- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480074553
作品紹介・あらすじ
「あんたバカ?」「だって女/男の子だもん」。私たちが何気なく使う多くの言葉のどこに問題があるのか? その善悪を根拠を問い、言葉の公共性を取り戻す。
感想・レビュー・書評
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悪口とはなんなのか?に興味を持ち読み始める。また事実だから言っても良い論法の人に出会ったため、上手く何故それが悪いかを説明するためのヒントが無いか探そうという目的での読書。
図があるともっと入りやすかったかも…
読み終えた感想
「ヤツの尻尾を掴んだぞ!」
例や説明に使うモノが古く(結構重要な役割を持つラッキーマンはまだいいけど横山ホットブラザーズはちょっと…)著者のプロフィールを見て納得、自分よりちょい上の方でした。
それも含めて面白かった。
読み終えたけど、再度要素だけ抜き出して図示しておくことにする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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『悪い言語哲学入門』和泉悠著(ちくま新書) | レビュー | Book Bang -ブックバン-
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UP 2022-7
[言語学バーリ・トゥード]18 悪い言葉の誘惑 川添 愛2022/07/11
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「悪い」言語「哲学」。それはまたどういうことだろう?タイトルにひかれて読んだら、とても興味深い内容で、日頃モヤモヤしていることの霧が晴れた気がした。
恥ずかしながら、言語哲学という学問分野があることを、これまで知らなかった。筆者は「言語のダークサイドに立ち向かう際に、言語哲学が必ず役に立ちます」と言う。言語学は「こうなっている」と事実関係を明らかにするが、そこに、歴史的にものごとの善悪について考えるための道具を提供してきた哲学をプラスすることで、「これはよくない」「こうすべきだ」というような、価値についての判断にまで到達することができるのだ、と。なるほど~。
具体的に取り上げられているのは、悪口や嘘、デカイ主語、ヘイトスピーチなど。どれも切り口が新鮮で、とても面白かった。「入門」とある通り、学問的探求の入口を示す程度にとどめてあるので読みやすく、同時に、重ねられてきた研究の成果としての信頼感があると思った。以下は覚え書き。
・ことばの評価はタイプ単位ではなく、トークン単位で行うべきもの。どんな場で、どんな文脈で使われたかで、同じことばが違う意味を持つ。
・「言語行為」という考え方。あることを言うことそのものが行為である。「○○とは言ったけどからかったりしていない」という言い訳はできない。
・「ことばは情報伝達の道具」という考え方の誤り。誹謗中傷をしながら「本当のことを言っているだけ」という場合、単に情報(本当のこと)を伝えたいだけではないはずで、これも言語行為。
・悪口や不適切な発言があったとき、単にどの表現タイプを使った、使ってないということだけに注意をそらされてはいけない。また、「どういうつもりだったか」という答えの出しようのない問いは煙幕となる。
・総称文(「男は~だ」「日本人は~だ」)は、単に「そうでない人もいるからよくない」のではなく、その集団が「本質的に」その性質を備えていると主張し、ステレオタイプや偏見を表明している可能性があるから、そのことに自覚的になるべき。
・哲学者のミルによる言論の自由擁護の論証では、真か偽となる「意見」を提示する自由が擁護される。意見の提示ではない加害行為を、言論と見なして擁護する必要はない。
・哲学者のヒラリー・パトナムの言葉。「ことばを一種の道具と見なすとしても、それがハンマーやねじ回しのような一人で使う道具ばかりでなく、複数の人間が関わる蒸気船のようなものである可能性も考慮しなければならない」
・敬語などが持つ含意を私たちは自由に決められない。差別的語彙が持つ含意も、私たちは自由に決められない。
「差別的発言が、同列に位置づけられるべき集団を低くランクづけするような効果を持つならば、それは話者の意図と無関係に何らかの制裁の対象となるべきでしょう。本当のところは、深層心理では、差別的意識がないとかあるとか、そういったことは、表現の公共的使用とは無関係なのです」
・「ヘイトスピーチの可能な規制や、人権を侵害する言語使用を批判するとき、私たちは蒸気船やタンカーの造船技術・運行規制・免許制度などについて話をしているわけです。『タンカーの操縦に規則なんかいらない、大事なのは安全に運転しようとするそれぞれの意識だ。ほっといてくれ』などと言われて納得する人はいないでしょう。ところが、言語については、『ことばよりも個人の意識が大事だ』のような見解がしばしば提示されます。少なくとも、私たちは、言語がときとして、大事故を引き起こすタンカーや航空機のように、人を傷つけ、社会を壊すことがあることを忘れてはならないでしょう」
以前テレビで、民族学校に街宣車が乗りつけ、「○○を叩き出せ!」「○○を殺せ!」と大音量で叫び、学校のなかにいた子どもたちが「怖い-」と泣いてるのを見た。憤りで体が震えた(本当に)。このとき以来、「ヘイトスピーチ」は「ヘイト」でも「スピーチ」でもないと思っている。恫喝や脅迫は犯罪だし、あれは絶対に「スピーチ」なんてものではない。「言論」が尊重されるのは権力に対するときであり、「何を言ってもいい」わけではない。本書のような論考はとても大事だと思うけど、現実には、そんなもの屁とも思わない人たちがたくさんいることを思うと、もどかしくてたまらなくなる。 -
あまりにも多くの言説が流布するこの時代において、いわゆる”悪口”ーヘイトスピーチなどのように極めて現代的なものも含めーの流布もエスカレートしているように感じられる。では”悪口”とは何なのか?、どこまでがセーフでどこからがグレーなのか、などシンプルな疑問を言語哲学の理論を元に明らかにして、言語哲学という学問の面白さを知ってほしい、という著者の思いからまとめられた新書。
紹介される理論は、意味の外在論・内在論や言語行為論(Speech Act)などかなりソリッドなものであるが、著者特有の非常にユーモラスかつ難解な概念もシンプルになるべく伝えようという姿勢も相まって楽しく読み進めることができる。そして、”悪口”を糾弾されたときに往々にして言い訳として使われる「いや、そういうつもりはなかったんです」という言明が、言語哲学の理論を用いることでなぜナンセンスなのか、など、一種の学問の実践ともいえる知的な面白さがある。 -
悪口とは何か、という問いに答えることは案外難しい。
たとえば、「人を傷つけること」は悪口の必要条件でも十分条件でもない(人を傷つけない悪口もあれば、人を傷つけるが悪口でない言葉ある)。
言語を使えることと、言語について知っていることとは別物である。
本書は、悪口について考えることを通して、言語について考える道具を学ぶことができる本。
具体例に沿って進み、分量も短いのですぐ読める。
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悪口は人を傷つけ、また、人にも嫌われる。これだけで悪口を言わない理由としては十分だと思う。
ただ、それだけではなく、悪口には、真偽とは関係なく相手のランクをさげることに繋がると。なるほど、その通りだと思った。言葉には公共性があり、行為としての責任も伴うとは思っていたが。 -
帯に書いてある、「どこまでがセーフで、どこからがダメなのか」ということに興味を持ち、久しぶりに衝動買いをした。入門編というタイトルの割に、私にとっては少し難解に感じ、理解できたかというと自信はない。言葉というのは、捉えることが難しく、AIでもなかなか追いついて来られない領域ではあると思うが、素人ながら、ここまで深く考える必要があるのかと疑問に思った。
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言葉のもつ表の意味と裏の意味を知った。この分野は語用論という。実際の言葉の形から、ではどういう意味をもつのかを研究する。
京都の人が「えらいいうまい演奏ですなあ」といった場合、それは演奏を誉めているのではなく、うるさいからピアノを引くのをやめろ、という含みをもつ。このように言葉にはその言葉の裏にある「含み」をもつものがある。
自分は正面から言葉の意味を受け取ってしまうタイプである。この本のなかで言葉の表の意味と裏の意味を取り上げている中で、裏の意味がすぐにわからないことが多々あった。
言語行為論
言葉を発するのは純粋な情報伝達手段だけではなく、行為のひとつである。これを言語行為論という。
(1) 掃除は一年担当だよ(先輩が一年生に向かって)
この場合、文の意味は掃除をするのは一年生であるという真理的条件文(真か偽が導ける文)であるが、その含みは「お前が掃除しろよ」である。
この言葉は相手にこういう行動をとれと命令している行為なのだ。
ヘイトスピーチの章で、いわゆる「言葉狩り」を批判している。
差別的な歴史をもつ言葉の使用により共有基盤(両者が了解している前提条件)がアップデートされる。特定の社会集団の序列・ランキングを下げる効果がある。「お前タバコやめたんだ」という言葉にはタバコを吸っていたという前提条件が含まれる。このようにいうことで暗黙のうちに共有基盤がタバコを吸っていたという事実があったとしてアップデートされる。
そういった言葉の使用は憎悪のもとであり使用の禁止を検討すべきである、という。
私は言葉狩りには反対の立場であった。なぜなら言葉というのは、今ここに記している通り、自分の考えを伝えるものであり書き留めていく技術なのである。
その言葉を制限されるのは自分の思考・表現を制限されるようで、かなりの苦痛である。
それを踏まえて言葉狩りには反対の立場であったが、言語行為論を知り発話は行為ならば、集団を傷つける言葉は暴力行為になる。そうならば規制されて当然だろう。 -
悪口、嘘、ヘイトスピーチなどの「悪い」言語使用に焦点を当てた言語哲学入門。
挑戦的で面白い試みだと思ったが、読み終えて、言語哲学の入門書としても、悪口やヘイトスピーチなど「悪い」言語使用の分析としても、ちょっと中途半端だったかなという印象を否めなかった。個々の記述には興味深いものが少なくなく、特に、悪口やヘイトスピーチの本質は自分より低くランクづけをすることという本書の指摘には納得感があった。