戦争と革命の世界史 (だいわ文庫 H 320-1)

著者 :
  • 大和書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784479305989

感想・レビュー・書評

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  • 予備校(河合塾)で世界史を教えている先生が書いた、世界史を「戦争・革命」という切り口で解説してくれた本です。現在起きている事件は、すべて何等かの繋がりがあるのだなと、最近ようやく理解できるようになりました。

    そのような捉え方で世界史の勉強をしたら、さぞかし面白かったと思います。今から30年以上も前に高校で世界史の授業を受けていた時、その面白さが当時の私には理解できず、当時の歴史の先生には申し訳ないです。

    この本はニュースで聞いている事件の解説から始めて、そこから時代を遡る形で書かれています。今の事件は、歴史で繋がっているのだなと痛感しました。

    こうして考えると、欧米(西欧)中心の世の中のように見えますが、今まで私が関心をあまり寄せてこなかった、アジアの歴史も、この本のような切り口で見ていくと面白いのだろうなと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・ベトナム戦争でアメリカ軍がベトナムに落とした爆弾の火薬量は、第二次世界大戦で全世界の国々が使用した火薬量の2.7倍に及ぶ。これと並行して8.5万キロの枯葉剤を撒いた(p25)

    ・2003年3月19日、イラクがアルカイーダとつながっている証拠もない、大量破壊兵器を持っている証拠もない、宣戦布告もなし、国連決議もなし、戦後戦略もないなかで、イラク戦争(第二次湾岸戦争)がはじまった(p41)

    ・1979年に、イランではイラン革命、アフガニスタンでは、ソ連軍の侵攻が始まったことで歴史が新しい段階に入った。ここで諸問題の原型がつくられる(p51)
    ・イラクでは、少数派(30%)のスンニ派が、多数派を支配しているので、恐怖政治、独裁体制に頼らざるを得なかった(p62)

    ・イラクは、スンニ派アラブ諸国を代表をしてシーア派イラン人政権と戦った、という自負があったので、その戦費を賄うためにOPECが協力してくれると思っていたが、サウジ・UAE・クウェートは断ったので怒った。オスマン帝国時代にはイラクの一部(バスラ州)であったのを、1913年にイギリスが中東支配の橋頭保とするためにイラクから切り離した(p74、77)

    ・湾岸戦争はイラクの完敗で、524億ドルという莫大な賠償請求が科せられた、これがイラクを苦しめ、911テロ、イラク戦争へとつながった(p82)

    ・アメリカはベトナム戦争で国際的威信を低下させたが、ソ連はアフガニスタン侵攻により、滅亡の遠因となった(p89)

    ・第2次中東戦争(スエズ戦争)では、戦術的には連戦連勝であったにもかかわらず、世界の孤児と化して、撤退を余儀なくされた、エジプトの戦略的勝利となった。(p119)

    ・アメリカのトルーマン大統領は、1947年「トルーマン宣言」を発して、共産革命寸前だった、ギリシアとトルコに経済援助・軍事援助を行って封殺、49年にはNATOを結成した、ソ連への欧州への膨張は、西はNATO、南はトルーマン宣言で封じ込まれた(p131)

    ・日露戦争は、鴨緑江の戦い(雨雲は出てほしいが雨は降ってほしくない)、日本海海戦(霧は濃霧でなく薄霧がいい)、奉天会戦(史上最大の大砂塵)、黄海海戦(絶妙のタイミングで敵艦がエンジントラブル、敵旗艦司令部へ2連発命中)等、天が日本軍に味方した(p144)

    ・日露戦争に続き、第二次世界大戦でも、白人列強の軍隊が日本軍に駆逐されていく中から、戦後のアジアアフリカ圏の独立運動が広がっていった(p146)

    ・革命が起きたときに成功するか、政府が勝つかの重要な分水嶺は、軍がどちら側を支持するか(p161)

    ・1861年同時、ドイツが統一するにあたって障害となる国は、東:ロマノフ朝ロシア帝国、北:グリュックスブルク朝デンマーク王国、南:ハプスブルク朝オーストリア帝国、西:ボナパルト朝フランス帝国であった、統一前に最後に戦ったのはフランス、負けたフランスはこの屈辱を忘れていなかった(p177、184)

    ・原始より人間の産業は基本的に「手作り」という点においてほとんど進歩していなかったが、1770年代半ばから産業界に革命が起きた(p187)

    ・産業革命は、石炭(一次)から、ガソリン・ガス・電気(二次)となり、自動車や飛行機が作れるようになった(p191)

    ・大量生産された産業革命商品は国内だけで消費できなくなり、さらに原料の輸入先を押さえるためにも商品の輸出先を確保するためにも、植民地が必要となった、こうして帝国主義という新しいイデオロギーが生まれた、その地域が、中国・インド・中東世界であった(p191、192)

    ・アメリカ先住民をインディアン(インド人)と呼び、蛮族と決めつけ、自分たちの宗教・文化・制度を押し付けつつ、駆逐・虐殺を続けた。インディアンの絶滅は、初代大統領ワシントン、7代ジャクソン、26代ルーズベルトにより支持されている(p195)

    ・30年戦争後に締結されたウェストファリア条約で、その内容を守るために、これを破る国が現れた場合には、国際的に制裁を加えることで秩序を保とう=国際秩序、とした。しかし、アジアにはそのような概念はない。なくても秩序を保てたので(p232)

    ・ウェストファリア体制(1648-)は、フランス革命(1789-99)で崩壊してナポレオン戦争に、2番目にウィーン体制が構築されるが、フランスの2月革命(1848)で崩壊、3番目のビスマルク体制(1871)も第一次世界大戦で崩壊、4番目のベルサイユ体制(1919)も第二次世界大戦で崩壊、5番目のヤルタ体制(1945)も、マルタ会談(1989)で終焉を迎えて今に至る(p234)

    ・産業革命がイギリスから興ったのは、当時のイギリスが奴隷貿易によって莫大な資本を手に入れていたから、そしてこの産業革命こそが、欧州を地球の辺境から、世界の覇者へと押し上げた(p256)

    ・戦争の第一形態:従来型(石器時代~19世紀)、第二形態:総力戦(20世紀前半)、第三形態:冷戦(後半)、第四形態:テロ(21世紀)である、テロは戦争形態の一つであり、良いとか悪いの問題でない(p266)

    2017年11月19日作成

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著者プロフィール

河合塾世界史講師。世界史ドットコム主宰。ネットゼミ世界史編集顧問。ブロードバンド予備校世界史講師。歴史エヴァンジェリスト。
1965 年、名古屋生まれ。出産時、超難産だったため、分娩麻痺を発症、生まれつき右腕が動かない。剛柔流空手初段、日本拳法弐段。立命館大学文学部史学科卒。
教壇では、いつも「スキンヘッド」「サングラス」「口髭」「黒スーツ」「金ネクタイ」という出で立ちに、「神野オリジナル扇子」を振るいながらの講義、というスタイル。
既存のどんな学習法よりも「たのしくて」「最小の努力で」「絶大な効果」のある学習法の開発を永年にわたって研究し、開発された『神野式世界史教授法』は、毎年、受講生から「歴史が“見える”という感覚が開眼する!」と、絶賛と感動を巻き起こす。
「歴史エヴァンジェリスト」として、TV出演、講演、雑誌取材、ゲーム監修など、多彩にこなす。「世界史劇場」シリーズ(ベレ出版)をはじめとして、『最強の成功哲学書 世界史』(ダイヤモンド社)、『暗記がいらない世界史の教科書』(PHP研究所)、『ゲームチェンジの世界史』(日本経済新聞出版)など、著書多数。

「2023年 『世界史劇場 オスマン帝国の滅亡と翻弄されるイスラーム世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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