- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784413042277
作品紹介・あらすじ
本能寺の変で信長と共に戦った黒人のサムライがいた。秀吉にバテレン追放を決意させた宣教師の誤算とは?日本史上に姿を見せるいく人もの外国人の活動を通じて、江戸時代以前の日本と外国との関わりをみる。
感想・レビュー・書評
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新書文庫
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日本を開国されたペリーは確かに日本史を動かした外国人だと思いますが、それ以外にも多くの外国人が日本の歴史を決定付ける役割をしていたそうです。
いつも興味をもって読ませていただいている武光氏の今回のテーマは、鉄砲伝来から開国前夜までの日本史を動かした外国人についてです。幕末頃に北海道の一部が租借されていたという事実(p189)を知って、大変驚きました。
以下は気になったポイントです。
・中央豪族の自立性を尊重する形の蘇我氏の路線では、中国に対抗する強国はつくれないとして、大化の改新が中大兄皇子(天智天皇)によって行われた(p22)
・15世紀初の文化先進地域は、西ヨーロッパ、イスラム、中国の3箇所であった、中でもヨーロッパは、武器(鉄砲)と羅針盤による航海技術で他地域よりも優位にたった(p32)
・コロンブスがアメリカに到達した2年後の1494年にトルデシリャス条約が結ばれ、ブラジルから日本の西半分までがポルトガル、残りをスペインとした(p36)
・ポルトガル人の種子島来航は、2度にわたり、1542年と1543年があり、後者が鉄砲伝来となる、2挺の鉄砲を銀200両(400万円)で購入した(p42)
・日本が鉄砲を有効に活用できてポルトガルに占領されなかったのは、火薬原料である硝石の輸入もあわせて行えたから(漂流者の私利私欲のため)かもしれない(p45)
・ポルトガル商人はヨーロッパよりもはるかに安価な日本銀を大量に入手して、大きな利益をあげた(p47)
・日本布教を終えたザビエルは、日本人が多くの質問をすることで、ザビエルにどれだけの知識があるのかを見極めようとしている、彼の行動とその教えが一致しているかを冷静に観察している、と認識した(p52)
・九州のキリシタン大名は、宣教師の言いなりであったが、京都付近の大名は宣教師よりも優位に立ってキリスト教団と接していて対応が異なっていた(p72)
・1578年の耳川の合戦で、大友宗麟が島津義久に大敗した時、イエズス会の宣教師は、日本の大名はポルトガルと対抗しえる軍隊になっていたことを認めざるを得なかった(p89)
・ポルトガルの宣教師たちは、日本には日本刀、槍、中国には、矛、青竜刀等のヨーロッパになち独自の武器があり、武芸も発達していて、植民地化は難しいと考えた(p91)
・キリストは日本を危うくする宗教と悟ったのは、スペインが広大な領土を支配できる仕組み(まず宣教師を送り、キリシタンに改宗、彼らと力を合わせて君主を倒す)を聞いたから(p107)
・1612年の時点で、国内キリスト教信者は30万人を突破(1%を超える)していた、キリスト教勢力は豊臣秀頼の近臣と深い関係にあった(p129)
・17世紀初頭のオランダの植民地は、インド、セイロン、インドネシア、台湾と多岐にわたっていた(p142)
・1867年にドイツ人(ガルトネル兄弟)は北海道の一部(300万坪)を99年間にわたり租借する権利を榎本武揚から得た、その後、日本側が6.2万ドルを支払う形でその権利を放棄させた(p189)