- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480089830
作品紹介・あらすじ
"私たちの心のすべては、私たちの脳のニューロンの発火に伴って起こる「脳内現象」にすぎない"。人間を、世界のほかのあらゆるものと区別するのは、「心」の存在だ。そして、われわれの心の中のすべての表象は、クオリアというそれ以上分割できない単位からできている。風にそよぐ木々の動きや葉の色、鼻孔をふるわす芳香-さまざまなクオリアたちを表象する"心"が、脳内にいかにして現象するか。さらにクオリアと「私」の心を結ぶ「志向性」の新たな展開とは?脳科学の現在から「私の心」の見取り図へ。模索する独創的思考の息づかいが感じられる格好の入門篇。
感想・レビュー・書評
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これは、とても分かりやすかった。
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「心」の全ては、脳のニューロンの発火に伴って起きる「脳内現象」に過ぎない。これは、現在の神経生理学の立場からしては常識であるという。そう、デカルトの二元論はとうに捨てられたのだった。では、脳というこの臓器の中でどのようにして「心」が立ち上がってくるのか?これはいまだ解明されていない問題である。著者は、それを「クオリア」と「指向性」という考えで解き明かす土台を作ろうとしている。議論を見るとなかなか面白い。ニューロンの発火の「クラスター」がクオリアを作り出しているという。ここの発火ではなく、その時系列にそして広がりを持った発火の相互関係から作り出されるという。これを「マッハの原理」というらしい。なるほどとは思うが、まだまだ数値的にも計測ができない領域だから、どう発展するのか不明で、それゆえ「ハード・プロブレム」と呼ばれているのだな。
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ニューロンの活動といった物質的な過程が、意識の中の表象とどのような関係があるかという問題について挑んだ本。
視覚的なアウェアネスの中で、色や音、香り、味、手触りといった鮮明な質感を伴うクオリアの塊(例:りんごの赤い感じ、つやつやした感じ)に、具体的な質感を伴わず抽象的だが、構造・意味を伴う明示的な視覚情報としてのポインタ(例:それはりんごである)が貼り付けられるという考えが興味深かった。 -
脳科学者 茂木健一郎さんが提唱する、新しい視点の脳科学の本。
美しいものを見て美しいと思う、感動する、といった
いままで科学が避けていた「心」の問題に迫った本。
たしかにこれだけ科学や医学が発達しているのに
人が感動したり、心地よい感覚を感じるという「心と脳」のメカニズムは
ほとんど解明されていない。
心は脳がつかさどってることは間違いないんだけど
なんで脳のシナプスの電気活動だけで、人に多種多様な感情が宿るんだろう…
まだ科学で解明されてない部分だから、この本にも答えなんて書いてないけど
興味深い疑問を投げかけてくれた本でした。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/737928 -
新書文庫
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著者が、脳科学の立場から心の謎を解き明かすための展望を、大胆に語っている本です。
著者は、デイヴィドソンの非法則的一元論の立場に対して、ある程度の共感を寄せています。しかし、そこからさらに踏み込んで、脳科学の立場からクオリアの謎に迫る道を見つけようとしています。
その際に重要な区別とされるのが、「反応選択性のドグマ」と「マッハの原理」との違いです。「反応選択性のドグマ」では、ニューロン群の発火パターンと心の中に生じる表象の対応が成立していると考えます。これに対して「マッハの原理」は、ニューロン群の発火パターンと外界の対応を度外視し、ニューロンのネットワークの相互作用のあり方が、心の中に生じる表象を決定すると考えます。さらに著者は、ニューロンのネットワークにおける相互作用を単に生理的な配置と捉えるのではなく、あくまでニューラル・ネットワークという「システム」の中で捉えようとします。たとえば、シナプスの相互作用に有限の物理的時間がかかっても、この「システム」の中では一瞬に潰れてしまうことになります。またその空間的な配置も、心という一点に潰れることになります。著者はこのことを、相対性原理の「固有時」の概念やペンローズの「ツイスター」の概念を手がかりに説明しています。
さらに著者は、「私」の謎にも迫っていきます。著者は、「私の心がクオリアを見る」というときに生じている志向的作用を、プログラムにおける「ポインタ」のアナロジーによって解き明かそうとしています。同様に、行為における意図は「自由端のポインタ」として解釈されることになります。
個人的に疑問を感じたのは、「私の心がクオリアを見る」という言葉が畳語のように思えてしまうことです。クオリアに志向性を認めることは、クオリアを自然主義的に解き明かす際の常道ではあると思うのですが、著者の考えている「志向性」はクオリアそのものにそなわっている性格ではなく、注意作用のようなものだと思われます。痛みそのものには志向性はなくとも、私たちは自分の感じている痛みに注意を向けたり、そこから注意を逸らしたりすることができるので、そのような意味での「志向性」が存在することは論を俟たないでしょう。しかしそのような志向性に「私」の足場を求めることは、著者自身が戒めている「ホムンクルス」や「超越論的主観性」といった、出所不明の存在者を招き寄せてしまうのではないのかという疑念が、どうしても拭えません。 -
心の中で起こる全ての表象、そこに存在する映像、聞こえてくる音については、脳の中のニューロンの発火によって生ずる随伴現象である。人間の脳も原子の組み合わせで出来ており、自然法則に従う物質の集合体なのだと。
そのニューロンの発火パターン、因果関係についての考察。
科学が進めば、自分がどのような行動をこれからするのかかなりの精度で予測が可能になりそうな予感。
専門家ではないワタクシには難解で、後半理解するのが正直困難であり、かなり持て余しながら読んだので★3つ。 -
私にとって、「心の哲学」に関するような話題の本、第一冊目だったといえる。随分前に読んだのだけれど、心身問題について考えるとき、いまもここで得た考え方が役に立つ時があると思う。