- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480017383
作品紹介・あらすじ
千篇を超える膨大な数のショートショートからエッセイまで全作品を読み抜き、本人ですら自覚し得なかった「思想」を浮かび上がらせた本邦初の本格的作品論!
感想・レビュー・書評
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中ニ男子の必須アイテム、星新一さん。
僕も、知的青春の入り口で大好きになった作家です。
ちょっとませた友達からショートショートを借りて夢中になって読んだものだ。
星さんの作品は登場人物の感情や人物像をほとんど描いてないものが多い。ストーリーの枠組みだけ提示される。だから短い。
その理由を、著者は、星さんがアスペルガーだったからだと解釈する。
なるほど、そうかもしれない。
そして、空気を読むために丹念に人間関係を観察したこそ、常人じゃ気づかないような本質的で普遍的な真理を描けたというところなのだろう。
そりゃ、中二にウケるわけですよ。
人物像とかかったるいものすっ飛ばして、社会の仕組みみたいなものが提示されるわけですから。
妙に腑に落ちた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
星新一マニアが書いた星新一論。「私たちがコロナ禍以降を生きるための賢慮を求めつつ」「日本最初のSF作家星新一の仕事を徹底考察」した書とのこと。かなり大部な書で、内容に自己満足的な部分が多いこともあって、星新一を相当読み込んだ者でないとついていけない内容だった(読者を選ぶ書)。自分は、一応星新一のファンのつもりだが、そこまでマニアではないので…。
著者によれば、星新一作品の根幹にあるのは、冷笑的精神から生み出される「価値の相対化」だという。そしてこの作風が生まれた背景には、星が、実は、空気が読めず対人関係が苦手なアスペルガー症候群系だったことが挙げられるとのこと(「肩の上の秘書」には星の切実な思いが込められている?、人物描写や心理描写が苦手な原因はここにある?)。言われてみれば、確かにそうだ。奇抜な発想に驚かされつつも、感情移入できるような作品はなかったな(そこが良いところでもあるのだが)。
都筑道夫の「それを構成する人物や背景のイメージが、具体的に迫っては来ない」、「一行一行の文章そのもののおもしろさが、ないわけですから」というコメントも紹介されている。果たして小説といえるのか、という議論もあるのだとか。
本書から、星新一についてのいくつかのキーワードを抜き出すと、「アスペルガー症候群系のSF作家」「反人間中心主義の作家」「能動性の乏しい中動態の人生」「自称運命論者」「人物描写や心理描写をしない作風」「実践を忘れぬ応用科学者、あるいは開発事業主」の思考法、「寓話作家」「中国の思想家、荘子もしくは老子の生まれかわり」「超越者気取りの冷笑系」などなど。
星新一は、編集者などの要請で問題表現を次々削除したり書き換えたりしていたらしい(そのためにも、意味で融通無碍な人だった)。ということは、星新一の作品は、(例え汚れていても)古本屋に並んだ古い版の方に価値がある(オリジナルを読める)、ということだよな。知らなかった!
「声の網」、傑作として随所で言及されているが、中高生の昔に読んだ時は、(長編で、ショートショートのような切れも感じられず)そんなに面白いと感じなかった。予言性が凄いとのことだが。
自分としての、記憶に残るお気に入りは、「親善キッス」「ブロン」「肩の上の秘書」などなど。他にも考えさせられる刺激的な作品は多かった。
星新一を時代とともに読み返すと、未来を予言していたことの新たな発見や、現代的な寓話が見てえくるという。「声の網」「流行の病気」しかり。星新一のショートショート、また読み返して見たくなった。
そういえば本書、(読み難い程ではなかったが)誤字脱字が多かった。
なお、本書には、最相葉月の「星新一 一〇〇一話をつくった人」(書棚に積読状態で、まだ読めてない)が頻繁に引用されている。しかも、最相の見落としや誤解を細かく指摘し、その解釈にもかなり批判的だ。マニア故に、気に入らない箇所が多々あるということなのだろうが、(間違いの指摘はともかくとして)作品や著者の人間性の解釈は人それぞれ。著者のように、あれはおかしい、実はこうだ、的なトーンはもっと控えないとな(それこそ価値を相対化すべき)。いずれにしても、本書の前に最相本を読んでおくべきだった。 -
封建主義者で支那の思想を研究する著者が、星新一大先生の書評をする。
万物をシニカルに見、演劇を理解できなかった星新一大先生はいかなる本を書いたか、をやる。
先生はヒトコマ漫画が倉に十杯くらゐあるのに、どっかで日本のマンガ関係を「沸騰する水」と称してゐたのに、ご本人はあんまり読んでないってあの読んだ作品て大友克洋大先生のアレである可能性があるんすかマジっすかえぇっ
大先生のしたたかなアレと作風に支那のアレを見る。
オーラルって、星新一大先生の影響受けまくった新井素子先生が口承といふ演習をしてゐたと言ふのも引き、オーラルなものとしての星新一関係を唱へる。へー。 -
2021年10月ちくま選書刊。初の本格的評論という帯につられて読みました。巻末の索引が良いです。浅羽さんの評論は楽しくもありましたが、量も多くて疲れました。日本SFを牽引した星さんの作品は偉大です。
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マジで情報量エグい。
星新一がいかに作品を生み出したかが評論を通じて肌感覚で伝わってきた。それでも、扱えたのは全作品の4分の1という。ひえー。
アスペルガー。寓話。筒井康隆。など、星新一という謎に満ちた実態を浮かび上がらせるために数多くの切り口で解説を試みている。どれも納得のいくものばかりで、なるほどと思うものが多かった。
特に、エピローグで語られたケプラーとガリレオの関係を星新一と筒井康隆の関係に置き換える試みがよかった。 -
<諸>
諸兄諸姉と同様に 僕も本書表題の ”星新一” と云う文字にひかれて本書を手に取った。僕はいつも巻末の解説や後書きの類から先に読むのだけれど本書の場合それは『星新一読書会へのお誘い ーあとがきに代えて』という著者筆のかなり長めの宣伝文?みたいなものだった。
その宣伝文の のっけは「表題の 星新一 という文字にひかれて本書を手に取った方は 期待していた内容と全然違っていたことに失望しているかもしれません・・・」という主旨の言葉で始まっていた。僕は思わず返品しようかと思ったが 僕んちは書店ではなく一消費者的読書人なので本の再販制度を利用できるわけもなく仕方なく読んだ次第です。
まあなんというか上手く書いてはあります。星新一作品の中身をそのまま直接引いてくることが多いので そこは無条件に星ファンの僕的には ”良い/嬉しい” 事として,そこからの著者の分析分類的お話が存外に面白い。また平気でネタ(ショートショートの場合は ”オチ” か) をばらす行為に走っていますが,まあ星新一のほとんどの作品を読んでいる僕たちファンにしてみると「ふむふむそういう作品も確かにあったなぁ」とほほえましく思う程度で読み流せます。一々ワクワクするような内容ではないですが 気が付くとかなりページは進んでいる,という具合です。
また昔読んで覚えていた筈なのにすっかり忘れていた星さんの個人的プロフィールなども思い出させてくれて なんだかこれも嬉しかったです。 例えば大正15年生まれ(=昭和1年生まれ)の星さんは徴兵をまぬかれるためにわざと近視になろうとしていたとか。
本書は絶妙な感じで注釈が本文の合間位置に挿入添付されている。最初は ああ(巻末にまとめて注釈されるよりも)この方が随分読み易いかも知れないなぁ と感心していたがそのうち別な視点に気づいてしまった。この注釈群は実は内容的にはそのまま本文の延長的なものばかりなのだ。なのになぜ著者はこんな回りくどい書き方をしたのかが謎なのである。そして本文の続き的内容ならば こんな読みづらい書き方(しかも本文に比べると字が小さいし)は読者を無視しているとしか思えないのであった!なめんな!
村田沙耶香という作家さんがいる。(正真正銘の女性作家さんです。変な男性っぽい筆名ではないところに僕は大変に好感を持ちます。しかも凄い美人。ワァオ!)『コンビニ人間』で塵芥賞を獲った人だ。この人の作風が星新一に似ているんですよ ということが数冊の作品本とともに本書にて紹介されていた。
僕は彼女の作品は『コンビニ人間』しか読んでない。その時は まあ塵芥賞だからなぁこんなもんだろ くらいにしか思えなくてその後は新刊が出ても放ったらかし状態だった。で 本書でそのほかにも沢山の僕の好みに合いそうな作品があることを知って阿鼻叫喚したのであった。また彼女の作品はどうやら得てして短いものが多いらしい。それは本が薄いということだ。これほど 読もう!という動機を駆り立てられることは無いのである。
星新一が自分の作品についてあるとき「 時事流行に左右されない作品を書く様に心がけています」と云った事を僕はずっと覚えていました。著作の改訂版が出る度に言葉を見直していたのです。Wikiにも載っている有名な「(電話の)ダイヤルを回す」 を 「電話をかける」に直したのがその最も顕著な例でしょう。
ところで本書には筒井康隆と小松左京も話があまりに沢山出てきます。多すぎです。全く有名でもなんでもなくどこの誰かも分からない本書の著者は もしかしたら筒井と小松の大ファンなのでしょうか。でもその二人は星新一に比べるとあまりにも小粒(僕の個人的解釈です。すまぬ)なので仕方なく星さんを担いでいるのでわ?と邪推します。本書著者の筒井小松的似非書物がそのうち出ますぞ。でも僕はそんなの出ても全く気づかないでしょうから誠に幸いです。笑うぜ すまぬ。
色々書きましたが結果 全体としてまあまあ興味津々面白い良い本なんぢゃーねーかなぁ~,と思えます。ただちょいと分厚すぎるだろう。持つとすごく重いですぜ。名著『星新一 1001篇を・・・』の最相葉月姉貴に対抗しようとしたか。膨大な取材や調査の手間をかけた件の大作には所詮かなわないのだから厚さだけ競うような中途半端は良くねーぜ。 ここで断っておきますが僕は本書の著者浅羽(あさばね?)さんとは偶然同学年だという以外は何の接点もありませんので。
本書を読み終えて明確にキッパリと思って決心した事。そうです「もういちど星新一作品を読んでみよう!」です。皆様も是非僕の後塵?をたどって読んでみてくださいませね。すまぬ。
【余談】
本書を読んでいる最中に実際に,もういちど星新一を読んでみようと 差し当たってTSKに行けばいくらでも文庫本があるだろう,と行ってみた。ところが・・ないのである。まあ全く無かったわけではないが一番目当てにしていた『ボッコちゃん』はなく,4冊ほどがさみしく本棚の片隅にあった。『おみそれ社会』とか比較的新しい作品(とはいっても相当に古いがw)しかなくて再度読んでみる気にはならなかった。
で,どうやら最近の小中学生は星新一を読まないらしい。そりゃそうか本書を読んでいるとショートショートのアイデアの中には現在では実現していることがあまりにも多いみたいで現実を語ったSFなんて面白いわけもなく。さてどうすればいいのだろう。僕に良いアイデアは今のところ無い。そう言えば息子が中学生の頃(15年以上いやもっと前)に星新一を読んでみたら と買い与えて薦めてみたが熱中して読んでいた風ではなかった。すまぬ。
【読者感想あとがき】本書を読み終えてあらためて星新一のどこが何が良いのかと考えてみるとそれは『星新一』という名前そのものではないか とふと思い付きました。いつか誰かが言った事があるのかもしれませんが僕としては今初めて自分で考えて気が付きました。『星新一』こそがブランドである! あえて自惚れ的誉れ としてここに書いておきます。すまぬ。 -
星新一はSF作家でもなく、文学者てない。哲学者であると言う方がピタリとはまる。未来を予言しようとしていたわけでなく普遍性や人間の本質的な欲求を書いていた。それでいて現実主義者であったといえる。ジャンルという社会インフラを生み出した。新規事業家でもある。
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星新一と言えば、ショートショートですね。
ここから読書遍歴を始めた人は多いと思い
ます。
その星新一氏の人物像に迫ったノンフィク
ションと言えば、最相葉月氏の「星新一」
が有名ですので、この本では作家自身より
も、主に作品の中身に触れています。
ジャンル別、発表年代別など、様々なアプ
ローチで星作品を考察します。
ラストの意外な結末、エヌ氏エス氏という
名前が主人公であるがゆえの「人物」が見
えない作風などは、実は割と初期の頃だけ
とされているそうです。
むしろ中期以降はそれが変容していくなど
は初期しか知らない読者ないは意外に思え
るかもしれないです。
もう一度星作品を読み返して「あの頃の未
来」に思いを馳せたくなる一冊です。 -
星新一の作品・作家論。
中学生の読むものという世評はおかしいと思うが、未来を見通していたというのは過大評価では。
極めてシニカルなところが作品の特徴であるが、そこにとどまるところに飽きたらなかったので次の作者を求めたのではないか。
サブタイトルの予見・冷笑・賢慮の人は当たっていると思うが、その限界も指摘しても良かった。
いくら賢人でも星新一には世の中を皮肉に見ているだけで、世の中を変えることはしない以上、世慣れた大人から広く共感を得ることは難しいと思う。