たたかいはいのち果てる日まで―人間的医療に賭ける (ちくま文庫 む 1-2)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480023759

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  • いま『We』で、木村栄さんと「往復書簡」を連載してくださっている向井承子さん。木村さんの本も、向井さんの本も、これまでいろいろ読んだ。向井さんの本は(たぶん)ほとんど読んでいて、そのなかでも私がいちばんスキなのが、この『たたかいはいのち果てる日まで』。

    もう何度か読んだ本を、久しぶりに読みたくなって、本棚から出してきて読んだ。私の手許にあるのは古本屋で買ったちくま文庫版。この文庫版も今は切れているそうで、数年前に復刻版が出た(残念ながら、この復刻版はまだ読んでいない)。

    「どんな人も、ふつうに生きられる地域を、それを支えられる医療システムを」とやってきた医師・中新井邦夫さんの話が書かれている。「びわこ学園のなあ、あの園長尊敬しとるねん」という中新井さんは、阪大医学部を出たあと、大学病院に残るとか教授になるとかいう道を選ばず、「誰かがやらなあかん」と、金剛コロニーにつとめ、地元・東大阪で療養センターをつくることに文字どおり命をかけた。

    中新井さんの妻・澪子さんは、夫のことをこう語っている。
    ▼「…あとになって、障害者のためのシステムを考えるようになってからも、制度が先ではなくて、地域の中で市民がつくり合うのが先や、というてましたね。家族が面倒みきれないとき、地域が寄っていって面倒をみてあげられるような柔らかいシステムがいい、と言い続けていました。福祉国家とか、制度とかいうもののもつ矛盾をまのあたりにしたせいと思います」(p.105)

    東大阪の療養センターをつくっていく過程は、映画「普通に生きる」で描かれる理想の通所施設づくりに似ていた。どこにもモデルはない。そのなかで、中新井さんは親や行政とともに、障害児を地域から切り離すことのない通園施設を、理想をもりこみ、現行法に挑戦しつつ、実現しようとした。

    中新井さんの語る「地域」、そして、地域の一員として「自分だったらどう暮らしたいか」。

    ▼「…地域というのは、みんながその一員であることを通して、そこを変えるものです。地域の医療とは…途切れのない時間なのです。幼児とか、学校とかで途切れるものではない。その人がいま住んでいるところでどうして食べていけるのか、どう生きていけるのか、寝ていけるのか、そこが必要なことなんです。だから私たちは巡回をやるんです。校区に(障害児を)入れたらそれで済んだというけれど、そういう生活をだれが支えるのか。それがなければ地域でないんですよ。

     その子が病気である時、家族が破綻した時、いつでもかけこんでこられる場所がなくてはならないから、私は24時間開かれた場所を用意しているのです。それは…コミュニティの一員としてです。市民社会の義務やろ思います。…しんどい時には共感できて援助し合うシステム…それは行動体であり、運動体である。行動する主体や…。…」(p.117)

    ▼「私にとって、身体障害ということは特殊なことではありません。…第三者的見方ができないのです。自分の身の上にいつ起こるか判らない、そういうことをあまりにも多く見てきた。と、とたんに現実に重い状況が起きてくる。私がその状況になったとしても、やっぱり風呂にも入りたい。陽だまりの中で新聞も読みたい。それがなんで、ベッドしか自分の世界がなくなるのか。自分自身の問題としても、こうあってほしいという願いを互いに努力していかねばならないし、そういう要件が整っていない限り、もはや市民社会とは呼べないと思うわけなのです」(p.113)

    子どもたちが育っていくのに必要な「意欲」。障害のある子どもらのために様々な装具があるが、日々の暮らしのなかで「歩きたい」「立ちたい」と思える刺激がなければ、装具をつけたとて子どもは立とうとはしない、歩こうともしない。子どもにその意欲を起こさせるものは「遊び」だと中新井さんは言い、実際に子どもらと関わりながら「やりたいとその人が思っていることは、いろいろなやり方でやがてできるようになるものだ」と認めている。

    金剛コロニーにかつてつとめた小松陽一さんは、その後つとめた職場で出会ったショウちゃんのことを中新井さんに相談し、遊びをとりいれた訓練をしていった。ショウちゃんは、「自分の遊びを楽しみ、楽しみたいという意欲に導かれて」その世界を広げていった。私はここを読みながら、生活リハビリというのは、こういうことやったなあと思いだす。小松さんは後にこう書いている。「遊びは冒険であり、経験であり、生活でもあるのです」(p.373)。

    病気の進行を遅らせるために、と病気になった母もいろいろなリハビリメニューを与えられていた。穴にヒモを通したり、粘土を丸めたり、手すりを持って行ったり来たり。そういったリハビリが全くの無駄だったとは思わないけれど、おもしろくはなかったやろうなと思う。自分の意欲で動こうとし、それがそのまま身体のバランスをとる訓練になるような、そんなメニューがないのかと、たぶんそんなことも思って、私は「生活リハビリ」とか「生活ケア」の本を読んだ気がするなあと思いだした。

    (3/10了)

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