プラトン入門 (ちくま学芸文庫 タ 1-6)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480096746

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  • ■著者が扱っているメインテーマ
    哲学の本質である人間の生の原理とは何か?

    ■筆者が最も伝えたかったメッセージ
    普遍性の根拠をイデア論を通して、価値の生成へ基礎づける。

    ■学んだことは何か
    哲学は絶対的真理を探究するためにあるのではなく、
    魂、美、徳を善いものにするための考え方を普遍化していく方法だった。

  • 近代~現代にかけてプラトン批判とされてきたものは、実はプラトンの思想を正確に読み解いていなかったものだ、という内容を含んでいる。
    前半のプラトンの書籍の解説はとてもわかり易かった。

  • ニーチェ以降の現代思想において、「西洋形而上学の祖」として批判されてきたプラトンの思想のポジティヴな意義を、著者自身の現象学・欲望論の立場から再評価することを試みています。

    「プラトン入門」というタイトルにもかかわらず、著者独自の解釈が含まれているので、おそらく読者の評価も大きく分かれるのではないかと思われます。ただしそうした点を考慮に入れても、プラトンの思想の検討を通じて哲学という営みに読者を引き入れる本だと感じました。

    『パルメニデス』におけるイデア論への批判やアリストテレスの論難についても、ポストモダン思想における懐疑論的な傾向に対する反批判という著者自身のモティーフが入り込んでいるところや、著者自身の実存的なエロス原理としてプラトンの思想を解釈し、本質主義的な「恋愛」論を見いだそうとしている点など、個人的にも若干気にかかるところはありますが、それも含めて、哲学を学ぶことのおもしろさを実感させてくれる内容だといえるのではないでしょうか。

  • 召使の少年に幾何学の問題を自力で解かせるという仕方でプラトンが示そうとしているのは、幾何学が、「誰がどこから考えても同じ考え方と結論へ導かれる」という「共通了解の可能性」についてのモデルであるということだと述べた。つまり、ここで重要なのは、ちょうど幾何学の例が鮮やかに示しているように、あることがらの理解、判断について、確実性や共通了解(=普遍性)の根拠が、必ず何らかの形で存在するはずだというプラトンの直観である。三角形の「イデア」とはプラトンの説明に即せば”三角形の本体”だが、じつはそれはおそらく、三角形の本質が誰にも普遍的なものとして理解されうる【可能性の根拠】(原文傍点、以下同)、ということ以上のものではない。
    147 第三章 イデア 2「三角形のイデア」と「諸徳の対立」―認識の普遍性とは

    しかし、わたしの考えでは、「徳」の概念を共同体的か個人主義的かという違いで評価するマッキンタイアの考えは、まったく恣意的な評価軸というほかない。それはある思想の本質とはほとんど無関係に、あらかじめ立てられたイデオロギー的評価軸からの裁断にすぎない。むしろ、ソクラテス=プラトンがソフィストの言語相対主義に「諸徳の不整合と対立」という事態を見出し、そこにかつての共同体的な「徳」の崩壊を直観してこれを超え出る「徳」の概念を探求しようとしたこと、このことこそ思想にとって本質的な営みだったといえる。
    151 第三章 イデア 2「三角形のイデア」と「諸徳の対立」―認識の普遍性とは

    「住めること」「健康」「幸福」ということは、それ自体が「最後の準則」ではない。「わたしたちにとって」「人間にとって」「生にとって」”善い”といったことが、それらの本質を本質【たらしめる】。
    こうしてわたしたちは、プラトンの「善のイデア」という概念が、一つの独自の思想の表現であることを理解すべきである。すなわちそれは、「善い」ということの本質の深い理解だけが、諸徳の本質だけではなく、他の一切の事物の【存在本質】(=形相=それが何であるかを説明する根拠)を照らしうる、という思想である。プラトンが世の中の一切の事物がその存在と本質を「イデア」に【あずかって】もつと説いたのは、まさしくそのような理由による。
    199 第三章 イデア 5「善のイデア」とは何か―”知ること”の本質

    繰り返していうが、知の普遍性とは、あらかじめ何らかの絶対的真実を設定し、一切の考えをここに帰着させるというようなことではない。それは、各人のさまざまな「思わく」(各人の準則)における食い違いから出発して、そこに新しい共通了解を見出そうとする【言葉の】努力それ自体だが(じっさい言葉なしにこのことは不可能である)、この努力の根本動機となるのは、すでに何らかの「正しい知」をもっていることではない。それは、人間間の確執や矛盾に際して、これを調停し争いを宥め解決を見出そうとする心意、つまり、より「善きこと」を求めようとする【魂の欲望】以外にはありえない。だからこそ「善のイデア」は、諸事物の「真理性」の根拠であると同時に、その「認識」(より普遍的な知を導くこと)の根拠でもあるとされるのである。
    201 第三章 イデア 5「善のイデア」とは何か―”知ること”の本質

    つまり、人は恋の情熱に出会ったときにはじめて、自己の存在を【何か自分を超えたもの(永遠なるもの)につなぎうるというあるいい難い感覚をもつ】、ということであるに違いない。
    恋を知って、それまで世界の何についても深く思わなかったことをはじめて知るという権中納言敦忠の歌(あひ見ての後の心にくらぶれば昔は物も思はざりけり)がある。恋を知ってはじめて美しいという言葉の意味に深く触れる、というスタンダールの言葉もある。これらはいずれも、恋を知るとき人ははじめて、自己のうちから何かが現れ出て自己を越えた何ものかと結びつくような可能性を直観する、という本質考察と深く結びついている。
    プラトンはこの自己なるものを超えた何ものかを、「永遠」という言葉で呼ぶ。(中略)彼はここで「恋〈エロス〉」ということばを何かを「生み出す」ことへの憧れ、希求として使っており、そしてこの欲求の底には必ず「永遠なるもの」「不死なるもの」への思いがある、というのだ。
    220 第四章 エロス、美、恋愛 1「恋(エロス)」の本質とは―『饗宴』その1

  • プラトンの著作を絶対性ではなく普遍性というキーワードから読み解いて、現代にはびこる「通俗プラトン主義」的な考えを批判する。
    といった形でプラトン哲学を前期中期後期の時系列順に解説している。
    門外漢の私にとっても哲学の本としては非常に読みやすい気がした。
    本書を読んでいるうちに、前々から色々な本を読んで感じていた「哲学はどう学べばいいのか」という疑問がある側面で氷解した気がする。

    一方で、著者の竹田青嗣氏の視点であらゆるプラトンの思索を解釈しているので「入門」という名前をつけて良いものだろうかと感じた。
    読者は竹田氏が行っているのと同じように、竹田氏の解釈についても批判的に読んでいくべきなのだろうが、哲学的な批判は素人には難しい。
    読んでいて葛藤を感じる。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者、文芸評論家。著書に『「自分」を生きるための思想入門』(ちくま文庫)、『人間的自由の条件ーヘーゲルとポストモダン思想』(講談社)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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