世界哲学史4――中世II 個人の覚醒 (ちくま新書)

制作 : 伊藤 邦武  山内 志朗  中島 隆博  納富 信留 
  • 筑摩書房
3.80
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480072948

作品紹介・あらすじ

モンゴル帝国がユーラシアを征服し世界システムが成立する中、世界哲学はいかに展開したか。天や神など超越者に還元されない「個人の覚醒」に注目し考察する。

感想・レビュー・書評

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  • 中世編2。
    キリスト教がゆっくりとだが存在感を薄めていく過程がうかがえる。
    今から見れば、イスラーム哲学経由で、アリストテレスの理論をキリスト教神学に適用した時点でそれは運命付けられていたとも言える。
    それにともない、トマス・アクィナスしかり、「個」対「神」のおもむきを呈してくる。

    一方で、ユダヤ教は、当初哲学を毛嫌いしていた。神を説明するためにはタルムードだけで十分だった。このキリスト教との違いも気になる。

    そうそう、個に関して面白かったのは、山内志朗氏の論考。
    つまり、都市の発達にしたがって個人が誕生したというくだり。
    当たり前に思えるかもしれないが、ヨーロッパの都市というのは、基本壁に囲まれている。この壁による囲い込みと、個人名の登録とが、個人の自覚を促したという具体的な話。

    それにしても、中世哲学は予想以上に刺激的。あらためて別の本にもあたろう。

    本巻では、鎌倉仏教も論じられている。この論考はわりと教科書的内容。
    一方、中国は朱子学が隆盛。「格物窮理」、つまり、「現実の心の不安を解消し、主体性としての「心」を見失わないための方法」、これはある面では魅力的な考えだが、

    基本、儒学は統治者側の統治理論であり、朱子学もそのヴァリエーションのひとつであり、どうしても苦手。
    格物窮理とは、要するに現実を見よ、ということだと思うが、その現実というのが、自然の理に従うというのでなく、けっきょく身の程をわきまえよ的な道徳に収束してしまう。

  • 中世Ⅱ 個人の覚醒

    本書は、12,13世紀の中世に光を当てる

    「12世紀ルネサンス」という言葉があるこの時代は英雄譚や騎士道精神が誕生し、ヨーロッパのアイデンティティがしていく時代。
    都市の発展、商業の成長、教育と大学の発達なヨーロッパは様々な面から大規模な発展を遂げていく。
    自らが聖書をよみ、人々が個人に目覚めていく時代、哲学は、個人の救済という問題に向き合うようになっていく。

    気になったことは次です。

    ・16世紀のルターらの宗教改革は、実は第2ステップであった。その原点は、15世紀にチェコがおきたフスの宗教改革だ。個人が聖書に向き合うための準備をしたのがこの時代だった。

    ・トマス・アクィナスの神学大全など、宗教が哲学を取り入れ、キリスト教信仰と理性が融和する壮大な体系が生み出されていく

    ・修道会の勉学への重視は、やがて、パリ大学の神学教授を占めるようになっていく。それが、修道会と、それに所属しない聖職者の間で論争になっていく。

    ・中世ヨーロッパの哲学の中心は、スコラ哲学であって、アリストテレスの関係で語られる。彼の著作を原点に哲学が発展していくことで、アリストテレスは、中世哲学者の教師であった。

    ・トマス哲学の争点は、存在と本質との区別である。

    ・ユダヤ教のトマス・アクィナスである、マイモニデスは、ユダヤ教と哲学を融合し、大全を著作した。そして「迷えるものの導き」で、宗教と哲学とのあるべき境界線を引いていく。その境界の中であれば、哲学として議論ができるという限界なのである。

    ・イスラーム世界へも、アリストテレスが伝播していく。ギリシア語からアラビア語へと翻訳された彼の書が、アヴィセンナという大哲学者のもとで、宗教と哲学の融和が起こっていくのである。

    ・すなわち、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教という3大一神教が、アリストテレスの哲学で体系化し、宗教と哲学が融合していく。これが12世紀のルネサンスである。また、それぞれの宗教で注釈書によって、その境界点がさだめられているのも、興味ぶかい。

    本書半ばにて、再び、中世哲学への振り返りがはいる。西洋中世哲学は、理性と信仰とをごった煮した思想である、厳密には哲学とはとても言えないのだと。

    ・普遍論争の中で、実在論と、唯名論が西洋中世哲学から分離していく。「この世界に実在する個物のうちに、普遍が実在的に内在する」というテーゼをとる実在論に対して、「この世界に実在するものは、徹底的に個物でしかない」という立場を唯名論はとる。

    ・個人という意識の台頭により、哲学の世界にも、社会共同体論なる概念が生まれ、階層的な秩序構造や、共同体内の人間同士の関わり合いについても思考が及んでいく。

    ・東アジアでの動きについては、中国の朱子学と、日本の鎌倉仏教がのべられている。

    ・中国儒教にとって、科挙の再開と仏教との出会いが新しい転機である朱子学を生んだ。それは誰もが学問を修めることによって聖人に至ることができるというものだ。朱子学を「理学」とよび、
    朱子学を批判する、陽明学を「心学」という。

    ・良知を致す 性善説で心の働きに重きを置く、陽明学は、格物窮地たる知の追求を行う、朱子学を鋭く批判する。しかして、本書は、近代以降の学問研究において、学を窮めるということに
    ついては、朱子学の「窮理」が受け継がれているのではないかとの示唆をおこなっている。

    ・日本では、平安時代から続く、顕密仏教から離れて、「顕密、浄土、禅」というキーワードで、仏教界に巨人が多数現れる。

    ・法然、聖道門と、浄土門の2つの教えから、末法の時代にあったものは、浄土門であり、方法も、正しい行、正行と、雑多な行、雑行があり、正行は、南無阿弥陀仏と、称名をとなえることと主張した。

    ・弟子親鸞は、阿弥陀本願の第18願である、全ての衆生は本願が成就しているのですでに阿弥陀仏に救われているとの立場に立つ。法然のそれを、念仏為本というのに対し、信心為本という

    ・達磨を祖とする禅宗も興隆した。栄西は、興禅護国論を著し、天台と密教の混然一体になった仏法をといた。

    ・禅宗は、五山と林下に分かれたが、幕府の庇護のもと、京都と、鎌倉に寺院をおいた五山が栄えた。

    ・道元は、正法眼蔵を著し、その中で、自己を忘れることが大事であることを解く。臨済禅として伝わった十牛図の考えとも関連しているのだろうか。

    ・日本でも、仏教と神道との融和が起こり、仏教側が神祇との関係を模索し、神身離脱や、仏教擁護、神仏隔離などの主張に対して、鎌倉仏教は新しい回答を用意した。神は本来心の外に存在するものであったが、それが心の中に入りこんだという。西洋では、哲学が果たした、融合を、密教が胎蔵した膨大なテキスト群を有する仏教が果たしている。この関係は、明治まで続いていく。

    目次は以下の通りです。

    はじめに

    第1章 都市の発達と個人の覚醒
     1 13世紀と哲学
     2 都市という集住形式
     3 中世における個体と個人

    第2章 トマス・アクィナスと托鉢修道会
     1 トマスの思想体系の基本的特徴
     2 托鉢修道会の基本的特徴
     3 パリ大学と托鉢修道会

    第3章 西洋中世における存在と本質
     1 歴史の中の中世哲学
     2 存在と本質
     3 本質と形而上学

    第4章 アラビア哲学とイスラーム
     1 イスラーム地域への哲学の伝播
     2 アヴィセンナによる哲学統合プロジェクト
     3 宗教と哲学の対立
     4 その後の展開

    第5章 トマス情念論による伝統の理論化
     1 基本概念と思想源泉
     2 多様な情念をどう理解するか
     3 情念論の目的と背景

    第6章 西洋中世の認識論
     1 「志向性」の問題
     2 光学と志向性
     3 感覚認識
     4 知性認識

    第7章 西洋中世哲学の総括としての唯名論
     1 西洋中世哲学と普遍論争
     2 唯名論的な哲学がもつ二つの特徴
     3 唯名論的な哲学の現場 オッカムとビュリダン


    第8章 朱子学
     1 中国儒教の再生と「個人の覚醒」
     2 心学としての朱子学
     3 理学としての朱子学
     4 朱子学から考える

    第9章 鎌倉時代の仏教
     1 全体図
     2 顕密仏教の営み
     3 新たに登場する諸宗
     4 まとめ

    第10章 中世ユダヤ哲学
     1 異邦の思想
     2 マイモニデス 中世ユダヤ哲学の頂点
     3 ユダヤ教文化のなかの哲学へ

    あとがき
    編・執筆者紹介
    年表
    人名索引

  • 13世紀は、洋の東西を問わず数を多くの宗教的天才が登場したという意味で、特筆すべき世紀だった。東では鎌倉仏教が、西では、12世紀ルネサンスによる(イスラム圏・ビザンツ帝国からの)アリストテレス哲学の流入を背景に、トマス・アクィナスが出る。彼はキリスト教の信仰と理性を調和する体系を構築した。それはプラトン哲学の諸要素に、アリストテレス哲学の諸要素を結びつけることでなされた。
    他にも普遍論争というテーマがある。個体に内在する普遍的な特性から普遍的な概念を抽象する実在論に対し、ウィリアム・オッカムは普遍概念が我々の心の中の言葉や概念として存在すればそれでよいという唯名論を唱えた。
    東西の思想に共通していたのは、「個人」の芽生えだった。法然は専修念仏を確立することで、凡夫も往生が可能になった。彼は凡夫という個人を意識していた。一方、キリスト教社会では都市の勃興や告解の始まりをきっかけに、個人が意識されるようになったと言われる(もともと中世人は完全に個人的に行動しなければならないことは稀で、集団の枠内においてのみ、完全な自己を見いだしていた)。

  • ・存在と本質というアリストテレス的な概念の上に、本性についてのアヴィセンナの学説が交差することで、一三世紀から一四世紀の代表的なスコラ学者たちの形而上学は多様な発展を見せている。これら二つの概念、とくに本質に関しては、これまで考察してきたような意味で、各々の哲学者による形而上学的な探求の要となるような概念であることが明らかとなった。

  • 13世紀はアリストテレスが盛んに読まれた時期

  • 第1章 都市の発達と個人の覚醒
    第2章 トマス・アクィナスと托鉢修道会
    第3章 西洋中世における存在と本質
    第4章 アラビア哲学とイスラーム
    第5章 トマス情念論による伝統の理論化
    第6章 西洋中世の認識論
    第7章 西洋中世哲学の総括としての唯名論
    第8章 朱子学
    第9章 鎌倉時代の仏教
    第10章 中世ユダヤ哲学

  • 第四巻は13世紀を舞台とした思想群が紹介されている。歴史の流れとして12世紀は成長の時代(騎士道精神、大恋愛)、13世紀は西洋中世の最盛である。本書の目的は哲学の流れはそこに呼応しているのか解明するところにある。際して、都市の発達、商業の成長、教育と大学の発達、托鉢修道会の成功などが論じられ、日本においての大思想家の誕生などまで様々なことが論じられている。中でも「存在と本質」、「普遍論争」に関してはとても興味深かった。
    そこで簡単にまとめてみようと思う。
    存在と本質
    存在はesseとexsistentiaの二つがありそれは明確に区別されている。本質は形相としてそれをそれたらしめているものであり、形象においても認識される場合、それらをまとめて本性(naturaという。存在、すなわち「在る」というのは、現実に在る時、すなわち質量によって規定される場合exsistentiaとして使われ、形相によって規定される場合essentiaとして使われる。同じ在るということでも2種類考えられるということである。
    トマス、スコトゥスにおける存在と本質の区別はどちらも人間の知性を必要とする点で共通している。トマスにおいてはより形而上的に、スコトゥスにおいては’命題’として論理学的に、それを区別していると私は理解した。
    対してオッカムは、「オッカムの剃刀」という信条の元、存在と本質は文法的な機能が異なるのみで同義であると結論している。exsistentiaの世界とessentiaの世界は人間の知性を介在として対応することはないということである。それ故に存在することに先行する本性なるものはない。オッカムは「犬」という普遍は我々の心の中にある概念や言葉として実在していれば十分だと考えたのだ。そしてそれはアウグスティヌスの「記号としての言葉」や「内的言葉」とも繋がる。そこから唯名論の「この世界に実在するものは、徹底的に個物でしかない」というテーゼが提出される。
    認識について
    認識には「感覚認識」と「知性認識」の二つがある。感覚認識とは身体器官を通じて把握することであり、知性認識とは知性によって音や光の性質を学習、観測し把握することである。この認識の枠組みは、実在論も唯名論も一致する。しかし、この枠組みが外界の事物とどのように関わりあうかという説明は当然異なっている。共通するのは、我々の認識は、感覚であれ知性であれ、その出発点となっているのは、広い意味で「心の中」の働きであるということである。そしてそれは近世の観念論につながっていくらしい。それは国家であり、社会であり、環境倫理学や政治哲学、個人の尊厳、倫理と繋がっていく。らしい。ここまでが私の理解です。特に印象に残ったのでまとめてみました。間違ってたらすみません。

  • 世界各地の思想や宗教で、同じような対立や弁証法的な関係が散発して存在している。この一点だけでも、「世界哲学史」を学ぶ価値がある。ちくま新書という専門レベルが大事だ。

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