- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480091765
作品紹介・あらすじ
たしかに作者は昨日死んだのだ。しかしそれならば、肖像の向こう側からこちらを見つめているのは誰なのか。それは作品の特異な潜在力であり、作者ではなく作者のイメージなのである。作品にとりついた幽霊のような作者のイメージ、その眼差しは、作者の「死後の生」がその「生前の死」でもあること、「作者の死」が今なお進行中の、永遠に清算不可能な、つねに到来する出来事でありつづけていることを示している。現代思想の旗手が、ゲーテ、バルザック、フローベール、プルースト、ボルヘス、川端康成…など、十五枚の肖像をめぐって展開する作者のイコノグラフィー。
感想・レビュー・書評
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「作者自身の肖像」についてはいまやもう語り尽くされているように思う。(それを弄する者の多いこと……)
「十四の肖像」の美しさ。
こうして批評することはなぜ出来ないか。
小林秀雄の「感想」をなぜ古いものと棄却するか。
ダリ的リアリズムを。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作品と作者の肖像とはいかなる関係を持つのか。本当に「作者は死んだ」のか。フランスとイタリアの哲学者がバルザックやフロベール、ボルヘスや川端の肖像を通じて考える。
作品が作者をつくり、肖像はそのイメージを受けとめる。小説と作家よりも映画とその監督とか、ポップソングとソングライターみたいな関係に置き換えたほうが個人的にはわかりやすい。でも昔はもっと作家の顔がポップアイコンとして機能する場面が多かったのだろう。自宅に飾ったレオパルディのデスマスクと共に写るジイドの肖像が孕むイメージの重層性など、作者自身が〈作者の肖像〉の神性を利用する例もあり面白かった。
女性作家の肖像に対しては、従来の男→女という視線を切り離せていないと思う(「きみ」と呼びかけて蛾に例えたり)。一方で"美形"と見なされた作家の肖像が帯やポップに使われることは現代でもあり、やはり作者とテクストはいまだ分かち難い関係にある。AIが小説を書いたら、それでも人は〈作者のパーソナリティ〉を求めるのかな。それともAI開発者の肖像が力を持ちはじめるのだろうか。 -
文豪のポートレイトから喚起される精神性について論述を試みたもの。内容はすばらしいのだけれど、この薄さで1000円は高すぎる。でもフランス語の雰囲気をルビを駆使してがんばって伝える翻訳なので、フランス的考えに親しむのにも使える。