天上大風: 同時代評セレクション1986-1998 (ちくま学芸文庫 ホ 3-4)
- 筑摩書房 (2009年12月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480092649
作品紹介・あらすじ
世界が揺れ動き、時代の枠組みが大きく変わった20世紀末、旺盛な好奇心と透徹した歴史眼をもって書き続けられた同時代評から71篇を精選編集する。パリ、バルセロナ、富山-旅で出会ったものや言葉、自身の記憶や感覚から生まれる、小さな当惑と驚愕。思考はやがて、ヨーロッパの永い歴史の断層への驚嘆や、いにしえの日本の多様な文化的伝統への愛着へ向かってゆく。いまに触発されて過去を発見し、過去によっていまを見出す-自らの人生と言葉をめぐる経験と思索を注ぎ込んだ短くも鋭いエッセイは、20世紀を代表する文学者が遺した、未来へのメッセージでもある。
感想・レビュー・書評
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堀田善衛は結論は自ら持ってはいるが、押し黙り書かずにそれを提示する文体である。
実際に会えば、難しい爺さんだったかもしれないが、色々考える処あり、好きである。
ある文が目に止まった。
かつて1945年の日本敗戦のとき、8月15日から一週間ほど過ぎたころ、当時上海にいた日本人の間に、どこからともなく、ひとつの流言が伝えられてきた。
それは広島と長崎に投下された原子爆弾によって、当の広島と長崎はもとより、広島から始まって、中国地方及び近畿一帯、また長崎から始まって、九州全部に、じわじわと放射能が広がって、人々は全滅するであろう、というものであった。
当時として、放射能に付いての知識や情報なども、ほとんど皆無の状況にあって、それは胸に重い錘鉛を打ち込んでくるような、暗く重い経験であった。
そうして、その流言を流言として、明白に否定してくれる人も情報もまた、皆無であった。
かくて、敗戦後の10日目ほどのある夜、故武田泰淳が、十枚ほどの原稿用紙にしるしたものを持って、日僑ーそれは外国にいる中国人を華僑と呼ぶことと相対する言い方であるー抑留地区の、ある家にいた私を訪ねてきた。武田氏も私も、同人雑誌『批評』の同人で、私は詩人ということになっていた。
ー詩をひとつ書いたから見てくれないか。
と武田氏が言った。
対して私は、
ー見るというより、あなた自身読んでくれないか。
と答えた事を覚えているが、奇妙なことに私は、武田氏のその詩が漢詩であろう、と早合点していたのであった。武田氏が、中国文学の専攻者からでもあったが、武田氏は、私のすすめに率直に応じてくれて朗々と朗読を始めたのであった。それは長い、長い、長詩であった。
その冒頭だけがいま私の耳裡に残っていて、しかもそれは私の耳裡に残っているだけであって、そのあとの数十行、あるいは数百行は、武田氏の引き上げ帰路の混乱の間に、一切失われてしまったのである。
その冒頭の一行、
かつて東方に国ありき
それが武田氏の長詩の開始一行であった。
かつて東方に国ありき
その国には、その国に固有なものと、中華大文明との混淆と相互醸成による、一つの確かな文化があった。しかしいま、その文化が、原子爆弾による放射能によって滅亡するとなれば、幸か不幸か、中国の地にあって敗戦を迎えた、われら日本の文学者は、中華大文明の庇護のもとにあって、かつて東方の島国にあった文化を、営々として継承しなければならなぬ運命にあるものではなかったか‥‥‥。
武田氏の長詩は、おおむねかかる趣旨を、堂々かつ悲傷を籠めた調べの、文語体によるものであった。
当時、私たちはまだ若かった。私は28歳で、武田氏は33歳であった。(268P)
これは、堀田善衛「天上大風」(ちくま学芸文庫)の中にある「国家消滅」(1990)という文章の一部である。 堀田善衛がこの文を書いたのは、原発のためでも反核のためでもないが、現代の私たちには、あったかもしれない、あるかもしれない或る風景が目の前に広がるだろう。
実際、「そのようなこと」になれば、私たちは、国内にいても国外に逃れる可能性が高い。その時感じるのは、ひとつはここにあるような哀しみにも似たどうしようも無い「喪失感」であるに違いない。想像しただけで、私は自分自身を失ったような気分に成る。
しかし、考えてみれば、福島の或る人々は、永遠に「ふるさと」を既に失っているのである。まだ私は目にしていないし、それが形になるにはまだ時間がかかるのかもしれないが、いつか武田泰淳の長詩みたいな詩に私たちは、出合うことになるのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示