素読のすすめ (ちくま学芸文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480098184

感想・レビュー・書評

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  • 会津若松に旅行に行った際、日新館で文武両道の教育を知った。その中に素読があり、興味を持って読んだ。
    漢文以外にも世界の幅広い言語宗教の観点から素読の持つ意味が多面的に検討されていて面白かった。
    まずは大学から素読を始めてみたい

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1262683

  • 漢詩の素読などは敷居が高いが、なんでもいいから朗読してみるということならやってみようという気になる。色々試して、経験を重ねてみよう。

  • 東2法経図・6F開架 019.1A/A16s//K

  • ・足達忠夫「素読のすすめ」(ちくま学芸文庫)を読んだ。素読といふと、私は漢文の素読しか思ひ出さない。その中でも明治の作家の文体とその力量を思ふ。これは私達には全く真似のできないもので、さすが江戸に産まれた人だとしか思へない。時代が違ふと言へばそれまでだが、その時代の中からああいふ人たちが生まれるのだから、これはもう時代の力は恐るべきであると思ふしかない。これが漢文素読によるのである。本書でも繰り返し言及されてゐる江戸の漢文素読の明治に対する影響、これは本当に見事で、これなくして日本の近代化はあり得なかったのではないかと、私などはごく単純に思つてしまふ。漢文素読はそれほどに優れたものである。中村正直の文章に関連してこんな一文がある。「現在活躍している洋学者や、政府の要人を見てみると、みな漢学の下地がある人たちばかりである。(中略)明治維新を支えた漢学の力は、 一朝一夕につちかわれたものではない。」(102頁)枕草子の香炉峰の雪を持ち出すまでもなく、漢文は、古来、教養、素養の基本にあり続けた。それが明治に生きた。森鷗外の史伝は、文学に於けるその最たるものであらう。
    ・では、本書に於ける素読とはいかなるものか。漢文素読といふ点は変はらない。私は素読は読み下し文で行ふものだと思つてゐた。ところが、本書の素読はいささか違ふのである。音訓式素読である。漢文を読み下さずに音読するのである。例として最初に出てくる杜牧「山行」は「遠く寒山に登れば石径斜めなり」 (10頁)と始めるのが私の知る素読法である。本書ではかうなる、「エンジョウ カンザン セッケイシャ」(同前)。以下「ハクウン セイショ ユウジン カ」云々と続く。音読である。文字がなければ意味が分からないではないかと思ふが、当然、何らかのテキストはあるから、これはこれで良いらしい。足達氏は実践家である。この素読を実践している。それも子供達を対象にして寺子屋式に教へてゐる(ゐた)らしい。その子供達は読み下しより音読式を好むらしい。要するに、音読式ならば常に上から下への読みであるのに対し、読み下しだと、返り点が入つて、時には複雑な動きをすることになつて読みにくいからであるらし い。漢詩だと比較的易しいはずだが、文章だとさうはいかなくなる。返り点が多くなつて読みにくくなる。その反面、しかし文章だから意味は分かる。素読の経験はなくとも、読み下し、書き下しの漢文を見てきた人間は、かうして並べられると、やはり意味の分かり易い方が良いのではないかと思ふ。しかし、音訓式素 読をする子供達は意味を気にしないらしい。「音読みの響きのほうが、耳と口に快感をあたえてくれるらしい。」(31頁)子どもには漢字だけ並んでゐても意味は分からないから、却つて音読のリズムの良さに気がつけるといふことであらうか。大人の世界で今も続いてゐるのであらうが、声に出して読む何とかの類がはやるのも、この「耳と口に快感をあたえてくれる」ことが大きいのであらう。古典や小説の冒頭だけをその昔に覚えたものだが、耳と口に快いものの方が覚え易かつた。子供達は正直である。読み下しも漢詩などは結構心地良く響くのだが、音読式には負けるのかもしれない。読経に心地良さを感じるのもこれである。 今更素読といふ時代ではあつても、それでもと思ふ。音読式はなじめない、読み下しの方が素読と思へる……学校教育の漢文を終へた身は音読式と無縁であつたから、やはり書き下して読んで意味の分かりさうな方が親しみ易く感じる。しかし、本書は「意味よりも音の響き」(34頁)といふ内容が中心であつた。そん なものかと思ふ。

  • 語学力アップには素読が一番!それがよくわかる。

    英語教育の早期化とかいう話があるが、それは邪道である。英語力向上には論語の素読に限る。

  • 『素読のすすめ』
    【版元】
    シリーズ:ちくま学芸文庫
    定価:本体1,200円+税
    Cコード:0137
    刊行日: 2017/11/08
    ページ数:304
    ISBN:978-4-480-09818-4

    素読とは、古典を繰り返し音読すること。内容の理解は考えない。言葉の響きやリズムによって感性を耕し、学びの基礎となる行為を平明に解説する。
    http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098184/

    【感想】
     もとは現代新書。漢文素読がそれほど素晴らしいという結論には至りません。どの程度よいのかも分かりません。もちろん、昔の教育の一つという点ではとても興味深い本でした。豊富なエピソードがとても楽しいので、おすすめできます。

     気にかかるのは、著者による素読アピールの仕方が筋悪なこと。素読の良さを売り込む部分が本書の大半を占めているので、長くなりますが書いておきます。
    ①素読が「感性を磨く」とか「効果的」と言う売り文句自体が曖昧。つまり、トクホみたい。
    ②そして、「良い」とする根拠が薄い。歴史上の小数の偉人のエピソードを例示しても、素読の効果よりも、その個人の勉強量・才能の方に注目するばかりです。
    ③比較がしっかりしていません。おそらく、家庭内の教育よりは、現代日本の教育(の内、語学の教え方)を暗に比較対象としているようですが。
    ④誉める一方で、素読を「理屈ではない」や「〈愚か〉にも似た営み」と書いて、逃げ道を開けておくのはセコい。これでは『すすめ』というストレートなタイトルは似合いません。

     なお、日本語における漢文の影響の大きさや、近代の歴史上の人物が身に付けた漢学の素養についての話題も登場します。たしかに私も古典の重要性は認めます。しかし素読が外国語学習に効果的かは上記の通り不明なままなので、身も蓋もなく次のように思いました。たとえ素読が消え去っても、古典へのアクセスは別途確保できるのでは。


    【簡易目次】
    第1章 素読を支えるもの
    第2章 外国語早期教育と漢文素読
    第3章 素読の歴史とさまざまな例
    第4章 ヨーロッパでの経験
    第5章 ユダヤ教の聖書朗詠
    第6章 素読を始めるにあたって
    付録 素読テキストの実際例

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