- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784473043986
作品紹介・あらすじ
〈人類学者梅棹忠夫の「日本人の宗教」観は、やっぱりユニークだった〉
〈幻の梅棹忠夫著「日本人の宗教」を、生誕100周年を機に刊行〉
人類学者梅棹忠夫(1920〜2010)は『梅棹忠夫著作集』全22巻+別巻を刊行、1969年刊の『知的生産の技術』が99刷を重ねている知の巨人です。淡交社が昭和44年より刊行した「世界の宗教」シリーズの掉尾12巻は、梅棹忠夫著「日本人の宗教」を予定するも、刊行が叶いませんでした。本書では、梅棹資料室に残されている、執筆のメモ書きに相当する「こざね」約500枚を手掛かりに、氏がどういう話を展開しようとしていたのか、中牧弘允氏が推理しました。本稿を中心に、日本宗教に関する梅棹氏の論考・対談を集めて、幻の「世界の宗教」第12巻「日本人の宗教」を、生誕100周年(没後10年)を機に刊行します。
感想・レビュー・書評
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https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/743357詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私の力では読み進めることができなかった。
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技術体系として宗教を考える。例えば、自分の精神のなかで、むずかる子供の頭を撫でて`静まりや 静まりや`と鎮めるプロセスの技術体系、ではないかと。 目が見えなくなり入院生活を送ったことで、陰々滅々とした病院の現状等に気つく。考えるに、現在の病院には、患者を励ます体系が欠落している。医学の世界には、すっぽり抜けている部分がある。魂の成長というか、心構えをつくる技術が欠落している。今の時代は、医療に関わるみっつの産業、病院、宗教、葬儀屋、のそれぞれが、妙な棲み分けを行っている。世の中を覆う合理主義に追いやられ苦労している、宗教者達に告げる、万国の宗教者、団結せよ、と。私は、明るいペシミストなんや。
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40年以上まえだけれども、父母姉と4人でくらしていたころの正月は、「おいわいやす」ではじまった。おはし紙には父が毛筆(すでに筆ペンだったけれど)で書いたそれぞれのなまえがあった。おぞう煮はもちろん白みそだった。そんなことは、とっくに忘れてしまっていた。本書をよんでいて、なつかしくおもいだした。昨年実家をかたづけた。仏壇も神だなもなくなった。梅棹先生のおうちでは、先生が土着主義的伝統主義者で、奥さまが開明的な近代主義者だったそうだ。つまり、先生は伝統的な形式にこだわり、奥様はもういいのではないかという。しかし、ある年先生は気づく。自分がやっていたのは「正月の美学」だったのではないか、そして奥さまは「趣味の満足のために神さまを利用してはいけない」という。なるほどなあ。奥さまが、いっさいの神事をおこないたがらないのは、「さわらぬ神にたたりなし」という原則だったそうだ。私もどちらかというと伝統的な行事はいっさいおこなわない。けれども、それぞれのものには神がやどっていると無意識にはかんじている。だから、しばらく家をあけるときには、なにものかにむかって「よろしくね」などといっている。わが家での宗教的な行事とはなんであろうか。こどもがちいさなときは、クリスマスケーキをかってたべてはいた。いまはもうしていない。両親がなくなったことで、年に1回墓まいりにいくようになったことくらいだろうか。ところで、梅棹先生がのこされた「こざね」をつなげてストーリーをつくろうとされているが、なかなか真意はつたわらない。先生自身の論理展開をよんでみたかった。