- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480091642
感想・レビュー・書評
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「先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」関連本。
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ウィルソンぐらいは読んでおこうかとおもって読んだだけ。
面白くはない。
自分
バイオフィリアでもないし -
1 ベルンハルツドルプ
2 超生物
3 タイムマシン
4 極楽鳥
5 詩的な種
6 蛇
7 適切な場所
8 自然保護の倫理
9 スリナム -
”他の生物と結びつきたいという欲求は、ある程度まで生得的であり、「生物愛好(バイオフィリア)」とでも呼ぶべきものだと私は考えている”
”自然保護の動機付けの一番深い部分を見据え、なぜわれわれは生命を愛し、保護しようとするのか、それはいかなる条件下で、いかなる事態に直面したときなのかを理解しなければならない”
これは、自然豊かな環境で育ち、生物学者となった著者だからこその考え方とも言えると思う。
著者は人間の潜在的な傾向としてバイオフィリアを信じて疑わない。
この傾向は進化の過程で組み込まれたものと考えている。
果たしてそうなのだろうか。
私自身、生物学者とまでならなくても、自然豊かな環境で育ち、同じように生物にとても関心を持っている。
だからこそ、この著者の考えはなんの拒絶反応も起こさず私の中に入ってくる。
けれども、自発的に他の生き物に関心を抱かない人も世の中にはたくさんいることも承知である。
それでもバイオフィリアは人間に普遍的な傾向なのだろうか。
というか、そもそもバイオフィリアなるものは存在するのだろうか。
この点に関しては著者も認めているように、科学的根拠があるわけではない。
よって科学的根拠を求めてこの本を手にした私としては、大変残念な内容だった。
経験則はしょせん経験則なのか、と。
しかし著者は以下のようにフォローしてくれた。
”一般にわかりきったことは、同時にきわめて重要なものである。ある環境が真に快適であるのと同じ一般的理由から、砂糖は甘く、近親相姦や食人は忌避するべきものであり、チームスポーツは気分を高揚させる。それぞれの藩王は、遠い過去からの遺伝に根差した独自の意味をもっている”
バイオフィリアは自然愛好者の中だけではなく、普遍的に存在するものなのか。
もしそうならば、その傾向を強めることが環境問題解決にもつながるだろう。
では、もしその傾向があるとして、それをどのように強めていけばいいのだろうか。
まだまだ課題は多いが、私は根本的にこの考えを信じ検証できたらいいと考えている。(卒論に関係して)
でもなによりヘビやアリについてこんなにも情熱的に語られると、気持ち悪いを通り越して(描かれている状況を想像しながら読むと少し気持ち悪いのです)尊敬してしまう。
自分の好きなものをしっかり持っている人は、それがどんなものであろうと、イキイキしていると感じるし尊敬もできるということを改めて感じた。