- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396350147
作品紹介・あらすじ
「おいしいね」を分かち合える、そんな人に出会ってしまった――直木賞作家が描く、三角関係未満の揺れる女、男、女の物語。「入念な下ごしらえがなされた滋味深いおばんざいをいただいた。そんな後味の残る小説だ」阿川佐和子恋はもういらないというデザイナーの夕香。かつて夕香の職場でバイトをしていた正和。恋人の正和よりも研究一筋の、大学院生の華。偶然再会した夕香と正和はたびたび食事を共にするうちに、夕香の暮らす京町家で同居することに。理由は食の趣味が合うから。ただそれだけ。なのに、正和は華にどうしても打ち明けられなくて……。揺れ動く、三角関係未満の女、男、女の物語。
感想・レビュー・書評
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「透明な夜の香り」からちょっと気になる作者さん。
「赤い月の香り」が文庫になるまでは既に文庫になった話を読んでいく、の1冊目。まずは時々ランキングに顔を出すこの本にしてみた。
古い京町家で暮らす高村さん、彼女のバイトの後輩で久しぶりに再会した伊東くん、彼と付き合っていながら大学院での研究のほうが大事な華ちゃん。
食の趣味があうことから高村さんに誘われて伊東くんがルームシェアで同じ町家に住むことにしたことから始まる、微妙な関係。
季節を巡る京都の風情とおいしそうな料理のお陰でサクサクと読み進むことが出来る。
音が弾む文章のテンポや、季節によって雨の音が違うだとか、ケンカをして部屋を飛び出しても置いてきた鯖寿司に未練を残すところとか、そうしたところは好きかな。
料理は言い出すとキリがないくらい、どれもおいしそう(パクチーとひつじは苦手)。作ろうかと話しただけで出てこなかった、トウモロコシご飯やトウモロコシのかき揚げに惹かれる。
一方、三人の関係にはあまり興味が向かなかった。思いつきでルームシェアを提案する高村さんも高村さんなら、それに乗っかる伊東くんもどうだか、という感じ。
二人の女性の間を都合よく行き来する男の煮え切らなさはどうしようもなく、男というのは往々にしてこういうものだということも自覚するだけに、よけいイラつく。
華ちゃんは興味の先がちょっと変わっているだけで、自分のために言わなくてはいけないことがあったと思うところはまともだと思ったが、最後にああなっちゃうなんて、伊東くんがそれほど魅力的に描かれてなかったこともあり、いささか面白くない。
一人割り切った高村さんはともかくとして、伊東くんと華ちゃんの行く末は結構波乱含みだな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
心にじんわりと響く作品。美味しそうな料理の描写がたくさん出て来ます。京都を舞台に季節の移り変わりが美しく表現されています。三角関係未満の女、男、女の物語。
好きな一文「食べる速さも、量も、自分以外の誰も気にしなくていい。好きなものを好きなだけ注文して独り占めできる。」 -
千早茜さんは初読みでした。
登場人物3人それぞれの揺れ動く気持ち。
とても繊細に描かれていて切ないほど。
雨の音、空気の流れ…季節の移り変わりの描写と共に、旬の素材のおいしさを引き出すような、シンプルだけど丁寧に下ごしらえされた和風の料理の数々。
著者の千早さんはきっと美味しい料理を作る方なんでしょうね〜。 -
食をきっかけに、ひょんなことから同居することになった2人とその周りの人々を描いた作品で、いろんな人の心の機微が楽しめる作品だったと思います。
本作の構成として、連作短編集で、短編内には日常の描写が描かれるとともに1つの料理がピックアップされます。その料理はそれぞれの登場人物の心境や関係性を象徴するかのように登場するので、単純なものであっても意外と印象的な感じがありました。
ダメな男やフシダラな関係性が登場してくるのは、まぁ千早さんらしい感じがありますが、食を一緒に楽しめる関係というところにピックアップしたのは面白かったかなと。恋人とは違うけど、美味しいを共有できる関係性ってのは、特別だなぁと思いますね… -
微妙な関係性の、3人の男女のお話。
(高村さん、伊東くん、華ちゃん)
章のタイトルは全て食べ物で、それにちなんだお話を彼ら目線で順繰りに語りながら展開してゆく。
幕開け、東京の無機質な生活から逃れて京都へやってきた高村(こうむら)さんのいつもの朝。
雨降りの湿気と、町家の黴臭さと、坪庭、コーヒーの香り、炊き立てのご飯で塩むすび…。
読み始めて一気に気持ち良くなった。
「コーヒーを淹れると、家中に充満した外気が遠のく気がする。」
「欲しいものに手を伸ばすより、手の中にあるものをなぞるようになったのはいつからだろう。三十半ばを過ぎた頃だろうか。気がついたら、そう、なっていた。」
続く居酒屋への道のりもいい感じだ。
久しぶりの千早茜さんの文章は心地良かった。
人との微妙な距離感を、美味しい食べ物が繋いでくれているような。
「これ美味しいね」を誰かと共有したくなる。
食べ物描写も丁寧に丁寧に描かれていて、食欲をそそられた。
それに、食べるって相手が見えてくる。
妙に気遣ってしまったり、食べ方が気になったり、
逆に、飲食のペースが同じくらいなのが心地よかったり。
だから余計に、「ミックスサンド」の華(はな)ちゃん登場の章は生々しさを感じた。
彼女は院生。
死んだ生き物を解体し研究する日々だ。
その合間に、片手間で食べられるミックスサンドを骨格標本室で頬張る。
礼儀正しくもちょっぴりあざとい伊東くんが可愛い。
…と思ってしまうのは、私も年上の女だからか?
高村さんの「恋とか、もういいかなって思うんだよね」
「なんかそういう、食べものの味がわからなくなるような関係って疲れる」
だとか、
華ちゃんの「彼からはよくこういう報告がくる。そもそも報告と捉えていいのか、あたしには意図がよくわからない。」
に、妙に共感してしまう。
私は彼女たちよりもずっと年上だけれど、だからこそ思う。
恋はものすご~くパワーを要するのだ。
今はもうそれよりも、一緒に食事や喜怒哀楽を共に出来るパートナーが大切だ。
もっとも、そうなるには前段階として恋があるのだが。
共感は食べ物にも及ぶ。
「そして、一人暮らしにとって予定外の食材は、消費しなきゃいけないという義務の味が付加されてしまう。それが、どんな好物でも。」
自分のペースやルールってあるわけで。
実家、パートナー、友人、職場…からの食材の急な頂き物は、食のペースが乱されることになる。
本来は有難いことだし、身勝手な言い分なのだけれど。
因みに本庄さん(過去の不倫相手)を冷静に見つめる高村さんの目線にも共感!
「そして、自分で選びたい。もう、なにも頼んだらいいか迷う小娘じゃないから、小さなカウンターの店で好きなものを好きなだけ食べたい。
ねえ、本庄さん、私はもう一人で立っているんですよ。」
……「一日の終わりに言葉を交わすのが本庄さんでなくて良かった。「おいしい」を共有できる人で良かった。」
分かるぅぅぅ!
伊東くんには華ちゃんという彼女が居る。
それなのに、ふとしたことがきっかけでルームシェアを始めてしまった高村さんと伊東くん。
伊東くんと華ちゃんだって、決して不仲なわけじゃない。
華ちゃんの日常が特殊なのであって、それを伊東くんに詳しく話していないからであって。。。
思うのだけど、社会に出てから就いた職業に育てて貰った自分て大きいと思う。
例えば、営業職の人は話し上手だったり、経理の人は細かいところも良く気付いたり。
ついついその職種に関する話題は増えてしまうものだ。
伊東くんと華ちゃんの僅かなギクシャクやすれ違いは、そういうものも含んでいるんじゃないのかなぁ。
それと、こういうのを男性の弱さや狡さと受け取る人も居るのかもしれないな。
いや、女性を弱いし狡いと受け取る方もおられるか。
登場人物三人共、どこか狡いし弱いし、見ないふりをして暮らしてる。
だから一層、私達読者は入り込んでしまうし、三人の成り行きが気になって仕方なくなる。
一気読みしてしまう作品だ。
でもでも。
「さんかく」の高村さんと伊東くんは男女の仲になりたいわけじゃない。
そうじゃないけど、二人でとる食事は、ただただ心地いい。
仕事や人付き合いで社会に揉まれて、1日を終えて帰った家に、温かな食事とそれを分かち合える相手が居てくれたら。
そう。
高村さんにとって伊東くんとは、"食の趣味が合う"人なのだ。
たったそれだけの繋がりであるが故に、楽だし安心できる。
「恋愛のまっただなかにいる人間はなんでも色恋でものごとを判断しそうだ。そういう甘ったるい物差しはいらない。
話せば、色がつく。話すほど、そのことについて考える時間ができる。時間をかければ、特別になってゆく。
いま、なにかを思う必要はないのだ。」
けれど、お互い人間。
情だってうつるのは当たり前だ。
"食を共にしている"って大きいことだもの。
その証拠に高村さんは「おかえり」を、伊東くんは「ただいま」を、あえて言わないように飲み込んでいる。
友人に痛いところを突っ込まれた高村さんは、まるで自分自身に言い聞かせるように「そんなんじゃない」と繰り返す。
互いに、居なくなったら寂しいと思っているはずなのに。
でも伊東くんは華ちゃんのことも好きで…。
さてさて、この「さんかく」の着地点は???
終盤を向かえるにつれ、刺さる文章が増えていった。
「最終的に恋愛とか性欲とか関係ないところに落ち着くのなら、どうしてそういうものが必要なんですかね」
「ヒトってさ、自分にとって都合が悪いものを変だって言うんだよ」
「ちょうどいい距離感。あれは仕事で身につけた空気だったのか」
「私はただ、彼と暮らすことで、若い男性に拒まれていないという事実が欲しかったのだろう。………。私たちは誰かに受け入れられたいという気持ちを持て余していた」
人生何度目かの微妙なお年頃に差し掛かった……と言っていいのかな?そんな高村さんに共感する部分が多かった。
ともすれば薄っぺらく感じてしまいそうな三人の「さんかく」関係を、語り手を変えたり、丁寧に食事シーンを描いたりすることで、味わい深い作品になっていた。
私も丁寧に暮らしていこう、なんて感じたりして。
丁度よい読み応えと、清々しい読み心地だった。
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いやあ、不思議な話だったなあ。
最後はそうなるのかあーって。
でもなんか、いい本だった。
日常のいろいろ。頭をめぐるとらわれから、物語の世界に入りたくて読んでみた。
重くない本の世界
日常からふっと、本の世界に入れさせてくれる心地よさがある導入から、本後半からはどうなるんだ?この関係は、と気になってきて、ところどころ、ずしーとくる言葉も散りばめられて、はっとする雨の描写や食べ物の描写もあって、心地よく没入できた。
いい本だった。
手巻き寿司を食べたくなった。
ぐだぐだ食べながら飲みながら、伊藤が〜高村さんが〜と、どーたらこうたら話したくなる。
そんな本。 -
京都を舞台に、料理を紹介しながら、男女3人による青春の日々を描いている。
3人はそれぞれ、フリーランサー(女1)、サラリーマン(男)、大学院生(女2)という異なる立場なので、家事・仕事・恋愛に対する考え方が異なっており、読んでいて楽しい。ただし、このうち2人だけが、食べ物の相性が合い、手作りの創作料理を楽しんでいる。残りの1人だって、本当は丁寧に自炊をして体に良いものを食べたいのだろうが、そこまで時間と気持ちの余裕が無く、外食やコンビニ中心の食事になってしまうのだろう。この、「創作手料理 対 コンビニ=2人(女1&男) 対 1人(女2)」という構図が頭の中に出来上がってしまった。
美味しい料理を食べたい理由から、彼女以外の女性とルームシェアを始めてしまう男性が、徐々に恋愛感情を募らせていき、2人の女性の間でふらふらと気持ちが揺れ動くまでになってしまう、身勝手で情けない変貌ぶりが絶妙に描かれている。
一方で、年齢を重ねて人生に疲れたのか、もはや恋愛に興味が無いスタンスを保ち、自分のペースで丁寧な暮らしを続けている女性が、不倫に走ったり、ついつい同居人に尽くしてしまう状況も興味深い。
恋愛という側面については、この2人が不安定で掴みどころが無いのに対し、研究一筋の大学院生はある意味単純で、非常に分かりやすい存在である。こんな単純な人物比較をするのは、まだまだ私の読みが足りないのかも知れない。ただし、この一冊に登場する美味しい手料理が、バリエーションや可変性、奥深さを兼ね備えるように、恋愛もまたしかりという仮説を提示しているのではないのだろうか。 -
心にじんわりと染み入る、いい小説だった。
人生を模索しながら、不器用に生きる登場人物たち。それぞれに共感できる部分があって、応援したくなった。そして、次々と並ぶ美味しそうなメニューの数々。心くすぐられて、再現したくなった。
人はみな守りたいものが違って、それでも折り合いをつけ、他人と繋がりながら生きていくのだということ。生き方も食事も、何が正解ということではなく、自分が心地よいものを選んでいくことが大切なのだということ。そんなことを考えさせられた。
年の瀬に、素敵な作品が読めて良かった。
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食の好みが合う人との食事って、最高ですよね。
こちらは、『食の好みが合う』という理由で同居を始めた2人の男女、そして男性の恋人が絡む物語。
3人の視点から綴られる、不思議な関係。
とにかく、美味しそうな食事がいっぱい!
いや、千早さんの筆力で、どんなものでも美味しそうと思ってしまうのかw
実家から届いた新米を土鍋で炊いて、塩むすびを作りたくなりました! -
千早さんが、感じている世界そのものを文字の中に全部入れて立体物として描きたいと語っているように、この作品は出てくる料理や生活にまつわる音が、感じられるお話でした。
デザイナーの夕香、夕香が昔バイトしていたお店の後輩だった正和、研究一筋の大学院生の華の視点で話は進んでいくので、3人の心情が伝わってきて、読んでいるのにまるで映画を見ている感じでした。