- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480067500
感想・レビュー・書評
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元裁判官の弁護士による裁判所批判の本。
瀬木比呂志の本よりは尊大さがなく,自分の経歴に謙虚さを見せているふうなのが(とは言っても実はそうではないが),見苦しさを少なくしている。
他の者の裁判所批判がステレオタイプであると言う割には,裁判官は自家用車を持たず,運転もしないなどと言ってしまう明らかに実体に反することを平気で言ってしまうあたりが残念である。
瀬木氏にも共通するが,自分が体験したいくつかの例で,全体を評価してしまう人物が裁判官であったこと自体問題のように思う。また,カフカとか,ドストエフスキーとかを引用したり,パースペクティブとか言ってみたり,衒学的な点も共通しますね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私も法学部出身者として、有斐閣の団藤重光、平野龍一氏の本をほんの少しかじったものとして、非常に懐かしい名前に久々に遭遇した(笑)。
また、ミッシェル・フーコーのパノプティコンがこの本で遭遇するとは思わなかった(笑)。
憲法に裁判官独立の原則があり、裁判所では一切の上命下服がなく、組織内に指揮命令系統がないにもかかわらず、フーコーのいう「規律権力」構造により、司法権力が目に見えない形で一人一人の裁判官の心をコントロールしてしまっている。
司法権力の外からながめる景色とは程遠い内幕。
検察、警察権力との位置関係も機関としての裁判官、また、一人の人間としての裁判官が描かれていた。
神・仏でない人間が人を裁くことの難しさ。
最後の裁判員制度に期待する筆者の気持ちは解らなくはないが、少し、短絡的な感じが否めませんでした(笑)。 -
太白
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面白かった。裁判官の実態を暴くということから、逆説的に国民がしっかりしないと司法はめちゃくちゃになるよ、という内容。
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元裁判官によって裁判所の実態が明らかにされている。司法権力について書かれているため、刑事裁判に焦点が当てられている。
裁判所は人権の最後の砦などではなく、治安維持を任務とする、バイアスのかかった歪んだ存在である。
自分の数少ない経験からも納得できることは多かった。 -
裁判官経験のある筆者が、裁判所を中心に日本の司法制度の問題を解説した本。裁判所の実態に慄然とする。
筆者は裁判員制度にそこからの脱却の道を見ているが、それが実現するとはとても思えず、絶望的になる。 -
元裁判官が語る裁判所の内側。
「最高裁事務総局による支配」などのステレオタイプの批判より、むしろ、個人としての裁判官が、司法権力の一員に取り込まれる中で孤立化し(司法権力の囚人化)、裁判官相互、あるいは(刑事裁判官の場合)刑事司法制度そのものによる監視の目を常に意識して行動せざるを得ない立場に陥っている(フーコーが言う"パノプティコ")ことに着眼している点が面白い。 -
司法の権力をどう把握するかは別として、興味深いのは裁判員が規律権力を内在化させ、「自分自身の良心に従って職務を執行する」というものを否定している現状を指摘している。
この人自分のことを自虐的に見ているけど、社会学的見地から司法を分析しているあたりかなりのものだと思う。 -
元裁判官が書き下ろした司法権力についての考察。
司法は国民に対する暴力的な絶対権力を持つ。
裁判所は、時に警察、検察を超えるほど処罰感情が強く、処罰至上主義の前には、被疑者が実際に罪を犯したかどうかは問題ではなく、自白を強要し必要であれば証拠を作り上げてでも、国民を有罪に陥れる。
ただし、裁判所は特定の権力者のもと恣意的に働いているのではなく、司法制度という仕組みそのものが裁判官を縛り、権力を行使させている。
全て国民は等しく冤罪事件の被害者になる可能性を有し、有罪判決を受ける可能性がある。
もし、あなたが全く身に覚えのない事件で逮捕されたら、絶対に罪を認めてはいけない。ただし、その場合あなたは罪証隠滅や逃亡の恐れがなくても、保釈されることはない。また、往々にしてそれでも有罪となる。しかし、日本の司法制度の元、冤罪を認め続ける仕組みに加担することは、明日の日本のためにはならない。
もし、私が冤罪事件で有罪になったら、最後まで諦めずに控訴し、再審請求を求める。たとえ無罪を勝ち取るために30年以上時間が必要だとしても。
そして、日本の司法制度が改められることを期待する国民の声が大きくなることを祈る。 -
司法の内幕を著した本。
著者の視点で。
なるほど、と思うところもある。