているのでしょうか。だったらそれって、黒船とはどこがちがうのでしょうか。黒船でないとしたら、市場グローバリズムは世界の必然というものでしょうか。フランシス・フクヤマはそれを「歴史の終わり」と言ったわけですが、そんなことでいいのでしょうか。

    ・万葉人はほとんど自身の周辺の風景から関心事を生け取ります。人麻呂も長屋王も防人も額田王も。ですから雪月花というのは、花鳥風月もそうですけれども、雪そのもの、月そのもの、花そのものじゃないんですね。雪は盆に活けるし、月は水盤に水を張って月を映し、花はもちろん手折ってきて差すわけですね。
    いまでも産地直送が日本で流行しています。もともと日本は広大な土地ではありません。水戸とか信州なんて東京から見てもとても近い。けれどもそんな近距離から何かをわざわざ取り寄せているということが大事なのです。京都では「仕出し」のお店がいまでもたくさんありまして、何かの折には料理をそこから取り寄せるのですが、その仕出し屋さんはほんの5、6分のところです。祇園や先斗町などのお茶屋で食べる料理はすべて「仕出し」です。だから距離が問題なのではない。どこから何を取り寄せたのか、そこが大事なんです。今日もレストラン・オーナーの方も来ていらっしゃいますけれども、料理屋だってレストランだってどこから取り寄せたのかということが大事です。気仙沼のサンマなのか大分のシイタケなのか、和歌山の梅干しなのかです。
    この「取り寄せる」ということ、それを万葉人は「寄物陳思(きぶつちんし)」と言いました。「物に寄せて思いを陳べる」ということです。…何かを取り寄せたということは、元の場所から手元にもってきたわけだから、その何か、花や月は別の新たなところに移ったわけです。たとえば花は一輪になって竹の花器に入り、それが床に掛けられた。そうすると、その花は元の場所の風景や記憶をブラウジングしてきたものであるとともに、そういう花に託した古来の詠み人たちの記憶もともなっているということになります。それが、いまここにあるわけです。

著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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