その一言が余計です。: 日本語の「正しさ」を問う (ちくま新書 1012)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480067173

感想・レビュー・書評

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  • 敬語の考え方には蒙を啓かれた。

  • p.84
    ことばを使う人と受けとる側の間には、常に溝があり、時によっては摩擦を生じるものです。
    しかしながら、ことばがなぜ用いられるのかといえば、(言い放つ」ためではなく(互いにわかり合うため」)言い換えれば、ことばはコミュニケーションの手段であるということです。
    そのため、「自分が使うことばだから何でもいいでしょ」という態度では、相手に届けることができません。
    かといって、「俺の使わないことばを使うな」とかたくなに拒否するばかりでは、新しい時代の人と話せなくなり取り残されてしまいます。
    お互いに尊重する気持ちが大切なのではないでしょうか。

    p.118
    聞いて、聴いて、相談者自身が答えを見つけたら、それを繰り返してあげる。
    それだけでいいのです。
    決して、訊いてはいけません。
    とはいっても、人は、聞くだけよりも、話したいもの。
    だからこそ「余計な一言」が世に跋扈するのです。
    黙って耳を傾ける、この傾聴という方法は意外と難しく、特に親としては至難の業です。

    p.125
    複数の事項を話しことばで伝えるには
    ・トップダウンで全体像を示し、「箇条言い」をするとよいでしょう。

    p.199
    世の中はひとつの尺度で正解が得られるほど単純にはできていません。
    消費税の税率アップという問題ひとつ取ったとしても、賛成する人には賛成する人の判断基準があり、反対する人はまた独自の考えに基づいて反対をしています。
    客観的に見れば見るほど、それぞれに一理あると言うしかなくなっていきます。
    また、この客観的に見ることこそが学問の姿勢であり、客観を失えばそれは学問ではなくなるのです。

  • まずは、タイトルに惹かれた。
    「行けたら、行くけど」「コーヒーでいいです」など、そこにその一言(あるいは一文字)付けなきゃいいのに、という「余計な一言」あるよなー、と。
    で、その例がたくさん載っているのかと思ったけど、単なる列挙じゃなく、文法的に、言葉の歴史的に、なぜ、そういう言い方になっているのかを丁寧に分かり易く解説してくれている。
    さらには、そうした言い方に対して、どのように注意する、あるいは受けいれる、相互に気持ちよく過ごせるには、どうすればよいかを提案する。実に、ケアが手厚いのだった。

    “はじめに”にある本書の目的、
    “「余計な一言」に対する双方の言い分を聞いて、調停していくことです。”
    を、徹頭徹尾、通しているところが素晴らしい。

     なぜ、そういう言い方になっているかを理解すれば、受け手の感情だけで発言を捉えずに済む、変に感情をかき乱されなくて済むかもしれない。
     たとえば、上記の「コーヒーでいいです」の「で」、満足してないけど、「それで」我慢しておくよ、というふうに捉えがちだけど、

    “日本語は、西洋語のようにはっきりと「コーヒーを」と対象を限定して述べるよりも、(まんじゅうを3つほどください、のように)「コーヒで」と脇にづらしたくなる言語なのです。”

     と日本語のもつ特性から出たものと思えば、そんなものかと思わないでもない。言葉を発する側にも配慮が必要だけど、受け取る側も、“ことば咎め”に終始することなく、広い心、余裕の気持ちで理解に努めよう。

    “会話において、受け手がそう聞きたいと思う内容で理解していることはよくあります。話し手だけの責任ではなく会話の当事者みなが協力してコミュニケーションは成り立っています。”

     そんな、余計な一言の成り立ち、理解の方法のみならず、曖昧な表現になりがちな日本語、あるいは動詞が最後にくる日本語は、最後まで聞かないと意味が通じないという通念に対しても、いやいや、そうでもないですよと、面白い解説もある。
     主語の後にすぐ動詞のくる西洋語が、言いたいことがすぐ分かるというのは分かるが、日本語も、語尾を想像させる言葉で意味を察知することが可能という指摘は、じつに面白いし、日本語の豊かさ、奥ゆかしさが分かると言うもの。面白い。

     また「ら抜き言葉」「さ付き言葉」を、間違いと断罪せず、それが発生するメカニズムを文法的に解説、さらに何故そこまでメクジラを立てられて言葉狩りが行われるかについても、

    “すべての表現について、流行が拡大することで批判が生じ、それに過敏になった人がさらに批判をするというサイクルの中でことば咎めがなされていると言えるのではないでしょうか。”

     と、要は、みんな気にしすぎ!と注意喚起。言葉狩り、ことば咎めに終始することなく、では、周りが正しい表現を正しく使う例を示すことで、ゆっくり教育していけばよいと指南する。
     実に、ゆったり構えた、とても穏やかな気持ちになれる、よい書でした。

  • 2017.08.02 途中まで読んで返却。かなり文法に偏っている。読みにくい。

  • 【由来】
    ・amazonのおすすめで。

    【期待したもの】
    ・若干、ハズレな雰囲気もあるが、自分の日頃の「言葉」に対する問題意識について参考になってくれれば。

    【要約】


    【ノート】

  • 助詞や敬語の用法だけではなく、談話の場での適切なパフォーマンスや、社会言語学を踏まえた日本語非母語話者への配慮まで、幅広いトピックが採られている。

    言葉の使い方には配慮が必要な職に就いていることもあり、それなりにこれまでも勉強してきたつもりだったけれど、知らなかったこともあった。
    一つは、「暑いです」、「暑かったです」という言い方は、少し前までは違和感のある表現とされていた(私は全く違和感がない!)こと。
    もう一つは、「入る」「入れる」などのように、自動詞他動詞のペアがあるものでの他動詞は、対象をモノ扱いするニュアンスがつきまとうということ。
    ただ、この件については、山田さん自身も「もっと例文を足す必要があ」ると言っているように、説明がもっとほしいところ。
    腑に落ちた感じが今一つ得られなかった部分だ。

    「言葉咎め」は、それをする人も、その周囲の人も幸せにしない、という指摘は、本当にもっともだ。
    とはいえ、繰り返される「他者を尊重しましょう、そのほうが素敵です」という趣旨の呼びかけは、新しい形の啓蒙的物言い、にも響いて、何か引っかかる。
    最近は、言語学者はそこまで価値判断に踏み込んでくるものなのか?

  • これがまちがっている、というスタンスではなく、言葉は変わりゆくものだという中立的な立場にたっていて好感がもてますね。

  • 2014年5月に実施した学生選書企画で学生の皆さんによって選ばれ購入した本です。
    通常の配架場所: 1階文庫本コーナー
    請求記号: 810.4//Y19

    【選書理由・おすすめコメント】
    ちょっとした言い回しでも人もイラッとさせるんだと改めて知らされる。
    (社会経済システム学科2年)

  • S810.4-チク-1012 300321007

  • (2014/1/3 give up)

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著者プロフィール

山田 敏弘(やまだ としひろ)
岐阜大学教育学部国語教育講座教授。博士(文学・大阪大学)。国際交流基金派遣日本語教育専門家、富山国際大学講師、岐阜大学助教授を経て、2013年より現職。専門は、日本語学、岐阜方言研究。主著に、『日本語のベネファクティブ―「てやる」「てくれる」「てもらう」の文法―』(2004、明治書院)、『国語教師が知っておきたい日本語文法』(2004、くろしお出版)、『国語教師が知っておきたい日本語音声・音声言語』(2007、くろしお出版)、『国語を教える文法の底力』(2009、くろしお出版)、『日本語のしくみ』(2009、白水社)、『その一言が余計です。―日本語の「正しさ」を問う―』(2013、筑摩書房)、『あの歌詞は、なぜ心に残るのか―Jポップの日本語力―』(2014、祥伝社)、『日本語文法練習帳』(2015、くろしお出版)など多数。

「2020年 『国語を教えるときに役立つ基礎知識88』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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