現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480066206

感想・レビュー・書評

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  • 前回から翻って、こちらは日本の一万円札の顔
    ご存じ福沢諭吉の自伝である。

    本書は現代語訳であり、非常に読みやすくなっている。
    また、訳出する箇所を選んでいるため、分量も新書サイズにまとまっており読みやすい。

    以前、私は原文のほうにチャレンジしがあったが
    漢字やかなの使い方が現代語とは異なるため
    途中で断念してしまった。


    本書であるが、まず読み物として本当に面白い。

    フランクリンとは異なり、福沢諭吉はとにかく悪ガキである。
    かなり大人になっても、いたずら・おふざけのエピソードには事欠かない。


    それから、子供心に考えてみて、兄さんのいうように殿様の名の書いてある紙を踏んで悪いと言えば
    神様のお名前のあるお札を踏んだらどうだろうと思って
    人の見ていない所でお札を踏んでみたところが何ともない。

    「ウム何ともない。こりゃ面白い。今度はこれを手洗いに持って行ってやってみよう」
    と今度は便所で試してみた。その時は何かあるかと少し怖かったが、後で何ともない。
    「それ見たことか。兄さんは余計なことを言わんでもよいのだ」とひとり発見した。

    それから一つも二つも年を取れば、自然と度胸もよくなったようで
    年寄りが言う神罰などは大嘘だと信じ切って、今度は一つ稲荷様を見てやろうという野心を起こした。

    「叔父様の家の稲荷の社の中には何が入っているのかしら」とあけて見たら
    石が入っているから、その石を捨ててしまって代わりの石を入れて置いた。

    また隣家の下村という屋敷の稲荷様をあけて見れば、ご神体は何か木の札で
    これも取って捨ててしまい平気な顔をしている。

    すると、間もなく祭りの日になって幟を立てたり太鼓を叩いたり
    御神酒を上げてワイワイしているから、私はおかしい。

    「馬鹿め。おれの入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいるとは面白い」と、
    ひとり嬉しがっていたというようなわけで、
    幼少の時から神様が怖いだの仏様がありがたいだのということはちょいともない。

    うらない、まじない、キツネやタヌキがつくというようなことは
    初めからから馬鹿にして少しも信じない。

    子どもながらも精神は誠にカラリとしたものでした。



    これは現代ではなく、江戸後期の封建社会のど真ん中の話である。
    漢学や儒学の影響が色濃く「とにかく上の言う事には従え」という社会にあって
    福澤諭吉の物事の考え方は非常に特異だ。

    自伝を最後まで読んでも、なぜ福澤諭吉が子どものころから
    合理主義的な思想を持っていたのかはよく分からなった。

    一方で、私が普段から不思議に思っていた素朴な疑問は解消された。

    疑問 : 福澤諭吉はなぜ、明治維新にはちっとも絡んでいないのか。



    特に私は性質として友人と本気になって争ったことはない。
    たとえ議論をしたといっても面白い議論のみをする。

    たとえば赤穂義士の問題が出て
    「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。

    すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも、口の先で自由自在。
    君が義士と言えば僕は不義士にする。君が不義士と言えば僕は義士にして見せよう。
    さあ来い。何度来ても苦しくない」と言って

    敵になり味方になり、さんざん論じて勝ったり負けたりするのが面白いというぐらいの
    毒のない議論は毎度大声でやっていたが、本当に顔を赤らめてどうあっても
    決着をつけてしまわなければならないという
    身の入った議論をしたことはけっしてない。



    結局のところ、私は政治のことを軽く見て熱心でないのが政界に近づかぬ原因でしょう。
    たとえば人の性質に下戸上戸があって、下戸は酒屋に入らず上戸は餅屋に近づかないというぐらいのもので
    政府が酒屋なら私は「政治の下戸でしょう」




    福澤諭吉には思想もあり、リーダーシップもあった。

    しかし、目的のためには手段を選ばずに事を成し遂げたり
    時には自分の主張を押し殺して妥協をするといった事が
    自分の性質として受け入れられなかった。
    だから早々に政治には向いていないという結論を出していたのだと思う。


    最後に本書からの引用ではないがひとつ。
    福澤諭吉と言えば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が有名で
    平等主義者と広く認識されているが、これは正確ではない。

    学問のすゝめの冒頭で述べられているのは以下のようなことである。


    天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。
    人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども、広くこの人間世界を見渡すと
    賢い人・愚かな人・貧乏な人・金持ちの人身分の高い人・低い人とある。
    その違いは何なのか。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。
    人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど
    ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり
    無学なる者は貧人となり下人となるのだ。





    「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を
    私は、これまでもいろいろと応用してきた。
    今後もまだまだ使えるフレーズだと思っている。


    天はおすぎの上にピー子を造らず おすぎの下にピー子を造らずと言われている。
    おすぎとピー子は生まれながら貴賎上下の差別ない。

    けれども、広くこの人間世界を見渡すと
    おすぎとピー子の間には大きく扱いに違いがある。
    どちらかと言うとおすぎはバカにされ、ピー子は文化人として扱われる。

    その違いは何なのか。それは甚だ明らかだ。

    おすぎとピー子の扱いの違い
    それは、うざいぐらいにキャピキャピしているオッサンと
    ちょっとだけキャピキャピしているオッサンの差によってできるものなのだ。

    おすぎとピー子の間は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれど
    ただファッションチェックを勤めてよく知るものはピー子となり
    映画評論をしながらも、うざいぐらいにキャピキャピしているオッサンはおすぎとなるのだ。

  • 文句なしに面白い。福沢諭吉の印象ががらりと変わった。こんなにも破天荒で,大酒のみで,悪戯好きだとは考えても見なかった。それでいて,勉強に対しての打ち込みようには脱帽した。

  • 福沢諭吉の人柄が、思った以上にファンキーで親近感が湧いた。
    歴史に残る偉人も、「普通の人」であった時期があることを改めて知る。というか酒飲み過ぎw

    今の時代は明治維新に似ているといわれるが、同世代からこんな気概のある男子がボコボコ出てきたらいいなー。
    てか自分がなればいいのか。

    齋藤孝さんの絶妙な現代語訳がさすが。

  • エピソード
    ・稲荷神社の石を取り替える
    →神様ありがたいことはない
    ・上士、下士の区別を軽蔑
    →空威張りは見苦しい
    ・人を騙して河豚を食わせる
    ・遊女のニセ手紙を書く
    ・子供の頃から大酒飲み
    ・枕がない→昼夜問わず机で勉強
    ・目的なしの苦学
    ・政府には仕えない
    ・日本で初めて授業料をとる
    ・暗殺されかけた
    スタイル
    ・怒らない、議論しない
    ・借金はしない
    ・自分は政治の下戸
    ・卑怯な真似は絶対できない
    ・血を見るのは大嫌い
    ・血に交わって赤くならない
    ・教育の方針は数理と独立
    ・あえて新しいことをする
    アメリカ
    ・女尊男卑の風俗に驚く
    ・科学はわかるが、社会がわからない
    ・ワシントンの子孫が無名⇄徳川世襲制と違い
    ・英辞書を初輸入

  • 福沢諭吉先生程の御方でも若い頃はかなりやんちゃをされていたようだ。

    少しほっとした。

  • 人間味溢れる描写で、福沢諭吉という人を身近な存在に感じることができた。日本人の考え方を書物で方向付けただけではなく、その背景までも自ら書物で残していることに、「完遂した人」だと感じた。咸臨丸以降は一気に読んでしまった。

  • 斎藤孝先生の訳による福翁自伝。
    内容はまさに自伝の現代語訳。
    これまでに福沢諭吉氏関連の本を読んだが、順序が違ったのかおもしろさは薄かった。

    ただ、表現はおもしろく、福沢氏の言動には彼の軸があり、弱さも認めている点が尊敬できるところ。

    もっと福沢諭吉について学びたいと決意した。

  • 福沢諭吉の自伝です.
    現代語訳されているので読みやすく,また,その訳もすごく上手で,すらすらと読めます.
    内容はとても面白く,一気に読めてしまいました.
    福沢諭吉のイメージがガラッと変わりました.

  • 明治時代のエネルギーを感じさせる作品。

    この頃は漢方医学をやっていた
    華岡青洲が古臭く思われていたんだな。

  • 知への渇望、言行一致、質素。極めるということがいかに大事か、そして極めるとはどういうことかをしっかりと教えてくれる。江戸~明治期の生活ぶりが生き生きと書かれている点もいい。何の抵抗もなく内容を理解できるのは現代語訳ならでは。

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著者プロフィール

1835~1901年。

「2024年 『福澤諭吉 教育論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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