戒名と日本人: あの世の名前は必要か (祥伝社新書 49)

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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396110499

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  • 「仏教民俗学」という視点での戒名文化の分析は勉強になる内容なのだが、副題はちょっと違う気がするし、冒頭のFAQはやや唐突、仏教史そのものに紙幅をとりすぎていて、一方の重要な要素である民俗学史が薄い。これはひょっとしたら編集者の問題なのかも…

    P193 現在の戒名が抱える問題の多くは、廃仏毀釈による仏教的価値観の破壊によっています。(中略)明治政府樹立のイデオロギーであった平田神道や吉田神道の思想や儀礼は、仏教や儒教からの借りものでした。そのため、熱狂的な錯乱状態を過ぎると独自の思想や儀礼を持っていないことが明らかになったのです。さらに、神仏共存の関係が破壊された不安定な日本社会に、神道家の意に反して高い文明をもったキリスト教が流入してきました。(中略)(政府は)仏教をキリスト教の盾として扱い、民衆が最もこだわる死者儀礼に限って復興させたのです。

    P194  修行の宗教だったはずの仏教が、死の穢れを払拭できないでいる神道の代わりに葬送儀礼を受け持ち、「葬式だけ仏教」の道に専心するのです。この時に注意すべきことは、従来のような信仰に支えられた葬儀でなくなってしまったことです。つまり、信仰心を取り上げられ葬儀のみ押しつけられたのです。

    P200 しかし輪廻転生を前提とする仏教において、なぜ魂が宿る墓が必要なのでしょうか。その理由は「墓は魂の依り代であり、それがないと祖先供養ができない」と日本人が漠然と考えているから、ということだけです。墓や墓標そのものは仏教信仰というよりも、日本的な仏教の文化として考えるべきものです。この墓に石などで作る記念碑的存在である墓標を何と呼ぶかは、あまりはっきりしていません。墓に石を置いていわゆる依り代にするという風習は、比較的新しい文化だからです。

    P225 死を特別に忌み嫌う日本文化においては、死者は詩の世界の住人として隔離しなければなりません。(中略)そのため死者の名前としての戒名は好都合でした。それをもらえば仏の世界で安住に暮らせることになっており、残された者も死者の魂に脅かされることなくすみ分けができます。そして死者の魂が満足すれば、その遺体(魂)も沈める必要があります。日本人はこのような概念を長い時間を費やして形成してきました。それが日本の文化であり民族の知恵なのです。それを「無意味である」と一蹴してしまうのは、非常にもったいないことだと思います。

    P226 古代インドの仏教のみにその正当性を認めるという視点に立てば、日本仏教の多くの部分は否定されてしまいます。(中略)本書はこのような乱暴な結論には向かいません。人間が人間であるためには、変化しながら時代を超えて受け継がれる文化や文明の蓄積が不可欠だと考えるからです。

    P232 日本人は、このインド本来の戒名を「逆修戒名」と呼びます。それに対して、現在の日本における戒名は、死者のための謚のような役割をになっています。また「没後作僧」というように、見かけだけ僧侶や巡礼者のような出で立ちにしてあの世に出すという風習もあります。いずれにせよ、日本では死後に受戒し、戒名を授かります。これを順修戒名と呼びます。

    P240 神道には修行・救済・地獄などの思想がありません。究極的な現世主義宗教で、現世利益と穢れを避けることが主なので、来生の責め苦を深刻にとらえることはなかったのでしょう。故に、インドや中国のような厳しい修行も切迫感を持たなかったのです。しかも戒律もあまり重視しませんでした。

    P246 日本の民間信仰の基本精神は「人間は神の子孫、神に連なる存在である」という楽天的な発想です。

    P247 民間宗教というような領域に踏み込んだ研究者が、民俗学者の柳田國男であり、折口信夫でした。しかし、彼らは仏教の日本文化への影響を極力排除しようとする傾向がある人々、特に柳田の仏教嫌いは有名で、彼にかかると日本文化のほとんどが、仏教と無関係になってしまうのです。(中略)その一方で、一般の仏教学者のようになんでもインド・中国起源にしてしまうと、今度は日本に独自の文化が存在しないことになってしまいます。これもまたおかしなことです。本当はその中間的な立場が必要です。

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    [ 参考となる書評 ]

  • 戒名論争ー戒名は必要か、不要かーこの疑問に答える1冊。戒名の歴史的・文化的役割を様々な角度から専門的に解説している。筆者は、葬送儀礼とは仏教信仰ではなく仏教的なバックグラウンドを持つ日本人の文化的習慣であるといい、多くの日本人の死生観自体が仏教をベースとして成り立ってきた日本独自のものであるとする。戒名についてもこの日本人の死生観と密接に結びついているため、戒名不要論は死を軽んじる傾向に導いてしまうかも知れないとも指摘。

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著者プロフィール

1956年、生まれ。専攻、インド思想、比較宗教学、比較文明論。早稲田大学社会科学部、同大学院文学
研究科修士課程修了。デリー大学に学び、東方研究会・東方学院講師、また中村元東方研究所理事を歴任。現在、中央大学総合政策学部教授。著書、『シク教の教えと文化──大乗仏教の興亡との比較』(平河出版社、1992)、『仏教とヨーガ』(東京書籍、2004)、『国家と宗教』(光文社新書、2006)、『グローバル時代の宗教と情報──文明の祖型と宗教』(北樹出版、2018)、『インド宗教興亡史』(ちくま新書、2022)ほか。

「2023年 『仏教興亡の秘密』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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