- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784409520697
作品紹介・あらすじ
1938年、京都の片隅で、その大学教員は治安維持法違反で逮捕された。クリスチャンながら共産主義を疑われ、特高の取り調べを受ける日々をコミカルに綴った表題作ほか、昭和史の核心を突くエッセイ群を収録。共謀罪成立の数年後を予兆する名著の新編。[解説=鶴見俊輔/保阪正康]
感想・レビュー・書評
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記憶は美化されていく。
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戦前に思想犯とされた人への弾圧がどのようなものであったのか、その獄中記を読んでみたいと思い本書を手に取った。著者でドイツ文学者の和田洋一氏は同志社大学予科教授だった昭和13年、共産主義者の嫌疑をかけられ、治安維持法違反の容疑で雑誌『世界文化』の仲間とともに検挙された(このときの一斉検挙は京都人民戦線事件と呼ばれる)。表題作「灰色のユーモア」は、このときの検挙から留置場や未決拘置所での生活、特高刑事や思想検事による取調べ、釈放後の保護観察と転職といった「過去の灰色の思い出」が綴られたものだ。表題作のほか、「私の昭和史」、「スケッチ風の自叙伝」を収録。
【以下、「灰色のユーモア」について】
治安維持法の時代というと、その一般的なイメージは当時アカとされた人々が特高警察などによって徹底的に弾圧され、激しい拷問を加えられたというものではないだろうか。また、その検挙された人物の獄中記となると、どうしても陰惨な内容を想像してしまいがちだ。こういったイメージは、間違いではないだろう。本作でも、朝鮮人がとんでもない拷問を受けている様子が描かれている。しかし、本作ではこのようなイメージに反するうえ、現代では少し考えにくい、ある種の緩さのようなものがそこには共存していたことが描かれているのが印象的だ。むしろ、その緩さの描かれているウェイトがかなり多い。このため、あまり苦痛を感じることなく読み進めることができるうえ、内容的にもとても興味深いものだった。
例えば、著者は捕らわれの身となった後も外の食堂から好きな料理を注文して食べていたのみならず、特高とともにではあるが街に出て風呂屋へ行き、レストランへ行き、嵐山の散策に出かけたことすらあった。未決拘置所へ送られる前日の、留置場生活最後の日には夜まで京都市内を遊びまわり、さまざまなおいしいものを食べさせてもらうこともできた。知識人である著者は、特高から身体的苦痛を加えられることはなく、むしろある程度大事にしてもらって、色々と便宜を図ってもらうことができた。そして、そのうちに特高たちとも仲良くなり、友達のように付き合ったという。
次に、著者はヒトラーを批判する反ファシズムの文筆活動を行っていたが、これは特高に目をつけられはしても、日本の法律によって罰せられる類のものではなかった。ましてや、著者は共産主義者ではなかった。こうしたことから、著者を共産主義者に仕立て上げて起訴したい特高と著者の間では、皮肉で、笑っていいのかいけないのかよくわからないような、珍妙なやり取りが繰り返されることとなる。
「私がつぎつぎとかいてゆく手記の中で、私のマルクス主義にかんする勉強の不足加減はおのずとバクロされていった。そして係長は次第に不機嫌になっていった。『君は大学の教授やないか、もっとしっかりせい』とどなられた。……マルクス主義者ときめてかかって検挙し、マルクス主義の勉強がたらんといってどなるというのは、すいぶんおかしなことであった。」
「またつぎの日は、和田君の理論は労働者なみや、さっぱりあかんと軽蔑したりした。」
著者はこともあろうに、以前著者のことを付け回していた特高だった男から、次のような思いがけない説教を受けたこともあった。
「和田先生、あんたは警察の取調べにさいして、さっぱりたたかっておらんではないですか。和田先生がマルクス主義者、共産主義者でないことは、誰よりも一番私がよく知っています。それなのにあんたはマルクス主義者にされてしまって、起訴されようとしている。そんなばかなことはないですよ。和田先生はもっとたたかわなけりゃいかんのに、ちっともたたかわなかった。だめじゃないですか……大事なときですよ。もっとしっかりせんといかんじゃないですか。」
本作では、完全に笑えないブラックジョークではない、笑えるような、笑えないような何だか微妙なこのようなやりとりが多数描かれる。
最後に、著者は困難な状況でもユーモアを忘れない人だったのだろう。著者が関西の人で、本作が困難な状況が過去のものとなった戦後に書かれたものであるということもあるのだろうが、作中ではひどい時代のひどい出来事も、基本的にはどこかユーモアが感じられる形で描かれている。こうしたこともあってか、読後感として、困難があったとしても生命の危険があるわけでないのなら結局は何とかなるものなのだと、励まされたような気持ちになることができる。
また、検挙されたのちの著者の扱われ方には、ナチスドイツなどでの思想犯、政治犯の取り扱いとはまったく異なる趣が感じられる。「灰色のユーモア」の作品名には色々な意味が込められているのだろうが、ここにいう「灰色」は、決して白くはないが、言論活動だけで殺されるナチス政権のドイツのような真っ黒な暗黒時代でもなかった、と解釈することもできるのではないだろうか。 -
東2法経図・6F開架 289.1A/W12w//K