コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫 イ 57-1)

  • 筑摩書房
3.78
  • (10)
  • (10)
  • (9)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 437
感想 : 15
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480096883

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • コンヴィヴィアリティのための道具

    NHKの特番で、落合陽一とオードリー・タンの対談があり、それを見ていた時に、「テクノロジーをコンヴィヴィアルに使う」という言葉が主題化されて使用されていたのが印象的であった。日本語では自立共生と言い表せるコンヴィヴィアリティという言葉を聞いたのはそれが初めてであったが、内田樹のコモンの考え方や脱成長という考え方に近い概念であると感じた。コンヴィヴィアリティについて深堀してみると、本書に辿り着いたのである。イヴァン・イリイチは名前こそ聞いたことがあるが、読んだことがなかったので読んでみたが、文章は難解でこそあるが、なかなか味わい深い内容であった。
    イリイチは過去からの道具の流れについて述べた上で、道具の使用に関する決定的な分水嶺について話をしている。本書では頻繁にて道具という術語が出現するが、一般的な道具の意味以上に「目的が決まっており、その目的に対する進捗や効率性が計算可能なものとして認識されるもの」というような意味を持つことは本書を読み解く上で助けになるだろう。上記の広い意味である事象が道具化されているとき、人々はマルクス的な疎外(人間それ自体を目的とせず、人間が目的に従属する奴隷的=道具的存在に貶められる)を体験することになる。例えば、イリイチは道具化の文脈で教育や医学についても自身の見解を述べる。昨今では、勉強のスコアや学校制度の中の序列を人々が意識しすぎた結果、学校内で計測可能な能力の開発にリソースが集中されていしまっていることに警鐘を鳴らしている。これはまさしく教育を受ける立場の人間が道具化された状態ともいえる。また、医学では予防医学の進展から、人々のバイタルデータはリアルタイムに計測されるようになり、生活までもが医者の指示通りに行われるべきという見解がもたらされる。自分も予防医学には興味があるが、徹頭徹尾の食事や運動を支持されるのは不快であり、気味が悪い。(もし生命保険や医療保険がもっと精緻に健康診断データやバイタルデータと連動させた保険料設定を行った場合、もしかすると目の前のカップヌードルを食べると保険料が○○円上がるという情報がポップアップしてくる気味の悪いデバイスが発売されるかもしれない。)これは、まさしく人間の道具化であり、食べログの点数に自分の味覚を奪われた主観の貧しい人間を量産することになる。
    なお、道具化の目的は、生産性/効率性の向上であるから、高度に道具化された世の中は、格差が増大する。効率化とは管理コストの低下であるゆえに、管理者の数は少数で足りるようになり、単一の道具的な計測機の下に、ごく少数の管理者と、大多数の道具化された人間と言う階層構造を生み出す。
    なお、道具については、二段階あると言われており、道具の一段階目は不快を解消するために使用されるものである。一方で、二段階目は不快の解消ではなく、新たな不快を生み出すために使用されると説かれている。どういうことかと言えば、自動車は、小回りが利き、素早く移動が可能な道具として出現した(実際に、T型フォード車を開発したフォード本人が急病の母を救えなかった後悔の念から、馬車よりも小回りが利き、そして素早い機械を標榜して作ったというエピソードもある)のであるが、当初の理念は不快の解消であったが、自動車が一般化された世の中では、人々の空間感覚は変化を来たし、より遠く、より速く移動することへの渇望や不快感へと変化されてきてしまっている。近代的な道具は、不快の解消と同時に不快の増長を促しているというのがイリイチの主張である。そして、そのような道具が一般化することによる不快の蔓延と永続的な拡大再生産への渇望が世界を包み込み、ほとんどの人が道具化された世界に従属した位置に甘んじるのではなく、道具の使用を不快→快の部分まででとどめて、そこに充足しようという考え方がイリイチの本書での最大の主張であろう。この文章を読んで、共産主義的と感じる読者に対して、イリイチは、共産化を意図していないことも付け加える。共産主義もまた、道具化の一部であると。共産主義はその出自から独裁体制との相性が良い。効率化のインセンティブが働かない労働の方が、実は管理コストが高い。だから、独裁体制という手法が用いられる。より小さい範囲で、共生的に生きることをイリイチは標榜している。そして、その小さい範囲の中で極力、足るを知る心をもって、不快を生み出す前に道具化を止める。哲学で言えば、カント哲学のような「すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない」というルールの中で生きることを提唱している。
    このようにイリイチの本を読んでみると、オードリー・タンや落合陽一氏が、コンヴィヴィアリティという言葉を標榜することもよくわかる。インターネットは、人々を開放したが、一方で誹謗中傷等の過剰反応を誘発してしまっている。さらに、SNSは承認欲求を満たすとともに、承認欲求への渇望を生み出している。このような道具化の流れに歯止めをかけ、インターネットの本来の開放性や良い意味での匿名性と平等性を取り戻すことが重要でないかと主張するのである。
    そうした意味で、イリイチの主張は非常に現代的でアクチュアルで、面白い。

  • 論としては少し行き過ぎなのではと思うところもあったが、現代においてもますます物事の専門化が進んでおり、もはや一般人は仕組みを知らず消費するのみになっている。一方で最近はDIY思想が広まったり、地方移住がトレンドになったりと自立共生的な生き方もカウンターとして出てきている。
    自立共生が達成された社会のイメージはうまく湧かないが、成長を第一の目標とする社会から少しずつ転換が起こっているような気配は本書が最近よく読まれていることからも感じる。

    「私の信じるところでは、社会は、新しい生産システムの全体的効率に対する、自立的な個人と一次集団の貢献度をより大きくするような方向で、再建されねばならない。その新しい生産システムは、そのシステム自身が定めた人間的な必要をみたすように作られているのだ。」(p.38)

  • 長く絶版であったもの。
    自律的に働きあうための「道具」。

    訳のせいか読みにくく、なかなか頭に入らない。

  • 大学の課題図書だった。
    さして分厚くもないから……って長いこと放置していた。で、提出期限の前日に読み始めたけど、もうどうしていいかわからないぐらい読めない。難しい!わからない!なにこれ。
    一つの結論に向けて各章ごとさまざまな観点から話しているので、章ごとの要約がすべて言い換えただけのリピートみたいになっていく。課題としていいのか?同じ主張を繰り返し読んで理解して書いて……をしているうちに洗脳されているような気分になって、不快。
    けど、そのあまりに難解な文章を噛み砕きながら一冊読み終えた時の達成感は並のものでなく、この爽快のためにこれからはこういう本を手にとるようになるかもしれない。

    総括:気持ちよかった!

  • 入り込めないくらいには歳をとってしまった

  • なかなか頭に入ってこない本だった。後書きに訳の見直しのことが書かれているが、変わらず訳の問題な気がする。
    教育も第二の分水嶺を越えた道具というのが納得できていなかったのだが、本書を読んでよくわかった。教育を通して人は価値基準を獲得する、その教育が前提としているシステムを強化する仕組みになっている。イリイチはすごい。成長や便利さの追求は地球を壊すし人を機械にしてしまう。今こそこの洞察を生かすときだと思う。

  • 産業主義批判の切り込み角度がエグい。
    和訳がもっと良ければ星5。文章が読み難い。

  • NDC:361

  • アバター倫理学・シンギュラリティ

  • マルクス主義が当時どんな風に受け取る側に響いたのかわかるような気がする本だった。(マルクス主義の本ではない)問題の問題視。そもそもレベルからの疑問視なので明るい気持ちになる本ではない。躓く理由はいくつも想起することができる。が、同時に言っている事自体は正しい印象を受けざるを得ない。まだこういう視点が発言権を確保しているということが多少救いではある気がしつつ悪用されずに実現するだろうかなど色々と考えさせられるテキストだった。

全15件中 1 - 10件を表示

イヴァン・イリイチの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×