- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422143774
作品紹介・あらすじ
キリスト教教育の世界に半世紀にわたり身を置いてきた著者は、そこで何を見、何を感じ、何を語ってきたのか。温かくも清澄なまなざしが捉えた、たゆみない実践の軌跡。
感想・レビュー・書評
-
某キリスト教系の女子大の募集停止のニュースを聞いた時、私は特別な感想を持たなかった。女子大はやっぱり経営が厳しいのだなとか、園芸科は就職が難しろうとか、郊外のキャンパスは募集しずらいのだろうとか、そんな程度の思いだった。翌日曜日、ある教会のネット礼拝を見ていて、このニュースを告げる牧師がみるみる涙声になり、それは悔しさの涙に見えて、そうか、これは一つのミッションスクールの閉鎖なのだ、日本のキリスト者、教育者の悲しみなのだと実感するに至った。牧師の涙から、その重みをようやく理解した。
この本には、数々の講演記録を通じて、明治以降日本の教育をリードしてきたミッションスクールの役割とその歴史がつづられている。江戸時代から受け継がれた儒教主義的な思想が支配していた明治初期の時代、松平定信は「女はすべて文盲なるをよしとす」と今ならTwitterで大炎上するであろうことを述べていたが、これが当時の日本の女子教育の常識であった。神の前に男女は人格として平等であるというキリスト教の価値観から、これに大改革を行ったのは当時の外国人宣教師たちであった。誰でも知る日本のミッション系スクールの数々の歴史がこの時代から生まれている。ミッションスクールは日本の教育全体に影響を与え、教育を近代化し、女性の知性がここに解放された。
明治後期から昭和初期、教育は富国強兵の人材育成の道具となりキリスト教的な教育が禁止され、学校としての認可を失いそうになったとき、当時の国内キリスト者たちは立ち上がった。戦後、民主主義を実現するための手段としてキリスト教教育はまたよみがえる。2006年学教育基本法の改訂でまたも揺らぎ始めた危機を指摘しつつ、ミッションスクールは今どのように危機的な状況にあり、いかに信仰の一致を持ってこれに立ち向かっていくべきかを本書は説く。詳細をみるコメント0件をすべて表示