- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480073174
作品紹介・あらすじ
近代日本が崩壊へと向かう過程において、憲法体制は本当に無力であるほかなかったのか。明治国家の建設から総力戦の時代まで、この国のありようの根本をよみとく。
感想・レビュー・書評
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明治、大正、昭和戦前期の政治史を理解するためには明治憲法の構造と機能を知る必要がある。本書は、政治史を、憲法史として再構成しようとするものである、とはじめに本書の狙いが示されている。
以下、気になった点。
第二章「明治憲法体制の出発」の章は、初期議会における予算審議権を巡っての「富国強兵」と「経費節減」の争いを整理している。
藩閥政府は、概して政党に否定的であったが、美濃部達吉の天皇機関説が、「解釈改憲」により政党内閣の正当性を結論付けた、その論証を丁寧にあとづける。この辺りは、なるほどと思わされた。
そして、憲法11条の統帥大権、12条の編成大権に関し、ロンドン海軍軍縮条約締結を巡る統帥権干犯問題が火を吹き、また満州事変の処理を巡り、内閣には統帥権がなく、関東軍の行動の中止命令を出すことができなかった。
しかし、現地軍の暴走はともかく、日中戦争は閣議により、対英米戦争は御前会議で決定されたのであるから、国内政治体制のありようによっては、戦争への道を防ぐ可能性があった、と著者は言う。その点で、政党政治にとって致命的だったのは、五・一五事件により、犬養内閣が倒れ、その後政党内閣ができなかったことだとする。
第四章「挙国一致内閣」では、斎藤内閣では、政友会も民政党も閣僚を送っており、民意が働く余地のない状況であり、これを著者は立憲主義を根本から覆す重大な意味を持つものだとする。(そうした視点は考えたこともなかった。)
広田内閣が倒れた後、政民両党は、宇垣一成内閣を目指したが、陸軍大臣の推薦を陸軍から拒否され、宇垣は大命拝辞に追い込まれた。これにより、政民両党は衆議院に8割強の議席を占めながら、政権に就けない限り、憲法13条の外交大権に阻まれ、国民の生命に直接かかわる「戦争」を自ら回避する術を失ったという。(この指摘もなるほどである。)
第六章はやや駆け足気味で、論が少し追いづらいが、林銑十郎内閣から近衛内閣に移った直後に日中戦争が勃発し、状況が全く異なってしまったが、これで議会も国民も、自由主義とデモクラシーを放棄したのだとする。
明治憲法の天皇大権の重み、天皇機関説の現実的意義、特に政党政治との関係を、本書を通じてより理解することができたかと思う。
ただ、政党内閣から中間内閣の移行を重要な転機と捉える著者の考え方からすれば、なぜ政党内閣が終焉を迎えることになってしまったのか、その理由等について、一言あって良かったのではないかと思われる。(「昭和史の決定的瞬間」にあるのか?)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は日本近代政治史の泰斗で昨年逝去された坂野潤治氏の遺著であり、辛口の批評は忍びないのだが、学ぶところは多々あるものの、全体としてはかなり一面的な書物と言わざるを得ない。
著者は二大政党制を前提とする所謂「ウェストミンスター型議院内閣制」をかなり美化しているようだが、近年の比較政治制度論の成果を全くふまえない、相当古臭い政党システム理解である。二大政党制を採用しない国はいくらでもあるが、こうした国々では立憲主義が機能してないとでも言うのだろうか?我が邦でも、小沢一郎が主導した政治改革(=小選挙区制)によって実現した周回遅れの二大政党制がどんな結末をもたらしたかを見れば、思い半ばに過ぎるだろう。挙国一致内閣が立憲主義の否定だと言うなら、お手本のイギリスでも戦間期〜戦中に何度も立憲主義が踏みにじられたことになるが、著者はこれをどう考えるのだろうか。
そして著者の決定的な限界は、憲法体制へのアプローチが所詮「平時」を前提としたものに過ぎないことだ。「筆者のこれまでの日本近代史研究は、いつも1937年6月で終わってしまい、それ以後の8年間の総力戦の時代を分析したことはない・・・筆者はその分析には関心がないのである」著者はこの間、明治憲法は停止したとみるのだが、なぜ停止に至ったかは問われない。「帝国」と「立憲」を二項対立でしか考えられない著者の思考枠組ではお手上げする他ないのだろう。日中戦争なかりせば立憲主義は守られたか?という著者の思考実験は不毛である。歴史にイフが不毛だからではない。平時にしか機能しない立憲主義など何の意味もないからだ。日本が中国と戦争を続けたのは「明治憲法が悪い憲法だからではなく、閣僚や議員や、あるいは国民が悪かったためであった」その通りだ。ならば馬鹿な閣僚や議員や国民による、平時にしか使い物にならないご立派な「立憲主義」の脆さ、これこそが問われるべきではないか。
やや飛躍するようだが、著者が匙を投げた問題について、評者なりの考えを最後に記す。コロナ禍にせよ原発事故にせよ、この国に有事への対処能力がないことを、この10年でまざまざと見せつけられた。真の国益を考え、毅然とした態度で国民を説得する指導者はどこにもいない。与野党問わず「命を守る」という誰も反対できない抽象的な「正義」に立て籠り、世論やメディアに右顧左眄するしか能のないポピュリストばかりだ。日中戦争から大東亜戦争へと突き進んだ時と本質は何も変わっていない。自衛であれ侵略であれ、こんな国に合理的な戦争遂行能力はないと断言できる。マッカーサーがいみじくも言ったように「12歳の子供」にはおもちゃがお似合いだ。情けないことこの上ないが、憲法9条はやはりこの国の「身の丈」に合ってると言わざるを得ない。「諸国民の公正と信義に信頼」し、アメリカもしくは中国の属国になるのが身の為だろう。 -
戦後民主主義のルーツが日中戦争勃発以前の「戦前」の時代における民主主義の進展にあったことがわかりました。
明治憲法下における大正デモクラシーから憲政の常道に至るまでの政党政治の発展があったからこそ、戦後は速やかに自由と民主主義がねづいた。正確には戦前デモクラシーが復活強化した。
日本国憲法の精神は、戦時中の断絶があったものの戦前からの伝統を受け継ぐものだという認識は大事なもののように感じます。
戦前・戦後で歴史は断絶ではなく継承されていた。むしろ明治憲法下で民主主義の漸進的な進展があったからこそ、戦後の日本は平和と自由と民主主義の体制がスムーズに確立されたといえますね。 -
15年戦争という概念を否定はしないが、日中戦争が始まるまでは日本には自由主義と民主主義は生きていた。
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明治憲法を再評価しつつ見る政治史。著者は、1937年7月から45年8月までは「明治憲法が機能しなくなった時代」、その8年間の無憲法状態の後に日本国憲法が誕生した、とする。
特に、政党内閣を直接明治憲法により正当化する点が目新しい。藩閥勢力や軍部が政党から身を守るために作られ運用されてきた明治憲法が、後には逆に政党内閣を軍部や官僚から守るための重要な武器になってきた、というのである。著者はその理由として美濃部学説を挙げる。美濃部はまず、国務大臣単独責任説を否定し、内閣全体責任論をとる。その上で、閣議決定=全内閣員が同一の政治的意見=同一政党に所属、これに政府の国政運営には議会の後援が必要だという点を合わせれば、議会多数派が政権をとる政党内閣制が「自然の勢」だというのである。
また著者は、五・一五事件による政党政治終焉を断絶とはしていない。確かにその後の挙国一致内閣時代に憲法が機能不全に陥ったが、1936年2月の総選挙から翌年7月の日中戦争勃発までは憲法の機能回復だとし、特に躍進した社会大衆党を社会民主主義政党だと見て、この時期を保守対革新という戦後民主主義の萌芽だとしている。
他方、明治憲法の弊害として必ず挙がる統帥権独立。本書では、ロンドン海軍軍縮条約における統帥権干犯の非難は海軍軍令部ではなく政友会から起きたと指摘。著者はそこまで述べてはいないが、政党政治の副作用とは言えないか。もちろん、政党政治自体が批判されるべきものではないが。 -
東2法経図・6F開架:B1/7/1513/K