自立する家族

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  • 淡交社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473018236

作品紹介・あらすじ

21世紀どうやって生きる!迷走する日本社会の病巣にメスをいれる迫真のレポート。

感想・レビュー・書評

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  • (2004.09.08読了)(2002.03.12購入)
    全体の3分の2ほどは、「週刊女性」に「鎌田慧の眼」として1997年12月から2001年3月に掲載したもの。テーマは、少年問題、過労自殺、環境問題といったところです。
    頭の3分の1は、幾つかの雑誌等に掲載したものの再録です。
    ●自立する家族
    最初の話は、15歳でインターネット関連会社「クララオンライン」を創業した少年の話。鎌田さんがインタビューした2001年で創業4年。少年は19歳。電通やNTTの関連会社と取引がある。
    少年は野球選手になるつもりで、野球に専念するために私立中学に入学した。中学2年の時に「脳腫瘍」と診断された。手術をしたのだが医療ミスで、腰から下の機能が麻痺してしまった。リハビリのため一年半入院生活を送った。入院生活で、母親が自宅から持ってきてくれる何種類かの新聞を隅から隅まで読んで過ごしているうちに株価の動きに興味を持ち、株についての入門書や証券会社のパンフレットを母親に頼んで入手してもらい研究した。株の値動きを研究するならパソコンが便利だよと、たまたま隣のベットに入院した男から教えられ、母親に頼んで25万円のパソコンを買ってもらった。パソコンのエラーメッセージが英語で表示されるので、英語の勉強も始めた。ソフトを作り始めた。3作目のインターネットを使うソフトがアメリカ、香港、台湾などのビジネス誌で取り上げられて、売ってくれという話があった。台湾のメーカーからの話に乗って事業を起こそうとしたが、何せ14歳だったので父親に反対され、ソフトはただで上げてしまった。
    1997年5月「クララオンライン」を法務局に登記し、サーバー2台で、レンタルサービスの事業を開始した。資金は、パソコン雑誌への投稿で稼いだ貯金100万円。
    動かなかった下半身も成長期にあったせいか脳神経が回復して歩けるようになった。歩けるようになってからは父親との約束で、人の下で働くことになっていたので、コンビニでのアルバイトをこなした。社会勉強、売り上げから利益、給料のつながりがわかった。大検は受かっていたので、18歳で、慶応大学の通信制に入学。法学部を専攻。商法について学びたかった。受け取った小切手が不渡りになって、損をしたことがあるので、防衛方法を学びたかった。
    いまは、世界のティーンエージャーの経営者の集まりに参加したりしている。
    日本にも、ビル・ゲイツみたいな若者が生まれつつあるのか?

    著者 鎌田 慧
    1938年 青森県弘前市生まれ
     早稲田大学文学部卒業
     ルポライター
    1970年 「ドキュメント 隠された公害」(三一新書)でデビュー
    1989年 「反骨 鈴木東民の生涯」(講談社)で新田次郎賞受賞
    1991年 「六ヶ所村の記録」(岩波書店)で毎日出版文化省受賞

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著者プロフィール

鎌田 慧(かまた さとし)
1938年青森県生まれ。ルポライター。
県立弘前高校卒業後に東京で機械工見習い、印刷工として働いたあと、早稲田大学文学部露文科で学ぶ。30歳からフリーのルポライターとして、労働、公害、原発、沖縄、教育、冤罪などの社会問題を幅広く取材。「『さよなら原発』一千万署名市民の会」「戦争をさせない1000人委員会」「狭山事件の再審を求める市民の会」などの呼びかけ人として市民運動も続けている。
著書は『自動車絶望工場―ある季節工の日記』『去るも地獄 残るも地獄―三池炭鉱労働者の二十年』『日本の原発地帯』『六ケ所村の記録』(1991年度毎日出版文化賞)『ドキュメント 屠場』『大杉榮―自由への疾走』『狭山事件 石川一雄―四一年目の真実』『戦争はさせない―デモと言論の力』ほか多数。

「2016年 『ドキュメント 水平をもとめて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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