- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480080066
作品紹介・あらすじ
現代を果敢に切り拓くさまざまな思想の冒険。だがそのテクストはきわめて難解だ。しかし、思考の原型にまでさかのぼり、哲学の基本問題に重ねあわせてみれば、とりわけ面妖なことをいっているわけではない。この思想の冒険のあらましを大胆に整理し、先え方の基本を明快にとりだし、読者自身の日々の思考に架橋する、スリリングな入門書。
感想・レビュー・書評
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おもしろい
デカルトからはじめて現在までの思想の流れを主要なエッセンスだけ切り取って自然な流れで繋げてくれてるので専門的な語が出てきても割と抵抗なく読めた。作者の意見は意見で逐一別の章にでもまとめてくれるとよかった(わがままです)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
竹田青嗣の一連の哲学入門書は、これまで僕が少なからず当たってきた同種の本に比べてダントツで面白い。
竹田の書き方は、対象となるある学問のいわゆる客観的な歴史を描き、そうすることで全体に対するとっかかりを作ろうとする通常の入門書の体裁を、全く逸脱している。「自分を知るための哲学入門」同様、ここにあるのは竹田の思想であり、その立場から見た哲学の一解釈である。その竹田の視線は、
1.自身の青春で覚えた独我論をどう抜け出すか、という個人的かつ根本的問題から始めること。
2.ポストモダン思想は(少なくとも日本において)出口の無いペシミスティックな相対主義でしかないこと。
3.代わって、ポストモダン思想の一潮流であるニーチェを直観的に、
4.フッサールの現象学を理論的に、当のポストモダン思想を乗り越えるものとして肯定すること。
という考えに支えられている。これは、なぜか僕自身の個人的体験ー個人的考えととてもよく似ていて、特に、ニーチェに関しての論述は単純化しているきらいはあるものの、まったく同じである。もちろん疑問というかそれは少し矮小化し過ぎているでしょ、というところはある。
たとえば竹田は、ポストモダン思想(ドゥルーズやボードリヤールが挙げられている)はニーチェを基本としながら、ニーチェの最も重要な「権力への意志」という、ポジティブな観念を扱わず、その前段階の諸価値の全否定たるニヒリズムにとどまっているとする。そうであったらいいな、それだったら不可能性に溺れるポストモダンの現代にはまだ救いがあってよいな、と僕も思うけれど、ほんとうはそんな簡単じゃない。ポストモダン思想は、まったく、堅固になり革命の一手も触れられなくなった社会システムに抗するためには「死」や「狂気」を持って立ち向かわなければならない、と竹田は解釈する。それは不可能だし、だからニヒリズムに陥らざるを得ないと、そういうわけだ。そしてそのニヒリズムを超えた場所にニーチェを見る訳だが、一方、ニーチェは生を全肯定するその力強い思想に自らが耐えきれず、「狂気」にふれ「死」んでいる。思想と実践は別と言えばそうであるが、思想は生きられるものであると僕は考えるから、やっぱり結局どちらも一緒だと言えてしまう。
でも、僕はひとまずニーチェを採りたい。力強さが、彼の文章から感じられるから。
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現代思想が行き着いた姿を大つかみに描いた上でそれに先がないことを示し、もう一度近代思想(特に現象学)を手掛かりして世界と自己のあり方を捉え直そうとしている。古い本だが、今も著者が取り組んでいることだ。著者の思想的立ち位置を知る上でよい本であると思う。
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現代思想の簡単な解説と、それに対する実存の立場からの批判が展開されています。
現代思想は、反形而上学と、マルクス主義の社会思想の克服という、二つの重要なモティーフをもっています。反形而上学は、世界についての客観的な認識をめざした従来の哲学に対する批判であり、ニーチェの思想にまでその源をさかのぼることができます。一方、マルクスの社会思想の克服という面は、われわれが現代の社会システムの外部に立つことはできず、せいぜいそこで「戯れ」ることしかできないというニヒリズムを帰結しました。著者は、現代思想の主要な議論をこのようにまとめたうえで、現象学ないし実存哲学の立場から批判を展開しています。
近代哲学は、世界や自己についての客観的な認識をめざしていました。ところがフッサールやハイデガーは、こうした問題設定をまったく新しいものに変えたと著者はいいます。彼らが問うたのは、世界や自己についての了解はどのようにしてわれわれにもたらされるのか、ということでした。フッサールは、了解ないし確信が成立する構造を明らかにし、ハイデガーは、われわれがそのつど何らかの情態性に基づいて世界についての了解するとき、そこから意味やエロスを汲みあげていることを明らかにしたと著者は論じています。
さらに著者は、こうした実存の立場に立脚して、人びとの間で相互了解が成立するプロセスと、相互了解を通じて社会的なつながりから何らかのエロスを汲みあげようとするわれわれの「欲望」の存在を指摘し、ニヒリズムに陥った現代思想の社会システム論からの脱出口を見いだそうとしています。 -
難解ではあったが、近代哲学を俯瞰できた。バタイユの章はやはりよくわからなかったが、バタイユ自体がよくわからないのでよし。
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「わかりやすい」というレビューが散見されるが、俺の頭が悪いのか絶望的に意味不明だった。読んで意味がわかった(わかりやすかった)のは、序とあとがきだけ。
現代思想の本だと思っていたのだが、ヘーゲル、マルクス、カント、ハイデッガー、キルケゴールなんて古典的なのも扱っているので、ボリューム過多。
著者なりに敷衍してくれるのだが、他の入門書に書いてある解説と乖離が大きく、著者の物言いが、つまるところ何を言いたいのか、全く理解できなかった。
ただ大学生の時にも本書を読んだのだが、本書をきっかけに丸山圭三郎の『ソシュールの思想』と巡り合えたので、そこは恩義を感じている。 -
すごく面白い。
もう一回メモをとりながら読まなきゃ、有益な情報を幾つも取りこぼした気分。
哲学の沼に… -
近大→現代への思想の流れの大枠と、その上での筆者の欲望論という全体の論旨が分かりやすかった。
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◆きっかけ◆
NHKの番組"サイエンスZERO"に出演されていたスロー地震の研究者、西川 友章さんのお話に興味を持ってホームページをのぞいてみたら、読書のページがあり、そこに掲載されていて興味を持ったので。
◆感想◆
資本主義について、社会についても多く触れられていた。マルクスを読んでみたくなった。