ミライの源氏物語

  • 淡交社
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473045485

作品紹介・あらすじ

〈ルッキズム、ロリコン、不倫。現代を生きる私たちは名作古典「源氏物語」をどう読めるか〉
〈人気作家・山崎ナオコーラによる現代人のための「源氏物語」エッセイ〉
現代人が「源氏物語」を読むときのハードルとなるのは、ひとつは言葉の違い(古文の読解)、そしてもうひとつは倫理観や
社会規範の違いです。本書は、社会の在り方に長く向き合ってきた作家・山崎ナオコーラさんが、深く愛する古典「源氏物語」
について、現代人ならではの読み方を考えます。より現代的な訳を目指した「ナオコーラ訳」も読みどころのひとつ。

感想・レビュー・書評

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  • 源氏物語を読むときに自分の価値観がどうしても出てきてしまい、違和感というか、はっきり言って気持ち悪いなという感情を隠しきれない私には救いになった!

    読めば読むほど、よく古典の授業で取り上げられるなぁと思う。
    光源氏も薫も匂宮もナチュラルに残酷な人間だし、女たちは気の毒だが、生きる力が乏しくてイライラすら感じてしまう。
    とは言え日本が世界に誇る物語ということは否定できないので、こういう感情を持つことが読書を楽しめないようで嫌だった。

    でもこの本のお陰で違和感を感じることは悪くないのだ、むしろ現代人の楽しみ方なのだと肯定されるので、非常によかった。
    光源氏はマザコンでロリコンのボンボンなんだー!!と誰かに教えたい気持ち。
    学校で教えてもいいくらいだと思う!

    ちなみに大変失礼ながら、山崎ナオコーラさんと田口ランディさんがごっちゃになっていて、ナオコーラさんをやっと正確に認識できた。
    ナオコーラさんの現代語訳の源氏物語をもっと読んでみたい。

  • 山崎ナオコーラさん連載【未来の源氏物語】第1回「どうやって時代を超える?」♯4|編集の現場から|淡交社 京都の茶道美術図書出版社
    https://www.tankosha.co.jp/editor/post-6500/

    ミライの源氏物語 | 書籍,一般書,小説・随筆 | 淡交社 本のオンラインショップ
    https://www.book.tankosha.co.jp/shopdetail/000000001869/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      ベスト 『ミライの源氏物語』 | 教文館ナルニア国
      https://onl.bz/Vzepbq8
      ベスト 『ミライの源氏物語』 | 教文館ナルニア国
      https://onl.bz/Vzepbq8
      2023/11/09
  • 「ドゥマゴ文学賞」受賞の記事を見て、ずっと読みたかった古典エッセー本。
    ナオコーラさんの文章はとてもわかりやすく、
    平安時代が丸ごと現代にやってきたようなワクワク感があった。

    「源氏物語」の読みにくさを越えるには
    ①現代語訳で物語を楽しむ
    ②平安時代の社会規範を知る

    平安時代の身分制度はしっかりあるのに、婚姻制度はなく「正妻」のような人がいて「妾」のような恋愛相手が何人もいて…と、次第に「雅な世界」を裏側から覗き見ているような心境にさせられた。ルッキズム(容姿差別)、ロリコン、マウンティングなどの視点で登場人物をみていくと、これはさすがに酷いのではと思う場面も少なくなかった。
    「若菜下」で柏木が女三宮にした行為は今なら犯罪だが、女三宮を「光源氏を裏切った人」との描かれ方は私でもモヤモヤしてしまう。

    ジェンダーに興味を持つナオコーラさんは「なぜ人間はカテゴライズをしてしまうのか?」と問い続けていると言う。
    文中で「女性」「男性」の言葉を排し「その性別の人間には〜」と書かれてあった理由がようやくわかった。
    〔ナオコーラ訳〕はとても滑らかだ。
    現代語訳『源氏物語』が出たら是非読んでみたい。

  • 「源氏物語」を今更どう読む?もう出尽くしてるのでは?と思ったのだが、なかなか潔い解釈で面白かった!

    映画の「TAR」を最近見たのだが、バッハやショーペンハウアーの人格(かなり家父長的)に作品はどう影響するか、またその作品をどう扱うかについての話題が出ていた。
    考えてみると、前近代の作品群はほとんど全てが、その時代の価値観に基づいて作られているわけだ。「源氏物語」もまた然り。時代の差別的な価値観はなかったことことにはできないし、ましてや、それを善きものとするわけにもいかない。それはそれとして、認めた上で、さあ、どうだ、というしかない。
    「無理に進歩的な作品だと捉える必要なんてありません」「昔に差別があったのは事実です。」

    そういうスタンスで読むと、著者の言うとおり、確かに、「貧乏は面白い」なんていう思いが紫式部にはあったのかもしれない。こんな視点は目から鱗だ。
    そして、光源氏を裏切ったとされる女三の宮はむしろ性被害者だという視点。
    女三の宮や浮舟の不当な評価はいかがなものか、という著者になるほどなと思った。そういえばそうじゃん!なんで今までそんなことに蓋をしてきたんだろ?
    女三の宮が脇が甘いからと言って、レイプされていいわけはない。女三の宮は、光源氏を裏切ったわけではない。悪いのは柏木だ。女三の宮は柏木に心を許しているわけではない。
    「子どもっぽいのは罪でしょうか?字が下手だったら、夫から愛されなくても仕方ないんでしょうか?異性に姿を見られたら、性暴力を受け入れないといけないんでしょうか?」

    山崎ナオコーラはやさしく、公平だ。そして、その視点で、なんとなく鵜呑みにしてきた登場人物たちの評価を見直させてくれる。

    LGBTQ+の人たちが先進的に見えるかもしれないが、先史時代からきっといたはず。という指摘もその通り!だと思う。むしろ自由に暮らしていたかもしれない。

    十分知ってる、と思った「源氏物語」を新しく公平な視点で照らし直してくれた良書だと思う。

  • 源氏物語は漫画でしか読んでいなくて、最後の巻の終わり方は知らなかった。源氏物語は、この物語が描かれた時代よりさらに50〜100年くらい前の設定で書かれているらしい事や、原文には個人名が書かれてなくて、後の時代の人が名付けていった、というのも知らなかった。確かに高貴の人の名前を呼ぶ事が憚られたので、主語はあえて明記せず、敬語の使い方などで、誰の行動なのかわかるように書いていたというのは、当時としては普通の感覚なのかも。日本語ってすごいな、と思ってしまった。
    そして、書かれている物語の内容が、確かに今なら性暴力で訴えられるような事なんだと思った。
    漫画で読んだ時は、そこまで深刻にとらえていなかったけど、日本の女性蔑視の感性を男性にも女性にも刷り込んでしまったかも、とも感じた。好きでもない人に強姦されて、その人に保護してもらうしかなかったなんて、気の毒すぎる。
    作者は、文学の読み方は人それぞれなので、別に原作を責めてないよ、と書いているけど、源氏物語の全訳が夢です、というのはほんとかな?

  • 大河ドラマ「光る君へ」の導入として(今年は10年以上ぶりに大河ドラマを観ようとしている)。現代におけるいろいろな角度からの視点で『源氏物語』を切り取る試みは他書とは一味違ってなかなか面白い。「ロリコン」「マザコン」「マウンティング」「トロフィーワイフ」「エイジズム」など。山崎さんによる『源氏物語』現代語訳フルバージョンを読んでみたい。

  • これは、学級文庫に置いておくべき本。
    (ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルーと共に)

    ラジオが好きで、人の話を聞くのも好きなので、高校時代の古典の授業は楽しかった。だけどその一方で、古典文学そのものに面白さを感じたことは皆無だった。
    それどころか、学校で開設されている授業の中で一番不要な科目は古典、とさえ思っていた。

    だけど大好きな作家のひとりであり、大学で源氏物語を専攻していたナオコーラさんが社会的な観点でいち現代人として解釈した本冊は、読まないわけにはいかなかった。
    帯にびっしりと書かれた、「ルッキズム」「ロリコン」「マザコン」「ホモソーシャル」「貧困」「マウンティング」「トロフィーワイフ」「性暴力」「エイジズム」「産んだ子どもを育てられない」「不倫」「ジェンダーの多様性」という文字列に読む前からワクワクが止まらない。
    結果として、2時間くらいで読み切ってしまった。


    特に印象に残った項は、「ホモソーシャル」。
    聞いたことがあるようでよく知らない言葉だったが、仕事仲間、趣味のグループなどで、同性だけで集まり、結びつきを強固にしようとすることを指すよう。
    相手と自分の性別が同じときに、「同じような恋愛してるよね?」「似たような結婚観だよね?」「こういういう異性は嫌いだよね?」といって会話で仲良くなろうとするひとをよくよく見かける。

    この言葉は主に男性同士の結びつきを表すようだけれど、これはミソジニーや異性差別へも繋がっているような気がする。
    よくネットでも「女さん〇〇してしまうww」といった掲示板を見かけるし、男性だけでなく女性もメディアなどで夫の悪口を言って盛り上がっている場面をよく見かける。
    (だからいわゆる恋バナというものに私は嫌悪感を感じるんだな、と腑に落ちた)
    そして、こういう角度から源氏物語を読むと面白い。今から千年も前の平安時代にもホモソーシャルがあったんだ、とか考えると面白い。


    また、「性暴力」について描かれている項もショッキングだった。
    (平安時代の恋愛は「垣間見」から発展することが多かったようだが、)柏木が庭で蹴鞠をしていたところ、猫が走り回ったせいで御簾がめくれ上がり、部屋の中にいた女三宮の姿が見えてしまう。柏木が女三宮に思いを寄せるところから物語は始まる。女三宮は光源氏と結婚しているが、ある日柏木は思いを抑えられず、女三宮に性暴力を振るう。

    通常であれば、柏木が責められる立場であり、現代であれば犯罪として取り扱われることだが、むしろ「光源氏を裏切った」女三宮が「不用意に外に姿を見せた」と責められ、子どもっぽい、人間として不出来であるというイメージが物語の中でも作られていく。女三宮は結局一回の柏木との行為で子を身籠ったものの、子を愛せず病に伏し、出家をするという物語の運びのようだ。(また、源氏物語ではこういった描写が他にも多くあるそう)
    "通常であれば"と書いたが、残念ながら現在の日本でも「性暴力を振るわれた側」が隙があった、誘惑するような服装をしていた、などと咎められることがある。1000年もの間、人間の考えがこんなにも変わっていないなんて、と驚き失望する。


    また、「エイジズム」の項では自分自身の無意識の差別にハッとさせられた。
    現代日本は少子高齢化の歯止めがかからず、若い世代の負担がどんどん大きくなっていることから、制度に問題があるにもかかわらず見当違いな差別を高齢者に向け、何かにつけ「老害」などと言った言葉で揶揄する場面に度々出くわす。
    源氏物語の登場人物では年配者である源典侍の恋は、「面白いもの」とされ、コミカルに描かれている。恋愛に限らず「その年齢なら、こういう活動をするべきだ」「その年齢なら、こういうファッションをするべきだ」という具合に、社会は年齢によって行動や容姿に圧力をかけている。
    若い人が高齢の人に向かって、アップデートを促すのでなく、バッシングしたい気持ちから、「勉強してください」というのは、差別である。


    人種や性別による差別には敏感である方だという自負のあった私が、自分も知らず知らずのうちに差別をしているんだという自覚を持つことは本当に大切だと思った。(上野千鶴子さんの言葉で言うなら、常識の関節外しだ)差別をする人の大半は、自分が今、どれだけ邪悪な顔をしてその言葉を吐いているのかわかっていないはずで、悪意に気付いていない場合(またはわかったうえで面白がっているが、それがいかに悪いことが見ないようにしている場合)が多いように思える。


    以下、プロローグより印象に残った箇所
    P. 19-
    自分の性別は曖昧にしており、「なぜ人間はカテゴライズをしてしまうのか?」と考えることをライフワークにしています。そんな私でも、この先どんなに生きても自分がジェンダーから完全に自由になることはないだろう、という自己認識を持っています。私も、差別をしてしまいます。私は、自分が育った時代や場所から影響を受け、固定観念や差別感情を、どうしてもなくせないのです。新しい人に出会ったとき、私はその人の性別をどうしたって推し量ってしまいます。性別に関係なく他人を見ることがなかなかできません。しみついた性別感は消えません。私は差別をしていますし、これからもします。ジェンダーバイアスを自分のセンスから完全に取り除くことは、死ぬまで出来ないでしょう。


    まずは、知って自分の中の差別感情を認めること、疑うことから社会は変わると思う。
    源氏物語を学校で学ぶ高校生以外にも、国語の教員に従事している人、目指している人も全員読んでほしい本。
    読み解き方だけに焦点を当てる授業だけでなく、そこから学び取れることや自分の考えへの気づきにつながる授業が展開されれば、古典を学ぶ意義になると思いました。

  • 源氏物語を「ルッキズム」「ロリコン」「マザコン」「ホモソーシャル」「貧困問題」といった現代的な感覚に当てはめて読んでみる、という試みの本です。期せずして似たようなことをしながら源氏物語を読書中だったので、なんだか親近感を覚える本でした。

    文学的な凄さ、素晴らしさ、その価値については1/3を読んだ時点でもうすでに十分認識しているけれど、千年前に書かれた本であることから、当然ここで用いられる価値観に違和感を感じることはある。というか私はそういう現代的な感覚に当てはめたときツッコミどころとなる部分をメモしながら読んでいるので、この本でナオコーラさんが言いたいことはよくわかるのだ。古典(に限らずだけど)を読んだとき「変だ」と感じるその感覚は決して間違いではなく、むしろ大切にすべきもので、その上で、ならばなぜ、これほど長い間『源氏物語』は愛されてきたのか、それを考えることもまた重要な点だろう。

    当たり前だけどこの本は「だから源氏物語は良くない」なんて言ってるわけでは全然なくて、むしろこの長きにわたる物語を通して、いまの私たちが生きている社会に通底する課題が見えてくるよねってスタンスの「豊かな」読書を促すために書かれている。

    特に、本書の「出家」および「受け身のヒロイン」の章ではナオコーラさんなりのラストの解釈が書かれていて非常に面白かった。人の心の機微を繊細にとらえ、人生の無常を描いた『源氏物語』が、どう着地したのか。解釈は様々にあるだろうけどかなり核心を突いていると思ったし、文学者としての紫式部の精神が、物語を書いていくことでどう変化したのか、というところにまで踏み込んでいて興味深かった。

    また、ところどころで挟まれるナオコーラ訳の源氏物語がとても好い。現代の口語体で書かれており、コミカルな雰囲気が強めで楽しい。これくらい親しみやすい翻訳ならもっともっと手に取る人が増えるだろうなと思う。

    価値観は常にアップデートされていくものであり、社会やコミュニティによってその良し悪しは変わってくる。であるならば、なおのこと、いま『源氏物語』を読む読者にとってこの本に書かれていることは重要だ。書かれているテーマは多いが、端的にまとまった文章はスッと読者の胸に入ってくるだろう。『源氏物語』の合間に読むのにうってつけの本だった。

  • ※性加害について言及があります。ご注意ください

    大河の影響もあり、源氏物語関連の本を読みたいと思って図書館で借りた本だった。
    そして図書館で借りて数日経ってからTwitterのほうに以下の記事が流れてきたのを見た

    https://co-coco.jp/series/study/fiction_kimiyoogawa/

    過去に好きだった作品が今の視点からだとカジュアルな性加害の描写、偏見や差別を助長する表現などがあり楽しめなくなってしまう。でもその作品を好きだったころの自分を否定したくはない

    本や漫画やアニメや映画など、あらゆるフィクションを好きで、なおかつ誰かを踏むようなことをしたくないというアンテナを張っている人ほど抱えてそうな悩みの話だった

    そして、私がまさに抱えている悩みでもあった。この記事で英文学研究者でる小川公代さんがまさに山崎ナオコーラさんの著作である「ミライの源氏物語」が紹介されている

    ”人の人生をまるまる文脈として捉えないと、本当は人間って判断できないと思うんです。そういう意味で一番わかりやすいのが、山崎ナオコーラさんが最近書かれた『ミライの源氏物語』。1000年の時間を隔て、現在の文脈で『源氏物語』を読み解いたときに何が言えるかということに注目して書かれた本で、本当に面白いんです。『源氏物語』って今の常識で読むと、性暴力や不倫、マウンティングなど問題だらけの作品ですから。”

    ↑の記事の引用のように源氏物語を現在の価値観で読むことの意味や楽しみ方を書いている本だ。安心してほしいのはこの本を読むにあたって源氏物語をすでに読んでいる必要はあまりないということだ

    もちろん読んでいたほうがわかりやすいのだろうけど、この本はそれぞれの章で該当する話を解説しながら書いてくれているので、源氏物語なんて高校の古文以来ノータッチですが!?っていう人も内容がわかる仕様になっている。むしろこの本を読んでから源氏物語の現代語訳なりを読むほうが源氏物語の読み方がわかって楽しめるかもしれない

    性加害の項目に女三宮の話が出てくる。女三宮とは、光源氏の妻である。しかし、光源氏の親友の息子である柏木にふとしたきっかけで顔を見られ、思いを募らせた柏木は彼女のもとへ忍び込み無理やり思いを遂げる。さらにこれがきっかけで女三宮は妊娠してしまい、生まれた子が源氏物語の第三部の主人公「薫」である。女三宮は色んな源氏物語の研究者や批評家に不義密通をしたという解釈がなされ、薫も不義の子と認識されている。

    …という本当に本当にひどい展開だ。女三宮は13歳で光源氏の妻になり、あまりに子供っぽいので光源氏にとっては魅力的に映らない。それもそのはず女三宮は朱雀帝の第3皇女でこれは光源氏の立身出世のための結婚だからだ。そのうえ不義密通からの出産。そのため源氏物語に出てくるたくさんのヒロインのなかでも、女三宮は人気がない。山崎ナオコーラさんは女三宮を『性被害を受けたばかりか、光源氏からも読者からも愛されない』と著作のなかで書いている。源氏物語の当時の価値観からすれば、こういう形で始まる恋愛はオーソドックスなほうで、さらに顔が見えてしまうという隙がある女三宮が悪いという感覚なのだ

    私は女三宮のことを想像するだけで胸が苦しく、涙が出る。あまりにも、あんまりではないか。それと同時に胸を張って言えるのは、私は光源氏よりも柏木よりも女三宮のことを不義密通をした愚かな女と解釈した学者よりも、これはしょうがないことだとする当時の読者よりも確実に女三宮へ寄り添えるということだ。これは今の、2024年の価値観を持つ人間でないとできない。きっと山崎ナオコーラさんが言いたいのはこういうことなのだと思う。1000年の時間を経たからこそ、当時悲しみを理解できなかった読者よりも女三宮の悲しみをつらさを、経験したむごさを理解できる

    他の章では源氏物語には当然ながらLGBTQ+の人たちも出てこないことを書いている。この書かれていない人たちのことをに思いを馳せることも今このときに読んだからできることだ。他にもロリコン、マザコン、トロフィーワイフなど。それぞれのテーマを設けて源氏物語を今の視点から読み解く解説をしている。今の観点で読むからこそ、登場人物の苦しみを深く理解し、肌で深く感じることができる

    個人的には差別的な表現などで作品を楽しめなくなる、というのはここ最近私が考えていたことで自分でもそれらの作品に対してどういうスタンスを取ればいいのかわかっていなかった。だからこの本と小川さんの記事でそういった表現を含めてフィクションを楽しむ方法を得られて安心できた

    きっと同じような悩みを抱えている人もいるだろうから、そういう人にもぜひ読んでほしい

  • 大学でも源氏物語を題材にした卒論を書いたという山崎さんが、現代の目で源氏物語の世界を評する。
    確かに今の感覚で言うと、女性蔑視、男性が一方的に気持ちを相手に押し付ける恋愛観、等々ツッコミどころ満載の物語だけに、それは厳しすぎる、もしくは興醒めに感じる人もいるかもしれない。
    しかし、紫式部もまた、当時の状況をただ受け入れていたわけではなく、彼女なりの醒めた視線が、男の所業を冷ややかに見つめる目を持っていたのではないか。そんな作品。

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著者プロフィール

1978年生まれ。「人のセックスを笑うな」で2004年にデビュー。著書に『カツラ美容室別室』(河出書房新社)、『論理と感性は相反しない』(講談社)、『長い終わりが始まる』(講談社)、『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)、『昼田とハッコウ』(講談社)などがある。

「2019年 『ベランダ園芸で考えたこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

山崎ナオコーラの作品

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