- Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480082589
作品紹介・あらすじ
絶望とは、人間の精神のみがかかる「死にいたる病」である。キリスト教界の欺瞞を批判しつつ、無限なる神との関係における有限なる自己(単独者)をめぐって、絶望と罪の諸形態を徹底分析し、考え抜く-精神の教化と覚醒のために。自己疎外におちいった現代人の魂の、その核心への肉薄が、いまなお鮮烈に私たちをとらえてはなさない。キルケゴール晩年の思索を、デンマーク語原典から訳出し、詳細をきわめる訳注を付す。
感想・レビュー・書評
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再読。相変わらず論旨を追うのは困難だが、個々の文はそれが自分の必要とするものであることはよくわかる。人は意識するかしないかに関わらず、絶望している。君は君の絶望に少しも気づいていない状態で絶望しているのでは?自分自身の罪に気付かないまま罪を背負った振りをしていないか?自己への絶えざる問いは必然的に社会との関係性から外れた単独者であることを要請する。それは神の手を借りて成しうるものだが、時代の威を借りて踏み潰そうとする群衆的心理に対する何よりの抵抗手段だ。だからこそ自分はこの思想を肯定する。全力で肯定する。
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前近代のメイドヲタが書いた本。
残念ながらメイドさんの事についてはあんまり触れていない。
400ページ以上あるが、その半分以上が訳注と解説という初心者にはありがたい?本。
タイトルの「死に至る病」だが、これは「絶望」(=罪)をさしている。1篇では絶望とはどういった状態なのかを説明している。
絶望には大きく分けて3の段階があり、それぞれ特徴的である。
要約すると、
1、絶望して自己が分からない場合
2、絶望して自己自身から脱却したいと望む場合
3,絶望して自己自身のままでいたいと望む場合
というものである。
「自己自身」と「自己」の定義を確認した上で読まないと混乱必至。
2篇では、絶望は罪である。とか言っているけど、要は哲学批判。
ソクラテスやらアリストテレスやらを好き放題批判してる。
あいつら哲学者とか言われて評価されてるけど、間違ってるから!てゆーかあいつら「無知は罪」(知らないから悪い事する)とか言ってるけど、それちげーから!わかっててやる悪党とかいるから!
みたいな事いってる。
キリスト教全然信じてないけど、思わず納得しそうになる。
ちなみに、この本が出されたのは1849年で、工業化の波によりキリスト教的価値観がどんどん解体されていった前近代ヨーロッパ。
更にキルケゴールは超熱心なキリスト教信者で他のクリスチャンのダメダメ加減にウンザリしていたという。
読みづらいと思った人はこういうのを頭に置きながら読むといいかも。
【三行まとめ】
厨二病患者による
厨二病の分析
※メイドさんは出て来ません -
牧師たるものは、もちろん信仰者でなくてはなるまい。
では、信仰者とは!信仰者とは、もちろん、恋する者である。
・・・・・・『死に至る病』190頁
彼、キルケゴールの指す「死に至る病」とは、絶望のことである。
この書では、様々な絶望の形を弁証法的に解説しているのだが、普段、私たちが使う「絶望」とは違う意味を持つらしい。
彼の絶望とは、人間の自己が神を離れ、神を失っている状態のこと。
そして、人は皆、絶望しているということが語れる。
自分で絶望していないと思う者も、絶望に気づいていないに過ぎない。
真に絶望していない者は、極めて稀な存在なのだ。
第二編では、罪についてが語られるわけだが、ここでは特にキリスト教界への批判の色が濃くなる。彼はキリスト者だ。牧師を志すほど熱心なキリストへの信仰心を持つからこそ、当時のキリスト教界の欺瞞的な態度に大きな憤りを感じていたのだ。
解説では、本書が如何に難産であったかを、キルケゴールのノートから、多くの引用を用いて解説されている。
彼が絶望を語るに至った理由、
それは、彼自身が絶望していたからではないだろうか。
絶望を知る者でなければ、このように絶望を語ることなどできなかったはずだ。
信仰者を恋する者に例える箇所がある。
恋する者が、恋する相手ことを賛美することは容易いだろう。
だが、恋するということの正当性を語ることはできるわけがない。
いやむしろ、そんな行為は馬鹿げているとすら感じる。
何故なら、現に恋をしているのだから。ただ恋をしているのだから。
信仰心の乏しい私にとって、この例えは非常にわかりやすく、興味深いものだ。
信仰する者に、なぜ信仰するのか、その信仰が正しいかどうかを尋ねたところで無駄なのかもしれない。
では、どうすれば、彼らを理解できるのだろうか? -
タイトルに惹かれ。絶望に関する云々は何となく理解できたが、とにかくニーチェ以前ということでキリスト教神学的要素が強かったのが難しく。結局キルケゴールはキリスト教を批判しているのか否か?
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2024.2.11読了
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本文は半分。後の半分は注釈と解説。訳文にカタカナが混じっていたり、訳者独自の翻訳ルールが意味不明。
本文だけ一読した時点で、全くチンプンカンプンだった。先に、注釈と解説から読めばよかったと思う。
タイトルから、死についての考察なのかと思って読んだら、違った。キリスト者、信仰などについて書かれた本だった。 -
[第12刷]2013年10月5日
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思ってた以上に難しい本だった。主張している事柄はなんとなく分かるけれど、その主張にいたる弁証が、接続が強引だったり前提が疑問に感じることだったりという面は多々あった。あとは、当時主流となっていたであろう事柄や、他社の唱えた説に対する反論・攻撃が強めでびっくりした。この時代の思想家・学者たちの攻撃のしあいってこういうところなのかなって垣間見れた感じだった。個人的には、この人こじれてるなぁって感想が第一で、ここまで自分を追い込めるのもある意味すごいなぁというのが第二。あとは「絶望」をここまで細かく分類する緻密さはすごいと思った。
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死にいたる病
(和書)2011年07月06日 21:43
1996 筑摩書房 セーレン キルケゴール, Soren Kierkegaard, 桝田 啓三郎
キルケゴール「死にいたる病」を読むのは2回目なのです。1回目は何処が凄いのかピンとこなかった。でも今回読んでみて吃驚するぐらいすばらしい作品だと思いました。
1回目を読んだ時の自分と2回目を読んだ時の自分が全く違う人間に変わってしまったような、新鮮な衝撃を受けました。
読書って1回読んだだけでは読み切れないって強く思いました。前回は必読書だから力が入りすぎたのかもしれない。
カントの啓蒙とキルケゴールの教化が繋がっていてヘーゲルに対している。最初にそこを読んで度肝を抜かれました。
お勧めです。是非お読み下さいませ。
3回目 読みました。
とても凄い作品です。必読書150で柄谷さんの評が載っている。木村敏が統合失調症の世界観を見事に描いていると書いてあり、漸くその意味が解った。カントの言う学問=秩序だった全体の内でみるということが、単独な人間は概念以下にあるということにおいて思弁に抑圧され、それを倫理としてしか見いだせないという次元において見事に学問として捉えられている。凄まじい作品です。何回も再読すべき名著だということを漸く知りました。