定家明月記私抄 (続篇) (ちくま学芸文庫 ホ 3-3)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480082862

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  • 後鳥羽上皇と、定家君が
    お互い歌の才能は認めながらも仲は悪い、
    と言うのは聞いていたんだ。

    だから、勝手に
    新古今和歌集の編纂を下敷きに、
    藤原家隆君が
    「もう!ほら!!、後鳥羽さんも!定家君も!
    仲良くしてくださぁ~い!!」
    なんてセリフ言ったりね?、なんて、

    ボーイズラブめいた雰囲気少々匂わせながら、
    楽しく想像していたのだけれど、

    こちらの本を上巻、下巻読みまして、
    はっきりわかりました。

    後鳥羽上皇と、定家君の仲は
    想像をはるかに超えて、冷え切っている、
    むしろ白け狂っている、と言っても過言ではないかも知れぬ。

    定家君は後鳥羽上皇の悪口(文句)をしのばせた和歌を詠み、
    即バレして、謹慎処分。

    その謹慎処分の最中、
    後鳥羽上皇はなんと承久の乱を決行!!
    蚊帳の外もよいとこなんだなー。ハハハ

    承久の乱の件、あくまで私の想像だけど(でしょうね)
    後鳥羽上皇は特に何の戦略も無く、
    上皇風吹かせて脅かせばなんとかなると思ったみたい。
    だけど、関東武士にはそんなことは通用しませんよ。

    こんなこと、平家一門の話聞いていたら、
    わかりそうなものなのに、ね!

    後鳥羽上皇はある時、
    お付きの者をたくさん小舟に乗せて、
    わざとひっくり返して、おぼれるのをみて喜んでいた、とあった。

    私はそれを聞いて(と言うか読んで)
    「この人が何か大きなことをしようとしてもきっと失敗するな!」
    って思ったんだよね。
    (ま、失敗したこと知ってるから言うんだけど!)

    やっぱり、目下の人を大事にしていないと
    いざと言う時駄目だよね。

    後鳥羽上皇がそんなこんなで隠岐に流され、
    その後の定家君は、鎌倉側ともともと仲が良かったり、
    息子為家の奥さんを
    関東の見どころある血筋の人を選んだりなどで、
    とんとん拍子に出世!
    お金にも不自由なくなったんだよね。
    で、楽しみと言えば自分と身内の出世と宮中のゴシップになったよね。

    でもさ、
    大雨が降ると「水、注ぐが如し」のボロボロの家に住んで、
    後鳥羽上皇のわがままに付き合いきれず、
    仕事をさぼって「こうでもしなきゃ、やってらんないよー」
    と嘆いていたり、
    生意気な年下の上司(!)を脂燭
    (ロウソクの様なもので、触れたところが真っ黒になる代物だそう)で
    ぶん殴って謹慎したり、
    息子為家が歌も詠まず、蹴鞠ばっかりしているのを
    「あいつ、本当になんなの!?」とイラついていたり、

    なんかその頃の方が、定家君、面白かったと言うか
    輝いていたよね。

    ま、こんなこと言われても
    心の底から余計なお世話とイライラするでしょうが…。

    後鳥羽上皇は家隆君の事が大好きで、
    家隆君をほめちぎった後、必ず
    「それに引きかえあいつは…」と定家をね…。

    家隆君は後鳥羽上皇が隠岐に配流されたあとも、
    和歌など交えたお手紙を送って元気付けていた、とのこと。

    定家君も、ふーん、それじゃ自分もそんなことしようかな?
    と思った矢先、
    隠岐では定家の悪口で持ち切り、
    と聞こえて来てやめた、とのこと!
    (わたしでもそんなの聞いたらやめるわ!)

    この本を読んで、
    ますます家隆君の事が好きになったよ。

    ネットで検索したらほかにも家隆君ファンは多数おられたよ。

    ある方が載せてくれていた情報、
    家隆君は背が高く、柔和で愛嬌がある雰囲気で
    実際心も優しい人、と記録が残っているそうです!!!
    (わーい、わーい!)

    弟にこの本面白いよと、知りえたエピソード交えて話したら
    「ドラマになったら楽しそうだね」と言ったので、
    勝手に配役を考えたりなどしています。

  • 続編は後鳥羽たち3上皇が承久の変により配流され、京都がもぬけの殻になった中で、後鳥羽に勅勘を受け(遠ざけられ)ていた定家が経済的にも反映し、和歌の世界を支配していく様子。後鳥羽との確執、一方での順徳上皇との良好な関係、息子・為家の蹴鞠狂いと和歌への遅れへの心配、飽くことなく出世欲などが定家の身近な人間性を感じさせてくれるところ。ただ、前編に比べると、やや引用古文が多く、読みづらかった。

  • 昔の人の日記ほど、当時の人間の考え方、価値観が生で伝わるものはない、といえるかもしれない。平安から鎌倉を生きた定家と我々21世紀の日本人の間に、死生観をはじめとする価値観の隔絶があるのは当然として、むしろ変わらないものというのは、親子の情なり儒教や仏教など大きな背景を通じた文明なりの、「やまと民族」という枠を超越した部分である気がしてならない。たとえば、当時の人々が和歌に託した思いや情感・思想を、我々がただ名目上同じ民族であるという事実だけで味わい読み取ることができるはずもなく、恐ろしいほどの知識の蓄積が、そこには求められるのだ。
    著者は藤原定家という当時の文化を代表する知識人の日記に対して、独特の距離をとる。「定家の日記の読み手である著者」の文章の読み手である本書の読者は一種の入子構造を目の当たりにするわけだが、そのことを意識させることがこの距離感の狙いであると受け取った。
    「それぞれの時代の文化は、それぞれの言葉に含まれた暗黙の信号を含むがゆえに文化なのである。文明は説明可能なものによって成る。」 けだし至言であろう。

  • ジュンク堂書店池袋、¥1155.

  • わかりやすく明月記に触れられる!
    定家に興味なくとも当時の日常や出来事を1人の視点から伺えるのは面白いはず!

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著者プロフィール

1918年富山県生まれ。小説家。1944年国際文化振興会から派遣されて上海に渡るが、敗戦後は中国国民党宣伝部に徴用されて上海に留まる。中国での経験をもとに、小説を書き始め、47年に帰国。52年「広場の孤独」「漢奸」で芥川賞を受賞。海外との交流にも力を入れ、アジア・アフリカ作家会議などに出席。他の主な作品に、「歴史」「時間」「インドで考えたこと」「方丈記私記」「ゴヤ」など。1998年没。

「2018年 『中野重治・堀田善衞 往復書簡1953-1979』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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