〈性〉なる家族

著者 :
  • 春秋社
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本棚登録 : 209
感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393366424

作品紹介・あらすじ

家族の基盤にありながら、あえて真正面から対峙しなければ視野に入らないものがある。性虐待、ジェンダー、セクシュアリティ、性差別…。タブー視されがちな問題を、長年のカウンセリング経験をもとに、様々な角度から考察。力関係としての性を明るみにし、家族の今と未来を展望する。

感想・レビュー・書評

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  • 考えさせられた。
    する側ではなくされる側。
    世の中の流れだよね。

    子供は親の所有物でも奴隷でもない。

    そんなこと、言われれば当然だとわかるのだけど、心のどこかに、俺が生活(命)を支えている!という自分がいる。
    特に女に対して。

    妻や子供たちに対しては1人の人として!
    と気をつけているつもりだけれど、時折声を荒げてしまうのは、自分の思う通りにいかないことに対する苛立ちとも思う。

    聖人君子にはなれないけれど、もう少し引いた視線で自分を見ていたい。

  • 信田さよ子は、著作が多いだけに、出来不出来の振幅がけっこう大きいと思う。

    私もすべてを読んでいるわけではないが、管見の範囲では、『母が重くてたまらない』や『共依存・からめとる愛』『アダルト・チルドレンという物語』などが良書だった。

    逆に、『選ばれる男たち』や『カウンセラーは何を見ているか』は駄本であった。

    本書は、著者の代表作にもなり得る良書だと思った。

    タイトルのとおり、家族における「性」の問題――親による子どもに対する性虐待や、夫婦間のセックスレスや性暴力など――についての論考集である。

    きわめて語りにくい、黒いヴェールに覆われてきた問題群について、カウンセラー/臨床心理士としての豊富な経験をふまえて、真摯に論じている。

    著者の旗幟は鮮明で、終始一貫して被害者側――主としては女性側――に立っている。

    本書に出てくる子どもへの性虐待、妻への性暴力のたくさんの事例(プライバシーに配慮して抽象化されている)は、私の目にはきわめて特殊な例に見えるのだが、著者の目にはごくありふれた事例として映っているようだ。

    性暴力を成り立たせる〝家庭内の権力構造〟を抉る著者の分析は鋭く、男たちの無意識の中にある暴力の萌芽にまで、否応なしに目を向けさせる。たとえば――。

    《子どもが憎いからあんなひどいことをするのだという理解は、虐待に対する無知・誤解の典型である。親は子どもを憎いのではない。子どもは自分の思い通りになるはずだと思っており、そうならないから彼ら自身が傷つき、そして傷つけた子どもに対して怒るのだ。》(47ページ)

    《子どもがDVを目撃することを面前DVと呼ぶが、それによる最大の影響は、「暴力で解決できないことはない」という信念を植え付けられることだ。父親が怒鳴ったり殴ったりして母の反論を封殺する。その暴力の効果を、子ども(特に息子)は深く心に刻むだろう。性行為によって妻の不満はすべて解決できるという夫の考えと、それは相似形ではないだろうか。》(103ページ)

    我が子や妻は自分の思い通りになるはずだという父(夫)の「思い上がり」が、子どもへの性虐待や妻への性暴力の根底にあるのだ。

    信田さよ子は〝言葉の人〟だと私は思っている。つねに言葉を重視し、見事な〝言葉の使い手〟でもある。言い換えれば、彼女の著作には文学の薫りがあるのだ。

    本書もしかり。
    言葉を重んじる姿勢が随所に感じられるし、ハッとする鮮烈なフレーズが多い。たとえば――。

    《いまや日本では多くの人に共有されているトラウマという言葉だが、その転換点がPTSDが加わった一九八◯年のDSMⅢにあったことは間違いない。この言葉によってどれほど多くの経験が「被害」として認知されることになったか、定義する言葉がなかったために埋もれて忘却されるしかなかった経験が初めて陽の目を浴びて他者に伝達可能となったかと考えると、輸入されたカタカナ語ではあるが、その果たした役割は言うに尽くせないものがある。》(206ページ)

  • おそらくタブーとして、あまり正面から取り上げられることのなかった、家庭内の性被害についてのレポート。

    昨今、親による子への虐待などのニュースが、マスコミで取り上げられない日はないと感じるほど、頻発しているような気がする。
    これだけ多くの虐待が起きる日本社会で、家族な 内の性的虐待が起きていないことは、おそらく無いだろうな?という個人的な疑問に、一つの回答の方向性を、示してくれていると思う。
    多分、それは起きている。
    そして、それが意図されたかどうかはわからないが、おそらく多くの件が隠蔽されているか、明らかになってはいない。
    そうなんだろうなと、思った。
    読んで重いレポートです。

  • 作者の主観的な部分があって、首をかしげる部分もあったけど、作者のカウンセラーとしての体験や事例を交えて、女性の性被害や家庭内性虐待などが見えてくる。
    こういうことも起こりうるのだという新たな視点を持つことができたし、様々な気付きや発見がありました。

  • そのことについて書かれているわけではないけれど、読み進めていると旧ジャニーズ事務所のことが想起される。
    圧倒的な支配と権力のもとで、全てのタレントたちが何かをもできなかったことは、ひとつも非難されることではない。
    マスコミが何かをできなかったか…、かといって直接的な責任がないから逃れられてしまう。でも、そういうことを世に問うことがマスコミの意義ではないか。
    会社の人が何かできなかったか…という問いは、福祉施設の虐待の構図と似てるんだろうと思う。

  • 読了。図書館で借りた。読むのしんどかった。でも娘のいる父親ならよんでおくべき本と思う。P154からP160ページに、著者と父親の話があった。感動した。ここを読みたくてこの本を借りたかもしれない。1700円+消費税である。買うことにする。

  • 2022/07/27
    冒頭のエピソードだけでキツすぎる、、
    セクハラやDVや性的虐待を行う人の特徴として、自分の行為の加虐性に自覚的でないこと、無意識であること、、というのはなるほどなぁと思った。

    その他気になったことメモ
    ・痴漢、盗撮、露出などの性犯罪加害者は、傍目には暴力的な人には見えない穏やかな男性がほとんどである。
    ・性別役割分業や、父親中心のいわゆる「ふつう」の家族は近親姦を生み出す危険性があり、父から母へのDVが起きる家族では、しばしば子どもたちの関係性が暴力的で支配的になりがちである。
    →それを防ぐには、ワンオペ育児を避け、家族全員の情緒的親しさ(親密さ)を形成するように努めることである

  • セクハラをやる側は「男性優位=自分優位」が当たり前になってしまっているから、その対象となった相手が「被害」を訴えるということが想像出来ない。……この文章で常識のズレが何故生じるのかわかった様な気がする。たまに「どれもこれもセクハラだと言うならもう何も言えない」という人が居る。男性優位性の社会にどっぷり浸かってしまっている証拠だと思う。

  • カウンセリングの事例とともに家庭内での性犯罪が分析されており、どうしてらこのような意識の差による犯罪が生まれるのかを検討されている。学術的な書ではないので読みやすい。グレーゾーンだと相手が思っている範囲の広さ、そして自覚するまでにタイムラグがある幼年者への加害の残酷さを考えさせられる。

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著者プロフィール

公認心理師・臨床心理士、原宿カウンセリングセンター顧問、公益社団法人日本公認心理師協会会長。1946年生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院勤務、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室室長を経て、1995年原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ひきこもりに悩む人やその家族、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待、性暴力、各種ハラスメントの加害者・被害者へのカウンセリングを行ってきた。著書に、『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』『家族のゆくえは金しだい』(いずれも春秋社)、『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と国家は共謀する』(角川新書)、『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)、『共依存』(朝日文庫)などがある。

「2023年 『家族と厄災』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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