七五調のアジア: 音数律からみる日本短歌とアジアの歌

制作 : 岡部 隆志 
  • 大修館書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784469222135

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  • 日本の和歌のリズムといったら五七五七七だが、アジアの他の地域の歌文化にも、五音や七音を基調とするものがあるとかないとか。そこで、日本古代文学研究者の呼びかけで「アジアの歌の音数律」をテーマにしたシンポジウムが、アジア民族文化学会で2007年と2008年に開かれた。
    これはそこでの発表論文をまとめた本。エンタメ的な要素はなくガチの学術本なので、章によっては目が素通りするだけの場合もあったが、そんな読み方でも気付けた発見もあり、自分としては読み時だったようだ。といってもシンポジウム開催から十年以上経っているので、研究の最新動向を知るという意味では遅すぎたかもしれないが。
    本の結論としては、七五調に関してあっと驚くような共通性がアジアにはある!という安易な話はなく、もっと調査事例をたくさん集めてかつ言語・文学・芸能・社会等々多面的な分析を行い類縁性や異質性を論じていかないとなんも言えないけどこういう視座を開いたことに意味はあった、さらなる研究が待たれる、という感じだった。もどかしい気持ちもあるけど、焦ってキャッチーな結論(アジアに広く普及する美しい七五調の起源は日本!今こそ七五調が世界を変える時!みたいな)に飛び付いてはいけない。でもそういうタイトルや帯が付いた本があったら話題になるかなあ。

    アジアの中に位置付ける、という試みもよいけど、万葉集の頃から今の今まで五七五が廃れてないというのもすごいよなあと思う。都々逸、歌舞伎の名台詞、短歌や俳句といった古そうな?芸術っぽい?分野だけでなく、サラリーマン川柳、おーいお茶の新俳句大賞、交通安全などのキャンペーン標語、はたまた「赤信号 みんなで渡れば怖くない」とか、ポケモンアニメのロケット団の登場シーンとか、まあどれもやっぱり古くさい風味はするかもしれないけど、七五調にのせるとなんだか気持ちいいという合意は千年以上崩れていないのだ。それが世界に類を見ないかどうかは知らないしどうでもいいけど、なんかロマンを感じる。

    以下は備忘メモ(私が気になったところだけ)。

    ■西條勉「アジアの中の和歌」
    ・記紀歌謡は七五調じゃないものも多いが、万葉集は七五調。文字の普及によって、歌が「旋律に乗せて“うたう”」ものから「文字を見て“よむ”」ものに変わっていったことが、音数による定型を生むことになったのでは、という説の紹介。これは和歌成立論としてはほぼ通説とのこと。
    ・日本語は二音でまとめたくなる傾向がある。「ハガ|キ」「エハ|ガキ」のように。さらにこれが四つ連なった八音を一行、一息、ワンフレーズとするとすわりがよい。これに休符を織り交ぜ…ともっともっと展開して、日本語話者にとってなぜ六六でも四八でもなく七五調が気持ちいいのかを説く坂野信彦理論の紹介。(わかったようなわからんようなだったが、この本の書かれた時点ではこれが最前線のようだ。)

    ■松原朗「中国古典詩の音数律~対偶性と人為性」
    ・五言絶句や七言絶句があるから日本の七五調との関連が言われることがありそれを全否定するわけではないが、五とか七とか数えてる単位というか階層が、中国古典詩と和歌とでは違うんだよね、という指摘。
    ・それより、中国古典詩では対句のシンメトリーな美しさが重要視されている。それに対して日本の美は非対称性にあるというのはよく言われることだ。(つまり、中国古典詩は日本の和歌の七五調とはほぼ無関係と言いたそうに見えた。)

    ■皆川隆一「ヤミ歌謡に音数律はあるのか?」
    ・まず、音数とはなにか?「ニッポン」は四音ともいえるが「ニッ|ポン」で二音と捉えているときもある。「dog」は「ドッグ」だから三音か?英語話者はそうは捉えないだろう。「dog」は「dog」で一音だと捉えるとき、「音節(syllable)」を数えている。「ニッポン」を四音とするときは、「モーラ(mora)」を数えている。(「ニッ|ポン」は音節なのかな?)とにかく音数の数えかたはそう単純じゃない。(そりゃそうだわなあ。)
    ・そういう、このシンポジウムのテーマ設定を揺さぶる問題提起をした上で、さらに自分の担当分野であるヤミ族歌謡には音数律はなさそう、という報告。(内容的に期待に沿わない論旨でありながら、それでもテーマに寄せた議論をしようとしていて読みやすく、妙に印象深かった。)

    ■工藤隆「アジアの歌文化と日本古代文学~あとがきにかえて」
    ・アジア民族文化研究のあゆみでいうと、神話研究といえば昔は「話型」や「話素」による分析ばかりだった。これからは、「表現態(書かれるのか語られるのか歌われるのかなど)」や、「社会態(どのような社会機能を持つか)」の視点をどんどん取り入れていくべき。
    ・歌垣文化圏と兄妹始祖神話文化圏という視点で類縁性/異質性を見ていくと、いろいろ面白い。歌垣があると音数律がある、という法則が一見ありそうだが、そうでもなかったり。(結局そういうわかりやすいことは何も言えないのだ。でも面白い。)

  • 和歌は日本独特のものだと思う。が、特殊なものかはわからない。
    その意味で、アジアの歌の中に置いてみるというのは、とても魅力的な試みだと思う。
    ただ・・・漢詩くらいならどうにかどんな歌なのかは分かるが、それ以外のものは、イメージがなく、読み進めるのがこんなに大変だとは思わなかった。
    恥ずかしながら、琉歌さえ、よく分からないのだ。
    せめて、音源でもあるととてもありがたかったのだが・・・専門書であるため、仕方がないか。

    この本でも、坂野信彦さんの説に、何人かの論者が触れていた。
    坂野説は、五音、七音が、四拍子等拍のリズムを保ちながら、拍と意味の切れ目がずれる破綻を調整するのに有用だというもの。
    私も彼の本を読んで、なるほどと思った。ただ、その後専門家の間でどれくらい支持されているのかが知りたかった。
    この本の論者たちの中でも、多少の立場の違いはあるようだが、概ね受け入れられているようだと分かった。

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