理数探究の考え方 (ちくま新書 1689)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480075116

作品紹介・あらすじ

高校の新科目「理数探究」では何を学ぶのか。数学の確率的思考、理科の実験のデザイン方法など、自らどう学びどうアウトプットするかを事例豊富に案内します。

感想・レビュー・書評

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  • 探究が小中高のキーワードになり、高校では物化生地のほかに「理数探究」という科目が取り入れられた。数学と理科の知識や技能を総合的に活用して主体的な探究活動を行うもの。新しい科学のアプローチとして、「理数探究」と「サイエンスコミュニケーション」の本質を伝える本だという。

    「理数探究」のアプローチには、社会とのつながり、数学との融合、物化生地の垣根を超えたつながりなどを大切にすることがある。この点は納得。具体的な「探究」の手法として、大学の研究などを事例に、高い専門性にも応用できる基本的な手法が説明されている。この点は特に新しいと感じられないが、普遍的だということか?

    サイエンスコミュニケーションとは、どうやって人に伝えるか、特に一般の人に向けて、正しく科学を伝えるには、ということらしい。分かりやすい例として、新型コロナの統計数値やら、新型コロナワクチンの効用と副作用を理解してもらえない、などが挙げられている。

    ほかに、特に新しいかつ重要な分野だからこそ、教える人が重要、それを育てることも大切、など、いい話がポツポツ出てくるが、どうも上から目線な説明が多いのが気になる。これじゃダメだとか、なぜこうならないのか、とか。

  • 著者の石浦先生とは、15年ほど前、一度だけですが、仕事でご一緒させていただいたことがあります。
    当時は東大の教授をされており、非常にお話の上手な方でした。
    ちなみに、当時の、東大教授としての石浦先生の課題意識として、東大の学生の多様性のためにも、地方の優秀な高校生や、女子に、東大に入ってもらいたい、というものがあったようです。
    また、その解決のためにいろいろと動いていたそうですが、なかなかうまくいかない、という話を聞かせてくれました。

    本書は、現在の石浦先生の課題意識である、日本のサイエンス・リテラシーの向上に向けた提案、といえると思います。
    20年ほど前に、ある方から、「日本の理数離れは、小学校の先生が文系であることが大きく影響している」という話を聞いたことがあるのですが、石浦先生も本書の中でそのことを述べていますし、自分自身も、そのようなことを感じた経験を持っています。
    この点については、これからの日本のためにも、改善すべきことだと思います。

    話は少し変わりますが、個人的には、現在の小中高の教科書は、食事でいうとサプリメントのようなもので、必要な要素(栄養素)は含まれているが、味気ない、と思っています。
    理数離れの立て直しのためにも、必要な栄養素を、おいしい料理として摂取できるような教科書が必要だと思いますし、あるいは、今の教科書であっても、うまく料理ができる先生の育成が必要だと思っています。
    そして、石浦先生がおっしゃるように、サイエンス・コミュニケーターの育成も、理数離れ改善のカギになるような気がしています。

  • この30年間、理科や算数・数学は楽しいということを伝えようと努力してきたつもりだけれど、はたして自分をサイエンスコミュニケーターと呼んでよいだろうか。物理学科で4年間学んだだけで、専門家としての訓練など全くしていないし、論文を読んだことも書いたこともない。1次資料に当たってみる力もない。成人リテラシー調査はほぼ正解できるがあやふやなものもある。だいたい理科の授業をしていると、これって本当?とか、なんでこうなるの?と思うことはざらで、最近ではすぐググってしまう。で、あまり信用にならないような情報をとりあえず生徒に伝えてしまうこともある。これでは、サイエンスコミュニケーターとしては失格だろうか。まあだが、サイエンスというか学問全般が楽しいものだという思いはあるし、それを伝えたいとも思っている。だから、自分では「学問のファンクラブ会長」と言ったりしている。まあ、半人前のサイエンスコミュニケーターとして認めていただけるとありがたい。ところで、探究学習をすることで生徒の能力が伸びた、だから探究学習を広めようとしているというような記述があった。それは本当に正しいのだろうか。僕にはどうも、SSHなどで探究学習をしている高校にはもともと優秀な生徒が集まっているとしか思えない。ふつうの高校で探究をしようと思っても行き詰ってしまうのではないか。今後の動向に注目しないといけない。それと、親の教育というか、子どもをどういう環境に置くかは大切だと思うし、自分でも意識してきたつもりだけれど、必ずしもそれでうまくいくとは限らないと思う。子育ては思うようにいかないものというのが真理だと思う。

  • 825

    石浦章一
    1950年石川県生まれ。東京大学教養学部卒業。同理学系大学院相関理科学博士課程修了。専門は分子認知科学、サイエンスコミュニケーション。東京大学名誉教授、新潟医療福祉大学特任教授、京都先端科学大学特任教授、同志社大学客員教授。近著には『サイエンスライティング超入門』(東京化学同人)、『小説みたいに楽しく読める生命科学講義』(羊土社)など。編著や訳書も多数。

    このように、実験をデザインするというのは、なかなか難しいことなのです。このようなことを考えるのが理科です。ただ考えるだけではなくて、数字で表すことも必要です。理数探究という新しい科目は、誰もがこういうことを考えられるようになるといいですね、という目的で作られました。しかし、これが必要なのは理系の人だけではありません。文系の人がアンケートを採るときも同じことが必要になるのです。

    それとともに、最近のわが国では、日本全体の科学知識が低下しているのではないかという危惧もささやかれるようになりました。なぜかと言うと、あれだけ小学校で理科が大好きだったのに、中学校に入った途端に理科が嫌いになってくる生徒が多いのです。子どもが科学に興味がないから、当然、大人も科学の知識が低下してきて、わが国全体の国力が低下するという危険です。この状況をどう打破すればいいでしょうか。

    探究活動を行う子どもは、全ての能力において普通の子どもよりも思考のレベルが高いことが分かってきたのです。例えば、「必要な実験をデザインして行う能力や図解能力が高く、データ処理能力も高い。サイエンスリテラシーといういろいろな科学知識もたくさん持っている。加えて言語的知識も高く、概念の理解も非常に鋭い。もう一つ大事なのは、自分で何かを調べていくという主体的な態度も持ち併せている」ということが、米国の教育学者デビッド・ホーリー(David Haury)によって示されました。20世紀の終わりごろです。

    この動きとともに何が起こったかというと、先生は学校でただ教えるだけではなく、体験学習とか、実践(自分でやってみる)、ハンズオン(何か物を手を動かして作る)を指導することが大切、という機運が高まりました。とにかく身の回りのものでいろんなことをやってみる。しかも自分一人だけではなくて、グループでお互いに刺激し合いながら行うという子どものほうが、物事に取り組む姿勢が養われることがだんだん分かってきたのです。これを受けて、日本でも高校でやりましょうということになりました。理数探究を経験することで、生涯を通して理科好きが続くのではないかという希望があるのです。

    この「学びの転換」によって教え方を変えようじゃないか、すなわち探究とハンズオンを基本とするようなアプローチにしましょう、ということになった理由がありますが、お分かりになりますか。どうも子どもたちや大学生は、今教えられている理科や算数というのは日常と離れていると感じているらしい、ということが分かってきたからです。だから大きくなるにつれて科学への興味が低下してくるのではないか。小中高、なるべく小さい段階で彼らの興味のあることを教えないといけない。そういう流れになってきたのです。

    19世紀前半に活躍したイギリスの科学者ファラデーは、こういうことを言っています。「子どもたちを科学に夢中にさせることのできない教育制度には、何か原理的な欠陥がある」。そのとおりですね。今までのままではいけない。そこで、これは新しい考え方ですが、勉強、つまり学習というのは、先生と生徒が1対1で相対し、結果的に理解できるかできないかは本人の努力次第だ、というものではなさそうだということになってきました。学習というのは社会的なプロセスで、お互いに学び合うことが大事なんじゃないか。もちろんいい先生と出会うことも大事だが……ということになってきたのです。

    大切なのは、知識があることではなく、疑問を持って調べることなのです。この態度が非常に大事で、皆さんよく知っているように、『チコちゃんに叱られる!』という番組は結構人気がありますね。なぜかというと、不思議だなと思うことがあったら、それをちゃんと自分で調べていくことが主題になっているからです。そのやり方自体が面白いから、番組が成立しているわけです。

    皆さんの周りには、お医者さんになろうと思っている人がいっぱいいませんか? 専門知識を活かす職業なので給料も高いだろう……というわけです。しかしこの状況が、あと何年もつか、というところです。AIが代わりにやればいいことは、いっぱいあります。薬剤師さんも、もうすぐ要らなくなるはずです。薬学部が全く不要になる、と言ったら驚きますね。そうでしょう? 症状が分かれば、AIが「この薬」、というようにさっと出してくれるのです。他にも、「Googleについて調べて、ポスター作って」とAIに言うと、「はいっ」と答えてすぐ作ってくれる、そういうことが当たり前になります。だから、ある細かい知識を覚えていてもしょうがないのです。未知のこと、今まで起こったことがない事件にも的確に対処できる能力を持つ人にならないといけないことが分かりますね。

    大学1~2年生というのは、広い教養や知識を学ぶ時期です。なぜ、あまり役に立たなそうなつまらないことを、と思うかもしれませんが、断片的な知識ではなく人類の英知として時代を超えて蓄積されてきた分野融合的な知識(これを教養と呼びます)を学んでいると、将来役に立つのです。専門に関係ないことを知っているということが、その人の余力、つまり余裕になるのです。専門のことだけを知っている人は専門バカと言われてしまいます。人間は、それ以外のことをどれくらい知っているかによって、将来お金持ちになれるかなれないかとか、良い伴侶に恵まれるかどうかとか、そういう人生で重要なことが決まると言ってもいいのです。窮地に陥ったときに、あなたが広い知識を持っているかどうかということが、すごく大事なのです。

    そこで中高で理数を学ぶ意義は何かというと、ちょっと気が付くことはいっぱいありますね。実生活に役に立つからとか、そんな小さなことだけじゃなく、もっと広い目でいろんなことを見ましょうということが大切なのです。科学技術に慣れることも大事だし、将来、理科職離れ、つまり理科の職に就きたくないという人を少なくするためにも、理科を勉強するのですが、身の回りのことを理科で説明できると、だんだん科学に対する興味がわいてきて、自分の健康や地球環境、宇宙のことまで知りたくなります。そして、得られた科学の知識を使って理想の社会をつくることができるのです。

    なぜ理科や数学を学ぶかというと、私たちの生活だけでなく、社会のしくみを良くするために学んでいるのです。すべての子どもが、そう言えないといけないのです。だから単に細かい数字を覚えるというのは、東大王になるようなものです。えらくもなんともない、単なるミニコンピュータです。それじゃダメなわけで、チコちゃんみたいに、不思議だと思ったら自分で調べていくという、そういう試行の積み重ねが、良い社会をつくることになります。

    ところが今の日本人、日本の子どもたちは、何が問題かというと、主体的な学びへの関心のなさです。どういうことかというと、自分で何かを調べようとしないのです。先生に言われたことだけやる。与えられたことのみを学ぶ姿勢が顕著であるところが問題と言われています。もう一つは、論理的な思考からの逃避といって、頭を使って考えると嫌になってしまう点です。だから中学校あたりで論理でものを考える物理とか数学が嫌いになるということになります。

    また、自ら創造する力に乏しい。これもそうですね。世界の国の子どもたちに比べて、日本の子どもは、クリエイティビティーがないし、海外に飛び出す意欲もない。こういう現状を何とか改善しましょうということになりました。困りましたね。大人も子どもも、自分で何かを決めたり、新しく作ることが少なく、人が決めたことに乗るのは楽で大好き、これが今の日本人です。ただ規則を守るのではなく、規則を作る側になってほしいのです。

    しかし調べていくと、もっと面白いことが分かってきました。3秒ルールが本当に正しいかどうかというのは、実験してみれば分かることです。細菌の数を調べるというのは、ちょっと難しいのですが、シャーレに寒天をひいて、そこに細菌が何個生えるかということで計算することができます。結果、3秒ルールは実は間違いだということが分かった。予想だと3秒以内だったら細菌は付かないだろうと思っていたのに、実際にやってみると、ほんのちょっとの時間でも細菌が付着し、時間がたてばもっと付着することが分かった。ここまではH高校の生徒と同じです。しかし、これだけでは何も新しいことがありません。やはりプラスアルファがないと、オリジナリティーがあるとは言えないのです。この生徒は、「アメリカでは5秒ルールというものがある。日本は3秒ルールで、アメリカは5秒ルール。これはなぜだろうか」。こういうところに気づくのは面白いですね。つまり、なぜ日本が3秒でアメリカが5秒なのか、アメリカ人の方がのろいのではないかという仮説も成り立つかもしれない。日本人の方が敏捷だったら面白いですね。探究のオリジナリティーというのは、こういうところに気づくかどうかなのです。また、どこに落としたかということも大事で、じゅうたんか畳かフローリングか、どこに落としたときに一番細菌が付きやすいのだろうか、こういう疑問がどんどん出てきます。そうしたら自分でその疑問を解決する手段を考えればいいのです。

    入試をどう変えたらいいでしょうか。もちろん全科目必須が目標です。地学を勉強しないで社会に出る学生がほとんどですが、地震のことを知らないままの日本人でいいでしょうか。生物を知らない医者がいていいのでしょうか。また、入試を変えるのも至難の業なのです。大学は、受験料や入学金で生計を立てていると言ってもいいような企業です。多くの人に受けてもらうために、受験科目をただ減らすような私学も多いのです。入試方法を多様化して、何とか入ってもらうことに汲々としており、理解力のある学生を育てる気概もありません。 例えば、AO入試というものがあります。一般の試験を受けるのではなく、面接や高校生の時の賞取得経験などを考慮して入学者を選抜するものです(これに探究コンテストが使われることがあります)。また一芸入試といって、特殊な能力を一つ持っていれば大学に入学させる、ということも行われています。これは大学の宣伝です。これらはすべて、期待していた効果が出ないことが、分かっています。そもそも一般の入試も突破できない人が大学で伸びるわけがありません。

    大学は儲けなければならないという経済的な問題と、出題・採点する人がいないという現実的な問題から、試験科目を少なくする大学が多くなりました。文系だと数学を抜いたりする大学が増えたのです。そうすると結果的に勉学意欲のない学生しか集まらなくなりました。つまり楽なところに来ようとする学生は、しょせんダメな学生で、入ってからも手がかかります。そういう大学は淘汰されるようになりました。

    どうしてこうなったか分かりますか? 一芸入試の人は、一つのことしかできないので、他のことを学ぶ意欲があまりないのです(もちろんそうでない人もいますが、大多数は難しいことにチャレンジしません)。何度も言っていますが、自分に関係のないことをやる意欲がある人ほど、伸びていくのです。要するに余裕です。余裕がないと広い視野を持つことができず、狭い世界で一生を終えることが多くなります。入試で人を選ぶときから、意欲のある人を選ばないといけないことが明らかになってきたのです。

    もう一つの問題は、高度な知識を教える専門家がいないことです。特に小学校で理科を教えている先生は、文系の教育学部を出た先生が多いのです。5、6年生はこれではダメで理科専科の人が必要だということになりました。2022年度から小学校高学年で教科担任制が導入されることになりました。

    皆さんの身の回りに、科学のヒーローはいるでしょうか。誰がいるかというと、山中伸弥先生がいます。米村でんじろうさんも科学の楽しさを教えてくれるヒーローですね。さかなクンももちろんヒーローです。かつては茂木健一郎さんも科学のヒーローでした。今でも頑張っていらっしゃいますが、少し科学から離れているようです。だけど、それ以外にいますか? いないでしょう? 日本の現状は、この4人くらいなのです。これはとんでもない話ですね。そうでしょう? このような人になりたい、という人がいないのです。

    皆さんも、本を読みなさいと、よく先生に言われたと思いますが、本を読めば読むほど、その人の視野が広まり人間の深みが増すのです。

    コミュニケーションというのは、本人が学ぶしかありません。これを上手に学べない人は協調性がない人間と言われてしまうのです。コミュニケーションというのは、人間関係の構築です。周りには自分と合わない人もいる。同時に、自分がとうてい辿り着けないような、よくできる人もいるということに気付きます。すなわち、子どもは世の中の多様性に気付くわけです。こういうことは意外に大切で、周りにはいろんな人がいる、でもそういう人と仲良くしなければいけないということを学ぶ。その第一歩が高校での理数探究という科目になるのです。

    もう一つ大切なのは、理科を勉強して、それが私たちの社会にどう役立っているかという点です。一見、一番社会生活に遠いと考えられる数学で習うサインやコサインも、建築、地球、宇宙に深く関係しています。

    つまり勉強時間というのは、すごく大事なんですね。これは当然です。子どもたちの能力には、そんなに差はないのです。差があるとすれば、それは勉学に集中する時間に比例します。大学院生でも、研究時間が長い人のほうがよい結果を得る確率が高いのです。私は100人以上の大学院生を直接指導した経験がありますが、論文になるような結果を出す人は、研究室にいる時間が長い人でした。

    そこで理科で何を教えるべきかという面では、第1章でお話ししたように理数探究とサイエンスコミュニケーションを加えるべきだという議論があります。サイエンスコミュニケーションには、先ほどの発表の仕方なども含まれますが、科学がどう発展してきたかという歴史、科学を実践するのに必要な倫理なども大切なものになります。今の日本の理科教育ではこのあたりのことが抜けています。21世紀になって、少しずつ追加されてきたというのが現状です。

    これから分かることは、日本は役に立つ学問に力が入り過ぎているのではないか、という点です。前にも述べましたがある企業経営者が、「大学では就職してすぐ役に立つことを教えてくれ。意味のない数学や文学は少なくしてもいいから」と言ったことがありました。経営者の役に立つことというのは、一生自分の下でアリのように働いてくれればそれでいい、という傲慢な言い方です。そういうのが一部教育委員に入っているのが、現在の日本です。

    ここから分かることは、最初の1年、赤ちゃんのときの栄養摂取が非常に大事だということです。つまり1歳までに十分に栄養を与えて神経細胞の必要数を満たさないといけないのです。赤ちゃんの時の食事が重要です。その後、何が大事かというと、10歳までに刈り込みを行わなければいけない。これが教育、学習なのです。ちゃんとした情報を子どもに与えて、学習を行わないと神経回路がつくれませんということを示す図になります。ここで教育が大事だということになる。 ただし教育というのは、塾に行くことではありません。普通の知的刺激、すなわち10歳までに、幼稚園や小学校に通うだけではなくて、保護者と一緒に動物園や美術館へ行くとか、自然に親しんだり動植物に触れあったりする経験です。もちろん、箸の持ち方などの生活に必要な知識を得ることも大事です。

    賢い子の家へ行くと、本がいっぱいあったり、親が夕ご飯の時にテレビを見ていないのです。ちゃんと毎日、親御さんは決まった時間に部屋に入り、勉強しているのです。そういう家で育てば、本を読むことが当たり前になり、食事の時間は親子の対話の時間になります。親も興味があるので小さい時から博物館や動物園などに行く機会も多くなり、親が興味を持たないゲームには関わらず、遊園地には行かなくなるのです。教育というのは、そういうものです。

    賢い人は、煙草を吸わないなどの健康的な行動をとるため脳にダメージが少なく、結果的に長寿になるのです。

    ここには中高から大学、修士課程、博士課程と積み上げ式に研究者になる道筋が書いてあります。研究者にならずに、途中で卒業する人も多くいますが、その人たちにも当てはまります。まず、大学では教養と専門の授業を履修します。これは1年生の時からずっと4年生になるまで続きます。昔は、大学生は最初から専門教育をしないと社会に出ても役に立たない、と企業人から言われた時代もありました。これは、企業人が大卒者を死ぬまでこき使ってやろう、という意見です。ところが、21世紀に入って、こうではなく教養を身につけた人のほうが柔軟性があり、どういう仕事にも対応できることが分かってきて、賢い企業は教養を身につけた学生を採用するようになりました。企業のトップがどう言っているかで、その企業の行く末が分かるのです。

    こういう技術が、別の分野にも使えるのではないかという話で締めくくりたいと思います。現在、我が国の小中学校で軽度発達障害といわれている子どもは、20人に1人くらいいると考えられています。その20人に1人の内訳は、半分は知的障害ですが、4分の1はADHD(注意欠陥多動性障害)、ダウン症の子どもが2%です。これに比べて自閉症は1割もいるのです。だから、この自閉症児へのケアというのは、幼児教育、小学校、中学校の教育で大きな問題になっています。

    科学を知ることは、私たち自身の健康、生活の質の向上、環境問題の解決などに重要であることは言うまでもありません。また大学生になれば、科学技術がどのような役割を持つのかを説明できないといけないと思います。できれば、すべての大学生がサイエンスコミュニケーターになる時代が来る、というのが私の希望です。本章では、これらサイエンスコミュニケーションについて勉強することにしましょう。

    ここまで何度も出てきましたが、サイエンスコミュニケーションというのはどういうことを行うものでしょうか。科学の正しい内容を知らせること、というのが一般の人の意見だと思います。新型コロナの最新事情を語るテレビ番組も最新科学のニュースを解説するテレビ番組もサイエンスコミュニケーションを行っています。しかしこれだけではなく、小学校で花の受精の仕組みを教える先生も「DASH村」で生物を観察するタレントさんの行っていることも立派なサイエンスコミュニケーションです。

    正しい科学はなぜ伝わらないのでしょうか。科学者が「正しい話をしても、なかなか信じてもらえない」とこぼすことが増えました。新型コロナウイルスのワクチンは病気を防ぐ一番良い方法ですが、副反応が出るのが嫌、という理由だけでワクチンを打たない人がいます。ワクチンを打たなくても若者は感染して死ぬことはないし、数日具合が悪くなるのが耐えられない、というわけです。しかし、ワクチンを打ってあると、もし感染しても軽く済むうえ、他人にうつさないというメリットもあります。特に家族に高齢者がいる場合には、うつさないというのが最低条件になります。ワクチンは、すべての点で感染症予防に一番効果があることが明白なのに、それが理解できない人がいるのです。

    サイエンスカフェとは、科学技術の分野で従来から行われている講演会、シンポジウムとは異なり、科学の専門家と一般の人々が、カフェなどの比較的小規模な場所でコーヒーを飲みながら、科学について気軽に語り合う場をつくろうという試みです。

    科学リテラシー
    ・先端科学や科学技術を説明できる
    ・確率がちゃんと説明できる
    ・エセ科学を見分けることができる
    ・科学の面白さを伝えられる
    ・自然のすばらしさ、不思議さ、怖さを知っている
    ・実際に実験ができる
    ・科学には良い面と悪い面があるとともに、中間にはグレーゾーンもあることを説明できる
    ・科学者としての説明責任があることを理解している

    サイエンスコミュニケーター
    桝太一

  • 【請求記号:375 イ】

  • 375-I
    小論文・進路コーナー

  • ほとんど失敗している文○省の施策のなかの数少ない成功例がSSHらしい。

  • ふむ

  • 高等学校学習指導要領改訂に伴う「理数探究」設置を引き合いに出し、学校教育における理科系授業を紹介。時折質問が飛び出し、大人の読者の理数の素養を試され、ドキリとさせられる。
    第4章の「サイエンスコミュニケーション超入門-アウトプットのお作法-」は、プレゼンやレポートの組み立て方など一般社会人にも参考になる。

  • 「理数探求」という科目が高校の学習指導要領に加えられた。SSHで行われていた「課題探求」の発展型らしい。
    しかしSSHでならでいるだろうけど、全ての高校で実施できるかというと心配ですね。SSHでの実績をマニュアル化するんだろうけど、必要とされるのはマニュアルと対極にあると思うけどねぇ。

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著者プロフィール

石浦 章一(いしうら・しょういち):1950年石川県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、東京大学理学系大学院修了。理学博士。国立精神・神経センター神経研究所、東京大学分子細胞生物学研究所助教授、東京大学大学院総合文化研究科教授を経て、東京大学名誉教授。新潟医療福祉大学特任教授、京都先端科学大学特任教授、同志社大学客員教授。専門は分子認知科学、分子生物学、生化学。難病の解明をライフワークに、遺伝性神経疾患の分子細胞生物学研究をおこなっている。著書に『理数探究の考え方』(ちくま新書)、『小説みたいに楽しく読める生命科学講義』『遺伝子が明かす脳と心のからくり―東京大学超人気講義録』(羊土社)、『運動・からだ図解 脳・神経のしくみ』(マイナビ出版)、『タンパク質はすごい! ―心と体の健康をつくるタンパク質の秘密』(技術評論社)、『王家の遺伝子―DNAが解き明かした世界史の謎』(講談社ブルーバックス)ほか、多数。

「2024年 『70歳までに脳とからだを健康にする科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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