意味による癒し ロゴセラピー入門

  • 春秋社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393364697

作品紹介・あらすじ

現代人の精神の病は、性欲や権力欲の葛藤ではなく、"生きる意味"の喪失に起因している-フランクルの創始した「ロゴセラピー」の思想と技法を平易に解説した感動の入門書。E・ルーカスによる「ロゴ・テスト」論も併録。

感想・レビュー・書評

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  • キャリコンの学科の勉強をしていた時にロゴセラピーを知りました。『夜と霧』のフランクルが書いた本ですが、章によっては別の人が書いているようです。

    ところどころ日本語訳が不自然ですが、口語体で書かれており読みやすかったです。事例も多く、どんな患者をどのように治療していたかよくわかりました。

    「ロゴ」ってなんだろうなと思っていたのですが、本書によるとギリシア語の「ロゴス」で「意味」「精神」という意味だそうです。

    フランクルは本書で、人間とは生きる意味を「問う存在」なのではく、人生から「問われている存在」だと言っていました。『夜と霧』にも書かれていたことです。私は『夜と霧』を読んだ時にはこの意味をあまり理解できていなかったのですが、自分がキャリコンの実技でカウンセリングの技法を実践するなかで、フランクルの言っている意味がわかりました。
    ロゴセラピストは患者に価値判断を押し付けてはいけない、あくまで患者自身が答えを導き出すように支援するのがその役割なのだという意味だとつながりました。

    フロイトの技法は『脱反省』と『逆説志向』があり、逆説志向は事例がたくさんあったのでよく理解できました。患者が自らの不安を意図的に楽しむようにさせる療法のようですが、なかなかユニークで、しっかり医師のに監修してもらわないと危なそう。
    脱反省はあまり理解できなかったので下記が分かりやすかったです。
    https://www.earthship-c.com/frankl-psychology/dereflexion/
    「過剰な意識を除去する」というのがマインドフルネスみたいですね。

    精神分析も「フロイト派」などいろいろありますが、完璧なものなどなく、それぞれの学派同士で補完すべきとのこと。なるほど、やはりいろんな学派を勉強しなきゃいけないんですね。次はフロイトの本でも読もうか。

  • 一生懸命取り組めば、嫌なことも忘れ、自己実現が進む。
    最悪の事態を覚悟して、前に踏み出せば、道は開ける。
    デルカーネギーもおんなじこと言ってました。

  • 職場の頭のおかしい人にすすめられた

    いい本すぎた

    この私の小さな人生のもやもやの答えは大体これに帰している思えるくらい、本質が詰まってる本だった。

    ロゴセラピー偉大すぎる。

  • ■意味による癒やし

    A.人が人生に意味を見つけ、その意味を充たすことができるならば、その人は幸せになり、また苦悩にも打ち克つことができるようになります。意味を悟ることができれば、その人は自分の人生をささげることすらできるのです。これとは反対に、意味を悟ることができなければ、その人は、どんなに物質的に豊かで恵まれた環境にいようとも、自分の人生をその真っ只中で断ちかねないのです。

    B.私たちが変えることができない状況に置かれている場合、まさにその場合には、自分自身を変えることが私たちに求められている。つまり、成熟し、成長すること、自分自身を超えて成長することが私たちに求められているのです。

    C.意味充足のためには、自分の到達しようとする人生の目標にどんな犠牲を払ってもしがみつこうとするよりも、新しい状況につねに順応していける心理的な可塑性や柔軟性の方が役に立つ。

    D.人生の意味は、人により、日により、時間により異なってくる。重要なことは、人生一般の意味ではなくて、各人の人生の個々の瞬間における特殊な意味なのです。

    E.われわれは人生の抽象的な意味を探し求めるべきではありません。いかなる人も人生においてその人独自の使命や任務を有しているのであり、充足を求めているその具体的課題を実行しなければならないのです。

    F.各人の人間が人生から問われているのです。そして各人は、自分自身の人生に対して責任を担うことによってのみ人生に答えることができるのです。

    G.汝はあたかもすでに二度目の人生を生きているかのように、そして、あたかも汝が今まさに過って行為せんとしているのと同じ過ちを一度目の人生においておこなったかのように、生きよ。

    H.人生の意味は絶えず変化していること、しかしそれは決してなくならない。

    I.逆説志向、この技法は次の二重の事実、すなわち、恐怖は人が恐れているその当のものを実際に生じさせてしまうこと、および過剰志向は人が望んでいるその当のことを不可能にしてしまうこと、この二重の事実に基礎を置いています。

    J.人間は必要とあれば進んで苦しみに耐えることすらできるのです。けれども、これと反対に、彼がどのような人生の意味をも知らない場合には、たとえ外見上はどんなにうまくいっていようとも、彼には人生なんてどうてもいいことであり、事と次第によっては人生を投げ出しもします。

    K.苦悩が意味をもちうるのは、自身が変わるときである:イューダ・ベイコン。

    L.人々は生きるための手段を手に入れましたが、そのことによってかえって、人々がそのために生きるところのミーニングを失ってしまったのです。

    M.幸福は「追求」して得られるものではなく、むしろ結果として生じるはずのものなのです。人が幸福を目標にすればするほど、その目標を取り逃がします。

    N.意味充足が低下するとフラストレーションの微候が増え、ノイローゼまたは鬱病的な傾向がつよくなり、精神衛生一般の状況が悪化するということである。その上さらに何が何でも目標に達しようとがむしゃらになる。

    O.生きる理由をもっている人は、ほとんどどんな事態にも耐えることができる:ニーチェ。

    P.何をなさねばならないかを人間に告げる本能がなくなり、また何をすべきかを人間に告げる伝統もなくなりました。やがて人間は、自分が何をしたいのかをも知らなくなるでしょう。人間はますます、他人たちが彼にしてほしいと欲することによって支配され、その結果、ますます画一主義の手におちていくことになるでしょう。

    Q.実存的空虚:人生には意味があるという感情の喪失。

  • 「意味への意志」は、人生のあらゆる状況において意味を見出す、その状況へと立ち向かって意味を充たそうとする欲求のこと。変えることのできない状況に置かれている時、自分自身を変えることが求められる。

    人生は無意味ではない。精神分析との比較部分は難しかったけれど、言いたいことはなんとなく伝わりました。神経症にはユーモアを含めた逆説思考を。
    また読んだら違う感想が得られると思います。

  • 「生きる理由をもっている人は、ほとんどどんな事態にも耐えることができる」(ニーチェ)

    人間は自分の人生の意味が何であるかと問うべきではなく、むしろ、問われているのは自分であるということを認識しなければなりません。

    「汝はあたかもすでに二度目の人生を生きているかのように、そして、あたかも汝が今まさにあやまって行為せんとしているのと同じ過ちを一度目の人生においておこなったかのように、生きよ!」

    ペシミストは、自分の部屋の壁にかけられたカレンダーを毎日一枚ずつはがし、それが日ごとに薄くなっていくのを恐れと悲しみをもって見ている人に似ています。他方、積極的に人生の問題に取り組んでいる人は、カレンダーを毎日はがし、その裏にその日の出来事をいくつか書きつけてから、それを以前のものと一緒にきちんと注意深くファイルに閉じる人に似ています。彼は、これらのメモに記された豊かさのすべて、心ゆくまで生きたこれまでの自分の人生すべてを誇りと喜びをもって振り返ることができるのです。

    過剰志向への対策= 逆説志向
    皮肉なことに、恐怖が人の恐れているその当の恐怖を引き起こすのと同様に、無理な志向は、人が無理に望んでいるその当の願望を不可能にします。
    ・男性が自分の性能力を証明しようとすればするほど、成功できない。
    ・「10クオーター汗を流すぞ」と思うことによって発汗恐怖から永久に開放された。
    ・劣等感に注意を集中している限り劣等感から抜け出すことはできない。自分の外の何かに注意を集中しさえすれば、劣等感はすぐに萎縮する。
    ・逆説志向における不可欠の要素は意図的にユーモアを引き起こすこと

    自己距離化

    自己超越
    人間存在とは自分自身を超えて、もはや自分ではない何かある事またはある人に向けられている存在である。言い換えれば、充たされるべき意味または自分が出会っている人間に向けられている存在である。
    ・幸福は意味充足の結果であるだけだなく、より一般的に言えば自己超越の無意図的な副次効果でもあります。ですから、幸福は「追求」して得られるものではなく、むしろ結果として生じるはずのものなのです。
    ・意味への意志
    われわれの仲間のあるものはブタのように行動し、また他の者は聖人のようにふるまった…そのいずれが現実化されるかは、素質や環境といった条件にではなく、人間の決断にかかっている。

    人生の意味
    1.「創造価値」(活動、生産)何かを実際に遂行すること、何らかの作品を創造すること
    2.「体験価値」(観想、感情性)あることある者を体験することによって、ある事柄に仕えたりある人格を愛すること
    3.「態度価値」(運命の打撃や苦悩に耐える英雄的なおこない「精神の抵抗力」)私たちが全く変えることのできないような運命、絶望的な状況に寄る辺なき受難者として置かれているとき。人間は、まさに自らの現存在の限界状況において、自分には何ができるかを証言するために召喚されている。人生は、最後の息を引き取るまで意味を持ち続ける。

    人が逃れることも避けることもできない状況に直面した時、あるいは、人が変えることのできない運命、例えば手術不可能なガンのような治癒不能の病気に直面しなければならなくなった時、まさにそのような時こそ、人は最高の価値を実現し、最も深い意味である苦悩の意味を成就する最後の機会を与えられているのです。

    「彼女は、十八歳のときに食料雑貨店に向かって歩いているときに銃で撃たれて重傷を負ったのです。彼女は口にくわえた棒を使って、かろうじて仕事をやり遂げることができます。彼女は、自分の人生の目的がまったくはっきりしていると感じています。彼女は新聞やテレビによって苦境にある人々の話を探しあて、彼らに慰めと励ましの言葉を贈るために手紙を(口にくわえた棒でタイプを打って)書いています。」

    「どうか聞いてください」とその医師は穏やかに答えました。「銃を手に取って撃つことなどは決して偉大な行為ではありません。もしナチの親衛隊が、その場であなたを処刑するために、あなたをガス室や集団墓地へ連れて行くとすれば、あなたにはもう何もすることができません。頭を上げて、堂々とその道を歩むこと以外に何もできないのです。いいでしょうか。このことこそ、私がヒロイズムと呼びたいのです」。きっと彼には(偉大なことの何たるかが)わかっていたに違いありません。

    要約
    精神療法が人間だけが有する自己距離化と自己超越の能力を扱うことができるようになるためには、まずもって、人間固有の現象を生物学主義的地平や心理学主義的地平に投影することを断念し、人間的なものの次元へと立ち入らなければならない。そして、この自己距離化と自己超越の能力を扱うものがロゴセラピーの技法である「逆説志向」と「脱反省」である。

    【読後】
    ガス室へ胸を張って行く人間の意志はどこからくるのだろう。祖国、愛する人、家族。自分以外の大切な人たちにとってふさわしい人間となるべく胸を張る神々しさ。そして、自分という全宇宙で唯一無二の存在への誇り。

  • 読了

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