すべての戦争は自衛意識から始まる---「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に訊きたい

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  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478029251

作品紹介・あらすじ

「反日」「国賊」「売国奴」…。いつのまに、こんな言葉が跋扈するようになったのか?加害の歴史から目をそむけ、仮想敵国の脅威と自衛を叫ぶこの国は、再び戦争を選ぶのか。この社会を覆う不安の正体に迫る渾身の論考。

感想・レビュー・書評

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  • 相変わらずどきりとする森達也の著作である。本書もそうだ。「これ、
    私のことじゃん」と思う指摘もちらほら。でも、森さん、少々拗ねてる?
    ネットで叩かれ過ぎたから?それとも日本の現状に匙投げちゃった?

    それでも、きっとこれからも書き続けるんだろうな。「非国民」「売国奴」
    「ブサヨ」なんて言葉を投げかけながらも。

    某所で私も時にそんな書き込みをされることがあるんだけどさ。なんだ
    ろうね、「日本人サイコー」「日本サイコー」って言わない人間はぜ~んぶ
    非国民で売国奴でブサヨなのかな。

    「飽きた」と言われようと、ウォルター・クロンカイトの言葉をまたまた引く。

    「だいたい、愛国主義というのはどうやって定義するのか。政府の行動を
    すべて盲目的に支持することが愛国的なのか。それとも、一人一人の
    国民が、政府の望むところに賛成しようが反対しようが、祖国のために
    正しいと思う原理原則にしたがって発言し行動することが愛国的なのか。
    (中略)あの反戦運動をしている人たちも、愛国主義者かも知れない。
    少なくとも彼らには、自分たちの祖国愛があなたの愛国心と同じように
    真摯なものだと信じる権利はある筈だ。そして、その信ずるところを表明
    する憲法上の権利もある。この歴史的な国民的議論にあって、彼らの
    言い分をわれわれが報道したからといって、それが愛国主義に反すること
    になるとはどういうことだ」

    さて、先日、日本とドイツが送って来た戦後の違いを解説した作品を読んだ
    のだが、本書でも偶然、森氏がドイツの大学生と交わした会話の一部が
    紹介されていた。

    東京大空襲の日、沖縄戦の日、広島と長崎への原爆投下の日、そして
    終戦の日。日本のメモリアル・デーは被害の記憶だが、ドイツでは加害
    の記憶なのだそうだ。

    これはまったく知らなかった。そう言えば東京大空襲をテーマにした施設
    建設の話があった。そこでは日本国内のみならず、日本軍が中国で行った
    空襲に関する展示もされる予定だった。

    それに横やりがはって、未だに施設の建設の目途が立っていないそうだ。
    「自虐史観だ」ってことなのかな。アメリカでの原爆展が、アメリカの在郷
    軍人会の反対で中止になったことがあった。日本はアメリカの原爆展中止
    の決定を責められないよね、これじゃ。

    なんだか怖いと思うんだ。政府に異を唱えるだけで非国民って言われて
    しまう現状が。それが年々、エスカレートしているように思うんだ。薄気味
    悪くて、息苦しいと思うんだ。

    自分の国がやって来たことを見る目ることが、なんで自虐史観になって
    しまうのかな。やったことはやったこととして、直視するべきなんじゃない
    かな。例え、それがとても都合の悪いことでもさ。

    森達也氏の書く内容は、相変わらず都合が悪い。しかし、これからもきっと
    私は読むんだろうな。自分の偏狭さに気づくためにも。

    「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります」

    西ドイツの大統領だった故ヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」と題され
    た演説の、有名な一節だ。

    現在にも、未来にも、盲目になりたくはない。だから、過去をしっかりと
    見つめたい。そして、同じ過ちを繰り返そうとしているこの国の将来を
    憂いながらも「それは違うんじゃないか」と声を挙げ続けたい。

    あ…全然、本の感想になってない。(^^ゞ

  • なるほど。こういう見方もできるのかと。
    全ての国がせーので一斉に武力を放棄すれば、武器を持たずに均衡状態を作れるのかもしれないけど…均衡状態を維持するのは難しいことだろうな。

    人間は群れると暴走する性質があるという前提で、システムを考えないといけない。

  • ・戦争をおこしたい指導者はいない。行き過ぎた自衛の意識から戦争は始まる。自衛意識は都合のよい大義をつくり、大義のためには人を殺してもよいとなってしまう。
    ・戦争の悲惨さだけを記憶するのは、「戦争をおこさないように自衛力をつける」という、新たな戦争へ向かわせることになる。
    ・戦争において自分が加害者であったという意識を残すべき。
    ・調査捕鯨の反対理由で「鯨が食べられなくなる」は間違い。調査捕鯨の鯨の多くは海にうち捨てられ、鯨肉は大量に在庫がある状態。
    捕鯨は単純なナショナリズムの象徴として使われているに過ぎない。

  • 森達也の本も新鮮さがなくなった。
    それは、森達也の主張に共感することがなくなったということではなく、その逆に彼の主張がほとんど摩擦なく腑に落ちるようになったからなのかもしれない。

    タイトルからして、2015年9月に採決された安保法制についての話かと思うかもしれないが、本書はそれ以前に書かれた森氏のエッセイをまとめたものである。単純に時系列に並べたものではなく、2008年から2014年に書かれたもの(ほとんどは13年から14年)を次の4つの章のテーマにそれぞれを振り分けて編集されたものだ。見ればわかる通り、戦争についてのことだ。

    第一章 すべての戦争は自衛意識から始まる
    第二章 「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に聞きたい
    第三章 戦争の責任はA級戦犯だけにあるのではない
    第四章 それでもこの国は再び「戦争」を選ぶのか

    森氏は、このエッセイ集の中でもたびたび言及している通り、こういった戦争に対して反対の声を上げるたびにネットでブサヨと言われてディスられてきたという。自分は、小林やすのりの著作なども共感して読んできたので、いわゆる左翼ではないと思う。もちろんのこと右翼でもないのだが。その自分として、森さんの主張はバランスがとられていると思う。これに対して、自虐であるとのレッテルを貼って見えないところから(匿名の立場で)こぶしを放つようなことをする輩については全くいただけない。

    森さんはもともとがマスコミの人であり、その立場でのマスコミ批判を繰り返す。その中で、特定秘密保護法が成立した翌日に『ETV特集 戦場で書く~作家・火野葦平の戦争~』とその翌日の真珠湾攻撃の日に『NHKスペシャル日米開戦への道 - 知られざる国際情報戦』を放送したことに対して、ある種の意図と姿勢をもって政府と違う視点を出したものとして高く評価している。もちろん、政府の意向に沿った番組を作るNHKの報道局に対しては絶望的に批判的だが。

    2014年12月時点で書いているというエピローグで、次の映画作品の撮影をしているという。そいつを楽しみにしたい。どんな映画かは書かれていないが、できれば映画館で観たいな。

  • 全てに同意できるわけではないけれど、納得できる箇所もある。
    本来は「自衛=戦争」ではないのだろうけれど、現代においてはそれが同義語に扱われる。 「自営」意識を高めれば、いずれは「先に攻撃した」「いや、あれば陰謀だ」などと、柳条湖事件をきっかけに満州事変がなし崩し的に始まってしまったように、(日本だけに限らず)過去の歴史からも明らかなのに。 それとも、「今回だけ」は違うのだと、何を根拠として言い切れるのだろうか。

  • 平易な言葉で語られる平和への思いに共感。「平和で頭がボケているからこそ、気軽に『血を流す覚悟』などと口にできる」、「見たくないものから目をそむける」国民性。始まった戦争を終わらせるのはとてつもなく難しい。だからこそ始めない工夫をするのが政治家の仕事であって、戦争できるように準備するのは違うと思う。

  • アメリカのwar guilt programと日本軍の罪は分けて考えるべき。
    戦争のメカニズムを知る。全ての戦争は自衛から始まる。他国を侵略してやろうと始まる戦争はない。だから被害だけでなく、加害の意識も重要。要はどちらに傾かないことが大切。

  • 内容的にはA3と同じで、集団が暴走するのは強烈に引っ張る誰かがいるのではなく、周りの人間の過剰な忖度によって起こるという話が多い。だが、森達也独特のはいつくばるような思考によって語られる時事問題などは、「そこまで深く考えていたか」と感心させられる。特に捕鯨のニュースが良かった。
    南極海の調査捕鯨について、国際司法裁判所が禁止を決定した。毎年850頭ものミンククジラを殺していたのだから、調査とはとても言えないのはもともと明らかだった。「クジラが食べられなくなる」「日本の食文化がなこわれる」などはそもそも食べていた歴史もないし文化でもなかったのでわかり切っていたことだが、「クジラはかわいそうで牛や豚はかわいそうでないのか」という言説に対する反論は出来ないでいた。本書では、殺してもいいものとダメなものの線引きはどこなのかと問いかける。日本の動物愛護法によると、哺乳類や爬虫類は処罰の対象になるのに、両生類や魚類はならない。もっと言えばハエやゴキブリは殺して当然の生き物である。その線引きは国や文化によって違う。現在の欧米人は、かつて絶滅寸前にまで追い込んでしまった経験があるので、クジラに対しての思い入れが強い。日本人だって実情を良く知ればわざわざ鯨肉を食べたいとは思わないはずだ。ちなみに哺乳類といっても日本では絶滅が心配されるツキノワグマやシカ、イノシシ、ニホンザルまで、合わせて年間何万頭と殺しまくっている。誰もかわいそうと言わないのはなぜだろう。
    日本人はもう鯨肉を全く食べないので、南極海での商業捕鯨は採算があわない。調査捕鯨は毎年10億円もの補助金で成り立っている。そして関係者の鯨肉の横領事件が起こっている。ただの既得権益である。南極海の捕鯨は明治時代後期に欧米からの輸入で始まっている。牛肉を食べるより遅かったのだ。伝統ある捕鯨は沿岸で細々と行われていただけなのに。さらにシーシェパードや「ザ・コーヴ」などが反日的だとしてナショナリズムの材料にされている。「ザ・コーヴ」の上映に反対する人は映画を見てもいないらしい。せめて見てから言って欲しい。非常にクオリティの高い良い映画だった。
    他にいくつか印象的なものを。
    樹上生活から地上に降りてきた人類の祖先は、天敵の存在に脅えながら、集団で生きることを選択した。その後に二足歩行によって獲得した高い知能と手を使い、人類は火を使いながら道具を作り、武器を発明し、自然界における天敵を駆逐した。でも本能として刷り込まれた危機意識は、天敵がいないことを承服しない。探し続ける。敵が見えない状態が怖いのだ。だからこそ生物学的な天敵を失った人類は、違う共同体に帰属する人の集団を、最も危険な存在としてまずは認識する。危機意識を発動させる。
    こうして人は仮想敵を求める。いなければ作り出す。そして安心しようとする。とても倒錯しているけれど、第二次世界大戦後のアメリカは、まさしくこの状況にはまり込んでいる。敵がいない状態が怖いのだ。だからこそ敵を探し、叩こうとする。
    韓国のミンピ(門に文、妃)暗殺も知らなかった。乙未(いっぴ)事変とも言う。1895年、韓国の王妃が、日本人によって軍刀で斬られ遺体を焼かれた事件だ。背景は複雑で単純な日本人だけの暴挙ではないらしいが、それにしても逆だったらどうだろう。日本人が韓国人に皇后を殺されていたら、忘れるだろうか。加害側はすぐに忘れてしまう。だから加害の歴史を忘れないように、アウシュビッツやポルポト派の虐殺記念館などが残っているのだ。なのに日本はそれを「自虐的だ!」と叫んで展示を自粛している。情けない限りである。
    最後にガンジーの言葉を。「『目には目を』を続ければ、やがて世界は盲目になる」

  • 被害者意識が強く、統制されるのが好きで、集団化しやすい日本人。集団的自衛権や憲法改正が現実味を増す今、日本の行く末が不安になる。侵略しようと思って始める戦争はほとんどない。すべての戦争は、自衛の意識から始まる。

  • この方の本を初めて読んだけど、なかなか面白い。
    右寄りの世間中で、左の主張はなかなか珍しい。
    内容はイマイチ納得できないところも多々あるけど。

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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