人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット よ 2-1)
- 祥伝社 (1993年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396310493
感想・レビュー・書評
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初版は1982年、つまり40年前。これに著者の個性が加わって、その「昭和的」価値観にビックリというか、閉口する箇所は、少なくない。
とはいえ、以下のような指摘は、流石米長さんだなと思ったりする。
・最善手を指し続けるのではなく、悪手をしないのが重要。
・どうすればカンが養えるか。カンは仮説の一種なのだから、カンを養うには仮説を立てる訓練をするのが良い。希望的観測でもよいので、まずは立ててからその検証をする。
・大雑把にできることは大雑把にすますのが、対局の多さや体力の低下を乗り切るコツ。どこまで大雑把にできるかを考える。
全般として、社会の変化が急速になっている状況をどう乗り切るか、という視点から書かれてている。出版から40年。社会の変化が一層急速になっているなか、参考になる個所が色々あった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
将棋名人の行き方 勝負論。経験値を感じる。わかりやすく 共感できる部分多い。子供が理解できるようになれば 読ませてみたい。
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p211 「飛躍というのは、何もしないところには絶対に生まれない。自分の一生をいかに有効に、効率よく生きていくか。そういう目的意識を持たないと、限られた小さな世界を、初めから終わりまで、いつまでも堂々めぐりをする人生に終わってしまうのではないでしょうか。」
貸し方に回れって考え方がよかった 普段は貸し借り論好きじゃないけどこの貸しっていうのはひとに対してというより広い範囲に対しての貸し 例えば道に落ちてる財布を交番に届けたってことは落としたひとに対して貸しがあるというより世の中のためにいいことをした、だからきっと自分に運が回るみたいな -
自分を理解して、勝負に向かう。物事の良し悪し、周囲の流れによる好不調と自分のスタンスというか好み。その違いを明確に意識して、行動を選択できるというのは何というか、胸がすきます。
・将棋というのは、必ず途中からとんでもないことが起こって、わけがわからない状態になるようになっているものなのです。例えば矢倉の戦いを例にすると、25手目におおまかに見て9通りの手がある。これが最善かな、という手はあるが確信は持てません。後手側もやはり9通りの手がある。両者が一手ずつ違う組み合わせの手を指すと、2手後には大体80通りくらいの変化になる。その一つ一つを研究してどの形が良いか考えるのも大切ですが、私の考えでは、どれをとっても全部一局になる。どのように生きても、一つの人生になるという感じなのです。
・難局になると、私は一番難しい、結論の出しにくい手を相手に返すようにしている。それは必ずしも最善手ではないが、相手の立場に立ってもすぐにどう返したら良いか結論が出ないような手は、相手も結論を出せない。そのラリーを続けていけば、先に弱い方が間違える。相手が強い場合は、局面ができるだけ単純になるように、急戦で勝負を持っていく。力の差が出にくく、一手間違えれば強い人も簡単につぶれるし、弱い人でもうまくやれば、そのまま切り込んで終わらせられる。
(ランチェスターみたいな戦略だ・・。素晴らしい。)
・ある動きがあれば、必ずその反動がある。その反動を無理に抑えようとすれば、必ずどこかに軋みがきて、おかしなことになる。バランスが片一方に偏りすぎていると見た場合に、私は少々極端に見えることを言うことがあるのは、何事にもバランスと許容範囲というのを大切にしたいからです。 -
勝負の3要素は確率、勢い、運である。
勢いについて
第1にタイミングを見極められるか。
第2にここと思った時に打って出るための準備をしているか。
第3に決定的場面で勇猛果敢に売って出れるか。
そのタイミングでない時にじっと我慢するのも勢いである。
運について
波長は違えど全ての人に平等にやってくる。そしてできるだけ波のいい所をつかまえて上手く乗った人が良い結果を得る。人生にはこの運の大きな波が何回かあり、小さな波は小刻みにたくさんある。
ではどうすればいいのか。
自分の利害には大した影響のない勝負で、必死に頑張ること。大1番と言われる勝負は実力さえあれば何度でも巡ってくる。そうではなく自分にとっては重要ではなくても相手にとって運命を左右しかねない戦いのことを指す。
そういう戦いはたとえ負けたとしても後から報われる。
それなりになるために必要な勉強時間は6000時間。
男が勝負に負けた時はじっとしているに限る。勝てば官軍、負ければ辛抱。
働くことが男の生き甲斐であって遊ぶことは働くことに比べるとかなり価値の落ちること。
遊んできた人と働いてきた人を比べるとどうも働いてきた人の方が充実している。
子供の教育で1番大事なのは才能や適性をあれこれ考えることよりも集中力をつけてやること。それには好きなことをやらせるのが1番いい。子供はやりたいことを一所懸命やるうちに集中力をつけていくものなのです。
そして「お前は一流になる」と励ます。 -
印象に残っているエピソードが1つ。
棋士の卵達を集めた研究会で、対局者と観戦者がいるのだが、観戦に回った時、他人の対局を食い入るように見て、一緒に考えている参加者と、集中が続かなくてアクビしている参加者が必ずいる。
最初は偶然かと思っていたが、何度も観察していると、実力が足りずもっと勉強が必要な参加者に限って、アクビ組。見込みのある者は対局者の傍らで真剣に考えている。
その理由は…
というくだり。
さらに、アクビ組は、会の運営からすると空気を濁らせる存在。
ここが本当に目鱗で、それまでは、ちょっと毛色の違ったハイレベルなセミナーとかに誘われると、自分などが参加してよいかその度に迷っていたが、これを読んで、参加してよいか否かの基準が自分の中でできた。この一事だけでも、読んだ価値があった。
これを書く前に多くの方々の感想を拝見して、他にも大切なことが満載だったと思い出した。
園遊会での後日談は残念でしたが、本書の価値には関係ないでしょう。 -
2020年10月3日のNHK「あの人に会いたい」という10分番組で、彼のインタビューを見ました。20歳ぐらい若い人と対局する時、強みだと信じていた経験が逆に弱みになると気づいた、それを捨てて新たに挑戦することにしか可能性がないことに気づいた…みたいなことを言っていて、カッコいい!と痺れてしまいました。なんでもいいから彼の本を読んでみたいと思い、即、本屋。まだ置いてあるんですね。そういえば、30年前ぐらい当時の上司が週刊文春での米長邦雄の連載を楽しみにしてたなぁ、と思い出したりしました。結構、昭和な感じの本でしたが、それでも勝負というものが人生観の表れである、とことか浸み込みました。奥さんへのプロポーズのエピソードのトンデモっぷりも最高。さてさて、もし生きていたら米長邦雄は藤井聡太のこと、どう語るのかな?
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プロ棋士が、真っ直ぐな、プロフェッショナル論を述べている本書。
「私たちプロのレベルで申しますと、強くなりたいのなら、自分自身になりきることです。」
「大事なのは一日一日を今日は何のための日であるか、はっきり意識して過ごすことです。」
「人生で貸し方に回るか、借り方に回るか、どちらの立場を選ぶか」
といった、プロとして生きていた著者の考え方ですが、ビジネスマンとしても参考にできることがたくさんあると感じた。
結局は自分がどう生きたいかを決め、
それを実践していくことで、
自分で自分の人生を豊かに、意味のあったなと思える、繋がるということが書かれていた気がします。 -
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