- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480074966
作品紹介・あらすじ
計7冊を刊行してきた『昭和史講義』シリーズの掉尾を飾る戦後文化篇。上巻では主に思想や運動、文芸を扱い、18人の第一線の研究者が多彩な文化を描き尽くす。
感想・レビュー・書評
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『昭和史講義』シリーズも7冊が既刊だが、いよいよ最終配本とのこと。
興味を持った講は、次のとおり。
第1講「丸山眞男と橋川文三」〜丸山の近代主義的な超国家主義研究に対し、橋川は、日本の“超国家主義“を日本の国家主義一般から区別する歴史的視座の構築を目指し、具体的には、安田善次郎を暗殺した朝日平吾をそのスタートとして着目する。社会的緊張の状況におかれた下層中産階級の者たちの自我意識がその限界を突破しようとして、現状のトータルな変革を目指した革命運動であったとして昭和超国家主義を捉える。
第3講「知識人と内閣調査室」〜「内調」という組織は、なかなか外からはその実態が分からない。最近でこそインテリジェンスの重要性が言われ、内調幹部経験者の書籍等も出ているが、本稿は、戦後間もない時期における内調自身の自己規定や、内調と知識人との関わりなど、あまり知られていないところにフォーカスを当てたもので、興味深い内容である。
第14講「小林秀雄」〜小林秀雄の偉さというものがいろいろ読んでも良く分からなかったのだが、本稿ではニコラウス・クザーヌスの「知ある無知」を補助線として小林の批評の特色を説いている。少し納得できた思い。
第18講「勤労青年の教養文化」〜50年代には、進学したくとも家庭の事情等で進学出来なかった相当数の者たちがいた。青年学級、定時制高校、人生雑誌等、彼ら勤労青年が教養を求めて参画したそれらに触れつつ、勤労青年の鬱屈と時代状況を説明する。正に、そんな〜時代もあったねと、との思いを強く感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
19の講からなる。丸山眞男など思想面は自分には難解なので流し読みし、大衆文学や社会関連の講を中心に読む。
50年代、太陽族=割と裕福な若者は旧制高校的なインテリ学生文化に反発する一方、中卒勤労青年には実利的メリットが少ないのに定時制高校に通うなど教養文化があったのは対照的。ただ、どちらも旧来型知識人批判という点は共通しているかもしれない。
沖縄文化の講では、筆者は沖縄各地の文化や戦争経験、復興過程の多様性を挙げ、一律の「沖縄文化」に疑問を呈する。占領期の米国が日本との分離を進めるため保護した文化が現在の「琉球文化」になったという。また、特に返還後、本土の知識人が「沖縄の苦しみ」に寄り添い沖縄文化と素朴さを称えることをやや批判的に「定められたコース」「典型的」と呼ぶ。
84年生まれの若い論者が全共闘世代を論じる講は興味深い。学生の主体性重視というのが、セクトの事件のイメージがあるだけに意外だったが、セクトは全共闘の一翼を担えど必ずしも学生は従わなかったようだ。 -
東2法経図・6F開架:B1/7/1665/K