その一言が余計です。: 日本語の「正しさ」を問う (ちくま新書 1012)
- 筑摩書房 (2013年5月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480067173
感想・レビュー・書評
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敬語の考え方には蒙を啓かれた。
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p.84
ことばを使う人と受けとる側の間には、常に溝があり、時によっては摩擦を生じるものです。
しかしながら、ことばがなぜ用いられるのかといえば、(言い放つ」ためではなく(互いにわかり合うため」)言い換えれば、ことばはコミュニケーションの手段であるということです。
そのため、「自分が使うことばだから何でもいいでしょ」という態度では、相手に届けることができません。
かといって、「俺の使わないことばを使うな」とかたくなに拒否するばかりでは、新しい時代の人と話せなくなり取り残されてしまいます。
お互いに尊重する気持ちが大切なのではないでしょうか。
p.118
聞いて、聴いて、相談者自身が答えを見つけたら、それを繰り返してあげる。
それだけでいいのです。
決して、訊いてはいけません。
とはいっても、人は、聞くだけよりも、話したいもの。
だからこそ「余計な一言」が世に跋扈するのです。
黙って耳を傾ける、この傾聴という方法は意外と難しく、特に親としては至難の業です。
p.125
複数の事項を話しことばで伝えるには
・トップダウンで全体像を示し、「箇条言い」をするとよいでしょう。
p.199
世の中はひとつの尺度で正解が得られるほど単純にはできていません。
消費税の税率アップという問題ひとつ取ったとしても、賛成する人には賛成する人の判断基準があり、反対する人はまた独自の考えに基づいて反対をしています。
客観的に見れば見るほど、それぞれに一理あると言うしかなくなっていきます。
また、この客観的に見ることこそが学問の姿勢であり、客観を失えばそれは学問ではなくなるのです。 -
2017.08.02 途中まで読んで返却。かなり文法に偏っている。読みにくい。
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【由来】
・amazonのおすすめで。
【期待したもの】
・若干、ハズレな雰囲気もあるが、自分の日頃の「言葉」に対する問題意識について参考になってくれれば。
【要約】
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【ノート】
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助詞や敬語の用法だけではなく、談話の場での適切なパフォーマンスや、社会言語学を踏まえた日本語非母語話者への配慮まで、幅広いトピックが採られている。
言葉の使い方には配慮が必要な職に就いていることもあり、それなりにこれまでも勉強してきたつもりだったけれど、知らなかったこともあった。
一つは、「暑いです」、「暑かったです」という言い方は、少し前までは違和感のある表現とされていた(私は全く違和感がない!)こと。
もう一つは、「入る」「入れる」などのように、自動詞他動詞のペアがあるものでの他動詞は、対象をモノ扱いするニュアンスがつきまとうということ。
ただ、この件については、山田さん自身も「もっと例文を足す必要があ」ると言っているように、説明がもっとほしいところ。
腑に落ちた感じが今一つ得られなかった部分だ。
「言葉咎め」は、それをする人も、その周囲の人も幸せにしない、という指摘は、本当にもっともだ。
とはいえ、繰り返される「他者を尊重しましょう、そのほうが素敵です」という趣旨の呼びかけは、新しい形の啓蒙的物言い、にも響いて、何か引っかかる。
最近は、言語学者はそこまで価値判断に踏み込んでくるものなのか? -
これがまちがっている、というスタンスではなく、言葉は変わりゆくものだという中立的な立場にたっていて好感がもてますね。
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2014年5月に実施した学生選書企画で学生の皆さんによって選ばれ購入した本です。
通常の配架場所: 1階文庫本コーナー
請求記号: 810.4//Y19
【選書理由・おすすめコメント】
ちょっとした言い回しでも人もイラッとさせるんだと改めて知らされる。
(社会経済システム学科2年) -
S810.4-チク-1012 300321007
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(2014/1/3 give up)