禅 (ちくま文庫 す 1-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480021571

感想・レビュー・書評

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  • 鈴木大拙氏がヨーロッパに向けて綴った英文を翻訳したもので、「禅」について、聖書からの引用も随所に入れながら、非常に分かりやすく書かれています。日本人に向けて日本語で綴ると、とかく難しくなりがちですが、訳者の技量の高さもあって、英語で綴ったものを和訳するという作業を経て、日本人にとっても「禅」の入り口に気軽に立てる、そんな印象を受ける名著だと思います。

  • この方をスゴいと思うのは、
    掴みにくい・・・表現しにくいものを、
    よくここまで言葉にしたというところです。

    http://www.tv-aichi.co.jp/bp/wadatti/?p=7557

  • これからの本です。
     少しずつ進めたい本です。
     「禅とは何か。悟りとは何か。禅の現代的意義とは?―いまや、東洋だけにとどまらず世界的な関心のもとに見直されている禅について、日本の宗教家が、その真諦を平易かつ積極的に解き明かしつ、ヨーロッパ世界へ向けて綴った英文論考を新編集しておくる禅入門の名著。」

  • おもしろかった。
    禅を説明しているのが説明しきれていないのが説明になっていると思った。

    「禅では不立文字といって、対立の世界から飛び出すことを教える。しかし人間としては、飛び出してもまた舞い戻らぬと話が出来ぬので、言葉の世界に還る。還るには還るが、一遍飛び出した経験があれば言語文字との会し方が以前とは違う」

    「知識をわれわれの相対的に限定された知識を意味するなら、智慧は最高度の直観に相当する」

    「わしの言葉がわしのもので、お前のではない、お前のものとはなりえない。すべてはお前自身の中から出てこなくてはならぬ」

    「浄、不浄とはおのれに属し、誰も他人を清めることはできない」

    「人生の根本的問題は集客を分かつものであってはならぬ。問いは知性的に起こされるのであるが、答えは体験的でなくてはならぬ」

    「思募のいとなみの限界の外にある。つまるところは、われわれが流れの彼岸にとどまる限り、悟りには至りえない」

    「禁欲の修行においては、問うものは自己である。そこでは、自己は自己ならぬもの、敵と対峙せしめられる。だが自己がある限り克服できない。禁欲主義は一種の自負あるいは自己主張のあらわれである」

    「人生は盲目的な努力でもなく、獣的な力の表現でもない。」

    「意識しないということは、人生が苦であるという事実をいささかも変えない」

    「苦しみは啓示である。」

    「問題を起こさせたのは知性であるが、知性は自分自身では問題に答えることができない」

    「貧の平和は全人格の力をつくしての激しい戦いを戦い抜いて後、はじめて得られる。怠惰や放任安逸な心の態度から拾い集めた満足は、もっとも嫌悪すべきものである」

    「動こうとするたびにそれらがわれわれの精神的視界にあついヴェールをかける。われわれは絶えず拘束のもとに生きているように感じる。」

    「わしはこれを杖と呼ぶ。おまえたちは何と呼ぶか」

    「大道には凡とか聖とかいうものは一切存在しない。名前あるものはすべてそれによって自らを限定する。」

    「竹の色はきっと赤でもなく、黒でもなく、緑でもなく、そのほかわれわれの知っているどんな色でもないのだろう」

    「言語はかれらの内なる霊性的体験から直接に出てくる一種の叫び、あるいは嘆声である」

    「感覚知性の世界は主体と客体との二者対立の世界。われわれはこの二元の世界をその外に出てしまうような仕方で越えなくてはならない」

    「疲れては眠り、飢えては食う。この平常心が究極の道であり、最も高い教えである」

    「愛は実在をあるがままに見ることからはじまる

  • p.61「現実的に1つであるものをわれわれが2つに引き裂くところに間違いが生じる」

    2元論ー善と悪、明と暗、楽しいと退屈などーはすべて地続きでその時の解釈で生まれるもの。

    p.167「禅を概念化してはならない。それはどこまでも体験的に把握すべきものである。」

    頭で考えても物事の答えはでない、それはひとつの解釈に過ぎない。体験することでよりよい解釈を導きだす。
    人間の脳は巨大すぎるので、頭で考える事に頼ると余計な寄り道をしてしまう。

    ビートだなぁ。

  • ¥105

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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