マッドメン 完全版 (ちくま文庫 も 6-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (1991年7月1日発売)
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本棚登録 : 118
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・マンガ (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480025432

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  •  諸星大二郎による、伊弉諾・伊弉冉神話と南洋神話をモチーフとした作品。やや詰め込みすぎの感のあった「暗黒神話」に比べて、テーマが絞られている分読みやすい。また、西洋から来たキリスト教宣教師による伝統文化の破壊や、カーゴ・カルトなども描かれ、文明批判的な要素も持つ。
     こうした要素のある作品においては往々にして文明人は功利的で悪であり、現地人(いわゆる未開人)は純粋で善であるというステレオタイプな描かれ方がなされる。しかしここでは功利的な現地人も文明人もあり、また純粋な現地人、文明人もいる。ただしそこには単純な善・悪の概念は感じられない。あるとすれば主義の違いであろうか。
     日本人を父に、ニューギニア人を母に持つ少年コドワと、彼と腹違いの日本人波子を伊弉諾・伊弉冉になぞらえ、白人の学者ミス・バートン、比較民族学者峰隼人らがからみ、物語は核心へと導かれていく。
     周知の通り『隼人』はかつて薩摩地方を中心に住み、大和民族に隷属させられた異民族のひとつである。九州の『峰』と言われて『高天原』をイメージしたのは私だけだろうか。また、隼人文化はオーストロネシア語系文化であると言われる。峰はあるいは自らの源流を辿りたかったのかもしれぬ。
     さて、本作は日本神話とニューギニア神話、縄文文化とニューギニア文化とを重ね合わせたところに端を発するのであるが、波子が森のマリアとして祀られるあたりから神話の要素を辿りながら独自の展開を見せる。波子は自らコドワを助けるべく行動し、デマとおばあさん(恐らくハイヌウェレ=オオゲツヒメ)の協力を得る。波子の尽力で再生を果たしたコドワもまた、波子を救うべく地底の神と対峙する。
     ふたりは繰り返される神話の輪の最初に立ち返る。そこで波子は伊弉冉のように火によって死なねばならなかった。日本神話では、伊弉諾は妻を失うことで大いなる神、アマテラスとツクヨミ、スサノヲを得るのである。
     だがコドワは力強く宣言する。「先祖の二の舞はごめんだ!俺の神話は俺が作る」と。彼らの神話はこの世を離れた楽園で綴られる。あるいは、妻ひとりを死なせて神話を始めることを拒否し、ふたりで死ぬことで新しい神話を綴っているのかも知れぬ。
     地底のデマの国に落ちた峯は脱出を計るべく骨の舟に乗って地底湖へとこぎ出す。峯はいっときカウナギ(伊弉諾)の役を演じ、ついにコドワに破れた。いわば「伊弉諾もどき」である。
    恐らく彼は地上へ戻ることはないだろう。
     ひとり地上に残されたミス・バートンはコドワと波子の幻影を見、峯の手帳を得る。それは誰にも打ち明けることのできぬ、彼女だけが知り得る新しい神話と、神になり損なった男の遺物である。
     日本神話に触れたことのあるものからすれば、冒頭の「オンゴロの歌」に伊弉諾・伊弉冉神話を想起し、「オンゴロ」という地名に淤能碁呂島を、カウナギの名に伊弉諾を、ナミコ・ナミテの名に伊弉冉を連想するのは容易であろう。ところが比較民族学者である峯が、物語の最終段階に入ってから「オンゴロ」が「オノゴロ島」であると気づくのは、あまりに愚かに過ぎると思われていささか惜しい。あるいは、この愚かさが彼の滅亡の元凶だったのだろうか…?

著者プロフィール

1974年、「生物都市」で手塚賞入選。「週刊少年ジャンプ」で「妖怪ハンター」連載デビュー。民俗学、中国の古典、SF等を題材に、幅広い分野で活躍する漫画家。代表作に「暗黒神話」「マッドメン」「西遊妖猿伝」がある。その独創的な作風から、高い評価を受け、2000年に手塚治虫文化賞マンガ大賞、2014年に芸術選奨文部科学大臣賞、2018年に日本漫画家協会賞コミック部門大賞等、受賞歴は多い。ジャンルを越え、多くのクリエイターに影響を与えたとされる。

「2019年 『幻妖館にようこそ 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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