千の顔をもつ英雄 下

  • 人文書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409590096

作品紹介・あらすじ

古今東西の神話・伝承に登場する英雄たち(アポロン、ブッダ、キリスト、マホメット、老子、アマテラス、…)を、ユング心理学の原理に立って分析し、そこに現れる無意識の象徴の意味を明かし、われわれが、己の内なる真実に心開くように励ましている。

感想・レビュー・書評

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  • P:284 抜き書き+感想:1668字 付箋数:3
    (対ページ付箋割合:1.06%、付箋毎文字数:556、抜書量加点+1)★★

    ・宇宙創成における流出の第一の意味は、空間という世界舞台の枠組みつくりであり、第二の意味はその枠組みの内部における生命の産出である。生命は男女二形態に分かれて、みずからを再生産しようとして両極化した。この全過程は性にかかわることばで、すなわち妊娠と出産でもって表現できる。こうした考えは、マオリ族のもう一つの形而上学的な系譜にみごとに表現されている。

    孕みから身二つに、
    身二つからもの思いに、
    もの思いから思い出に、
    思い出から気づきに、
    気づきから望みに。

    ことばが熟してきて、
    微光を宿し、夜を産んだ。

    大いなる夜、長い夜、
    いちばん低い夜、いちばん高い夜、
    肌に感じられる、厚い夜、
    手に触れられる夜、
    眼にみえぬ夜、
    死にいたる夜。

    生殖は無から、
    増殖は無から、
    豊饒は無から、
    増殖の力、
    生命の息吹は、
    影だにみえぬ空間に宿って、
    われらがうえなる大空を産んだ。

    大地のうえを漂う空、
    われわれのうえなる天空は、
    しののめの暁の輝きに宿って、月ができた。
    われわれのうえなる大空は、
    燦々たる光に宿って、太陽が輝きでた。

    月と太陽はわれらが頭上に投げ出された、
    天に輝く双眸となるように。
    大空は明るくなり、夜明け、朝、真昼どき、
    大空からの白日の強い輝きとなった。
    大空はハワイキとともにありて、
    大地を生み出した。

    >>/> もの思いから思い出に、思い出から気づきに、気づきから望みに。

    ・ゾロアスター教ジャムシード皇帝の伝説。
    「予に並び立つ者はいない。下界の学問は、すべて予の力で栄え、またわが大権を措いて、かように情け深く、誉れ高く、人びとの集う土地から病苦と窮乏を一層したものはなかったのだから。…
    ここにおいて皇帝は支配の恩恵とその超越的源泉との紐帯を断ちきり、己の任として支えなければならない立体的視座を打ち壊してしまっている。もうジャムシードは(彼岸・此岸の)両世界の媒介者ではなくなっている。視野が平板になって人間の領域にしか眼が届かなくなり、そのため天上の力の体験はたちどころに失効する。こうして社会を支える理念が失われる。社会を結びつけるのは力しかない。皇帝は人食い鬼=専制君主に転落し、簒奪者に転化する。こうなってしまった以上、かれの手から世界を救出しなければならない。
    >>/> 会社員が独立起業して、今まで付き合いは広かったのに仕事を貰えないのと似てる。親の庇護から独立して、それでも親とよい関係が築けないと社会で認められないのと似ている。結婚してしまうと、付合っていた頃のように相手に夢を見られないのと、少しだけ似ている。深くて、少し怖いくらい。

    ・イニシエーションと叙任の儀式は、個と集団が本質的におなじものであるという教訓を示しているし、四季の祭礼はこれよりもっと広大な地平を開示している。個人が社会の一器官であるように、種族や都市も―したがって人類全体も―宇宙という強力な有機体組織の一つの相にすぎない。
    通例いわゆる土着民の四季の祭礼は、自然を支配する努力として説明されるが、これは誤った説明である。支配せんとする意志は、人間のあらゆる行為に多々存在する。とくに雨雲を呼ぶとか、病気を癒すとか、洪水を防ぐのに考案された呪術をつかったセレモニーがこの種の例となる。それにもかかわらず真に宗教的なあらゆるセレモニーにおける支配的動機は、運命の不可避性を甘受しようとする動機なのであり、この動機は土着民の四季の祭礼にとくに顕著にみとめられる。
    いかなる種族の祭礼を検討してみても、冬が過ぎ去って行くのを妨げるような試みは記録されていない。むしろまったく逆なのであって、儀式はすべて共同体にたいし、自然界に生息するほかのものどもといっしょになってこの厳冬の季節に生きながらえるように準備させる。
    >>/> 儀式は理を変えようとしない。成功することしか儀式として生き残らない。せめて時間と空間を超えて、起こり得る事を今この場で起きるように願うだけ。儀式がなければ運命を甘受することに逆らうのも人間なら、必要なものとして儀式を産んだのも人間である。つまり本質的には自由であるのだな。何も無いとも言えるけれど。

  • ハイ・コンセプトからのリファレンス。下巻。

    上巻が、心理学上のアプローチから、なぜ神話(あるいは民話)間の構造に、共通項が発生するかという点に軸足を置いていたのに対し、下巻では、主に個別のイニシエーションを取り上げ、共通項の対比によって、それぞれが具象するものを展開していくという、言わばミクロ的なアプローチを取っている。

    こうしたアプローチは、寧ろ、英雄の特殊な能力を持つが故の孤独感、桃太郎で言えば「鬼を倒した後」の寂しさのようなものを浮き彫りにしているように思う。

    アメリカ版浦島太郎 リップ・ヴァン・ウィンクルの原書翻訳にあたったのが森鴎外だったとはびっくし。

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