- Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480096920
感想・レビュー・書評
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かなり間を置きながら筑摩学芸文庫で出版されたこのシリーズ、この3巻目で終わりのようだ。もともとはフッサールの遺稿(草稿)が編集されてフッサール全集に収められ、それの半分近くを更に編集し直して翻訳したのがこれである。
あまりにも間が空いてしまったため、前2巻の内容は克明には覚えていないが、1巻・2巻に比べ、本3巻はさほどおもしろくない感じがした。というのは、前半の方はほとんど「自我」に関する論究であって、肝心の「間主観性」はあまり出てこない。
それにしても、フッサールの思想はデカルトの原理から直接出発していると再認識した。「自己の明証性」が何よりも拠点となっている。そこから出発して、ようやく他者を発見し、これを「他我」と見なすことで、「感情移入」が成功し、「間主観性」が立ち現れる。どうも、フッサールの言う間主観性とは、「私と彼」とのあいだに形成される世界観にまつわる合意のようなものらしい。
私はこれと全く正反対の考えだ。先に存在するのは他者であて、自己は原初状態では、世界と未分化のChaos状況にある。そこに「他者」(まずは親)が現れ、彼の呼びかけによって初めて「私」は分節化し、「自己」が誕生する。
フッサールは「人は自己の存在しない世界を思考することはできない。」と断言するが、私は「自己のいない世界」をこそ人は思考すべきであり、「自己無き世界の生」を生きることが至上の生なのだ、と考える。
そういうわけで、本書を読みながら、フッサールのデカルト主義っぷりを絶えず批判していた。けれども、かといって本書は読むに値しない誤謬の書であるなどとは決して言わない。その厳密で難解な哲学は、一生をかけて研究するに値する、超一流のものである。
むしろ第2巻の中に、フッサールが彼自身のデカルト的パラダイムから逸脱しかけるような、スリリングなヒントが多くあったように思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示