贋作吾輩は猫である―内田百けん集成〈8〉 ちくま文庫 (ちくま文庫 う 12-9)
- 筑摩書房 (2003年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480037688
作品紹介・あらすじ
1906年に水がめに落っこちた漱石の猫が、這いあがるとそこは1943年だった。酒好きのドイツ語教師、五沙弥先生の家にふらりとはいりこみ、風船画伯、役人の出田羅迷、共産党員鰐果蘭哉、馬溲検校などなど、ひとくせもふたくせもある風流人たちが繰り広げる珍妙な会話を聞く。漱石の弟子であった百〓@6BE1@が、老練なユーモアたっぷりに書きあげた『吾輩は猫である』の続篇。
感想・レビュー・書評
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贋作という形で、夏目漱石の吾輩は猫であるの続編として描かれた小説。
解説で、漱石の猫にはある二つのアイデアが、隠されているということが書かれていて納得。そのアイデアとは、次の二つ。
1.人間でないものの眼から人間を見て、人間というものの奇怪さ、滑稽さ、醜悪さに気がつかせるという、いわば『不条理の眼』とでもいうべき視点の設定。
2.日本の文学史のなかで、高貴な愛玩動物か怪異の元という、2パターンで描かれていた猫を、普通の家族としてあつかったこと。
この、贋作でも、同じくこの2つアイデアが十分に活かされている。
そして、じゃりん子チエの小鉄とジュニアも、実はこうしたアイデアを具現化したキャラクターなのだということに気がつく。家族に属する普通の猫の不条理の視点から人間の業を描くことは、文学、滑稽小説の伝統、王道としての様式なのだということを教えて頂いた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『贋作我輩は猫である』はおもしろい。
夏目漱石の『我輩は猫である』は語り手の名無し猫がビール飲んで酔っ払い、甕に落ちて死に一巻の終わりになるのだが、贋作は40年後昭和の時代(どうやら戦後)にワープ、生き返ってまたある家に寄宿し見聞を広げるというもの。
本家より小難しくないのでありがたいし、思わず笑ってしまうところがたくさんある。
猫の寄宿先でドイツ語の先生(本家も先生だった)と教え子の会話がふるっているのだ。
たとえば先生が教え子の一人に言う
「きみは生まれが上流階級のお金持ちであって、今は零落しお金に困ってるお金が無いと言ったりすると、それは『なり金』の反対『なり貧』というのであって、本当の貧乏ではない」と。
うーむ、わたしも最近そのような経験が...
わたしは2軒の家(東京と温泉地)を行ったり来たりして暮らしている。まあ別荘を持っていると言ってもいいのだが、ごく普通の定年後年金暮らしだからお金持ちではない。
のに
「2軒は大変でしょう」とか「一軒は貸したら?」「売った方がいいよ」
とご親切に言ってくださる方が多い。特に男性。
なんだかなー、余計なお世話だなー、と思う。
ちょっとした市民が 都会と郊外に家を持って畑だの自然だのの生活を楽しんでいるというような、フランスなどヨーロッパの小説を読むと描写がある。
だからつつましいわたしたちでも、これがわたしたちの文化なんだと思っているのに。
身についていないからだろうか、と勘ぐりおもしろくない。
しかし、この『贋作...』のつづきは先生が教え子に「だからおごれ」っていう話だが(笑) -
初めての内田百閒。
本家夏目漱石版もしっかり読んでないのに、贋作を先に。
猫が出てくる小説が読みたかったのでこれを。
元ネタが分かれば尚面白いだろうと思いながら読み進めました。
猫から見た人間世界は不思議で可笑しい。
てんやわんやしながらもクスっと笑えるのはさすがです。
猫から見た飼い主との関係がよく出ていると思う。
犬ならこうはいかない。 -
夏目漱石晩年の門下生であった百閒先生の、
師に対する敬愛の情に満ち満ちた「贋作」。
1906年、酔っ払って水甕に落ちた「原典」の吾輩が這い上がると、
そこは1943年の世界だった――といって始まる「贋典」。
今度は英語教師・苦沙弥ならぬドイツ語教師・五沙弥の家に
上がり込んで、主人とその来客たちの様子を眺めたり、
近所の「猫連」の集会に参加したり……。
1943年の吾輩の方が、
どことなく愛嬌があって可愛いと思うのは私だけだろうか(笑)。
特に、お屋敷町の猫たちの集会の様子や、
《杓子坂の小判堂》君が
「うちの食事は鰹節ご飯ばかりでうんざりだ」と言うと、
「君の家は鰹節問屋だからお手の物だろう」と返す、
猫同士のやりとりが笑える。
漱石のオリジナルを読んだ人も読んでいない人も、
猫好きだったらトライしてみましょう――と、
おススメしておきます。 -
苦沙弥邸の水甕に落ちたところで終わった原典の猫が、時空を超えて大入道の五沙弥先生の家に仮寓(?)。先生宅には様々な個性的な人物が出入りし、たいがい自宅でグウタラしている先生との掛合いが始まるのだ。原典と贋典とを対比する場面もあって面白い。著者らしい物語の展開で、最後はカーテンコールさながら殆どすべての人・猫が登場し、ドタバタのうちに幕となった。次は『冥途・旅順入城式』を読もう。
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16/09
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内田百閒のナンセンスなユーモア満載。漱石版よりも猫の存在感が薄いような気もする。とはいえ、用もないのに集まれる場所があっていいなあ、と呼んでいて心底うらやましくなった。五沙弥先生の、猫の額ほどの家に、教え子や友人知人たちが集まってくるコミカルな場面に、笑うどころか、思わず感涙しそうになった。
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帰ってきた吾輩。
まず「吾輩」が原典とか贋作とか言ってるし。こちらも気取らずに、軽い気持ちで読めばいい感じ。しかし、百閒先生はお酒好きだなあ(笑) -
珍妙。