アイデンティティとライフサイクル

  • 誠信書房
3.30
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本棚登録 : 159
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784414414448

感想・レビュー・書評

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  • 2015.12.21
    心理学入門者の私にとってはちょっと難しい本だった。発達段階について知りたかったので掲載されている第二論文のみ読了。以外、私見を混ぜながら感想をまとめる。まず、前に心理学についての授業で、人間の生涯における二度の大きな危機について学んだ。ひとつは青年期、もうひとつは50歳前後の中年期である。これは発達段階で言えば前者はアイデンティティ統一か拡散、後者はインテグリティ(私は自分の人生に対する全面的肯定感と解釈)か絶望、ということになろうか。アイデンティティはもちろんだが、人間の寿命は本来50歳くらいまでであり、今や80歳以上まで生きれるような高齢社会となっているがこれは文化の産物である。しかしながら生物的には人間は大きくは変わっておらず、よって50歳という1つの人生の終着地点において、インテグリティか絶望という段階に至るというのは興味深い。言わば我々は文化によって、50歳以降という第二の人生を送る権利と機会を得ることができたということか。なんにせよまず大切なのはアイデンティティの統一である。これは幼児期から行われる漸次的な発達段階、つまり信頼と不信、自律と恥や疑惑、自主性と罪悪感、勤勉と劣等感という発達の壁を乗り越え得てきたものを統合するということである。これらの発達は、人間が成長し身体的知性的に発達するほど、人間関係や能力が拡大する段階に応じて与えられる壁である。イメージとしては、自分を中心とした重層構造の同心円があり、その円の壁に当たりながら次の円を描いていく、といったところか。まず信頼と不信では、母親と私における与えられる関係によって、世界に対する信頼感を構築できるかが問題である。赤ちゃんは一方的に与えられる受身的存在であり、そのあり方を通して、私はこの世界に受け入れられているか、世界は私を拒絶しない存在なのかということに対する信頼を学び、失敗すれば不信となる。つまり、"私は私が与えられるものである"という確信の結晶化である。次に自律と恥や疑惑では、両親との関わりを通して、多少世界に対し干渉する能力のついた幼児が自ら世界を試すことによって、つまり保持と排除によって、自分が世界の中で自由を持つのか否かを探る段階である。それはまた世界と私の違い、つまり自意識の芽生えの時期であり、親の過剰なコントロールなどにより自らの自律がうまくいかないと、自分の行動に対する確信が持てなくなり、自分に対する恥と疑惑、低い自尊心から自分は未熟で愚かと思うことによる人目に対する恥や、本当にこれでいいのか、自分に対する不信からくる疑惑の感覚を持ってしまう。"自尊心を失うことのない自制心"を養うのがこの段階であり、つまり、"私は私がしようとしているものである"という確信の結晶化である。次に自主性と罪悪感、ここでは家庭との関わりを通して、自分がいかなる人間になりたいか、理想像を見出す時期である。自主性とは、"私は私がこうなっていくだろうと想像できるもの"に対する、自らの理想像へ自ら向かっていくという意味の自主性である。4歳あたりのこの時期では、肉体的にも知性的にもいろんなことができるようになり、好奇心は爆発し、様々なことに浸入し、包含する。またこの時期はエディプスコンプレックスの時期でもあり、性的な目覚め、父母に対するライバル感情、空想的自我理想などにより、罪の感覚を覚える。自分の作り上げた理想像に対してどういう姿勢をとるかによって、自主性が罪悪感か別れるのだろう。次は学生となり、勤勉と劣等感、つまり"私は私が学ぶものである"という確信を結晶化させる時期である。ここでは様々な他者とのふれあい、勉強と遊びを通して、"現実の操作可能感覚"を養う。自ら仕事を完成させたり物を作ったりすることで勤勉性、何かを生み出す喜びを養う。逆にこれが上手くいかなければ劣等感や不全感となる。これは勤勉性が適切に育まれなかった場合、それはこの段階以前の段階をクリアしていないことにより勤勉の段階そのものに至れないことも起因する。そしてこの勤勉と劣等感の段階を通し、青年期の最も高い壁、アイデンティティの段階へと至る。ここではこれまで養ってきた感覚、発達段階を統合していく過程である。つまりこれ以前の段階で挫折があると、うまくアイデンティティの統合はできない。これまでは壁を通して何かしらを得るという形の発達だったのに対し、ここでは得てきたものを統合して、私は私だ、私はこういう人間だ、という感覚を得る時期である。アイデンティティの統合を通して、人間は一人前になる。そしてそこから、1人の人間としての確立した人格感覚を得てから、人との関わりの中で生きること、それは家族を作り、組織に属し、社会の中で生きていくこととなる。逆にアイデンティティを持たず拡散している人はうまく人間関係が築けず孤独になる。これが親密や連帯と孤独の段階。次に次世代を残すという段階になる。そして最後が上述の、中年の危機である。何より学べたのは、アイデンティティが1つの人間としての大きな壁であること、その統合に必要な材料を得るために1人の人間が構築しなければならない関係の種類と得るべきものがあるということ。つまり例えば母親との関係による信頼感がうまく構築できていなければ、いくら友達を持って横のつながりができても、真にアイデンティティが確立することはないということである。1人の人間が真に自立=自我同一性確立するための必要な関係の種類と、青年の危機と中年の危機に対する心理学的解釈、これは心理学版の「エミール」だなと思った。1人の人間の、世界に対する適応の歴史的変遷とも言える。大まかな視点や体系としては非常に興味深いのだがいかんせん頭が追いつかず、未だ理解が薄いので、より入門的な本を読むことで理解を深めたい。また、自らの幼児期の挫折を如何にのちになって克服するかという、アイデンティティ確立に向けた人間関係の構築法も知りたい。結局、人が人を作るのだなと、改めて思った古典的一冊。

  • やっとエリクソンの言っている事がわかった(気がする)という点で、読んでよかった。ディフュージョンが、退行のようなイメージから離れられず、第三論文はいずれ再読が必要かもしれない。

  • 141.93/エ

  • ムラート(白人と黒人の混血)やユダヤ系アメリカ人など、異なった複数のエスニックまたは人種に属する人。決して完全に相互浸透し、融合することのない2つの文化の周辺にいる人。二重の忠誠を求められる。自分は何者なのか。アイデンティティを確立しにくい。統一的な価値体系に基づく思考や行動ができない。2つの世界に住み、そのいずれの世界においても異邦人である。ロバート・パーク『人の移動とマージナル・マン』1928
    ※スラムは産業文明から脱落した人々が集まる社会的廃棄物の集積所。

    内的な同一性、連続性を維持しようとする個人の能力と、他者に対する自己の意味の同一性、連続性とが一致したときに生じる自信。アイデンティティ。▼アイデンティティは他者に承認されることで安定する。▼社会は青年に「自分とは何者か」を考える猶予期間(モラトリアム)を制度化している。猶予期間は今日、延長される傾向にある。青年期を過ぎたのに「自分とは何者か」が分からない人もいる。E.H.エリクソン、1977

    差別や偏見の対象になっている集団アイデンティティは必ずしも自尊心を下げない。黒人が就職に失敗した場合に「人種差別のせいだ」と言い訳ができる。Crocker & Major, 1989

    アイデンティティは社会の中で「自分は抑圧されている」という感覚により喚起される。依拠する集団は固定的なものではなく変化していく。アイリス・マリオン・ヤングYoung『正義と差異の政治』1990

    人はより大きな集団に所属することで、みなと同じになり安心したいというassimilationの欲求をもつ。同時に、人は他人とは異なる独自の存在でありたいうdifferentiationの欲求をもつ。小さな集団を選択した方が、他者との違いが鮮明になる。assimilationを犠牲にして、differentiationを上げる。相互に拮抗するため、需給のように最適なところでバランスされる。Brewer, 1991.

    少数集団は目立ちやすいため集団アイデンティティを意識しやすい。男性ばかりの職場にいる女性は、性別アイデンティティをより強く意識する。McGuire & Winton, 1979; Deaux, K. 1991.

  • 第1論文 自我の発達と歴史的変化―臨床的な覚書
    第2論文 健康なパーソナリティの成長と危機
    第3論文 自我アイデンティティの問題

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