戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫 さ 29-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 59
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  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480422163

感想・レビュー・書評

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  • 積読をようやく消化

    ファリック・マザーとファリック・ガールズの対比はおもしろかった

    それ以外は正直よくわからんかった
    ラカンなどを勉強してから読み直す

  • 難しかった。結論部分と思われる第六章が特に一読しただけでは意味をとりきれない記述が多く、苦労しました。斉藤先生もこの本を書いたのはまだ作家として駆け出しの頃で、ちょっと難しく書きすぎた、今ならもうちょっと分かりやすく書けるよ、と言っておりました。笑
    西欧との比較文化論的に読んでも面白いと思います。

  • 前半は割と読みやすい。紹介されてるアニメの殆どを知らないかチラッとみた程度で、そこそこアニメ好きだと思ってたけど意外と自分はアニメファンじゃないらしいと気付いた。

  • なぜ美少女が闘う必要があるのか。ヘンリーダーガーについて触れてあったので、それ目当てで。

  • 表紙に惹かれて買ってみたが、なかなかむつかしく、読み進めるのにとても時間がかかった。
    「オタク文化」そして著者が前提として用いる「哲学界の常識(ex.ラカン)」についてなどの基盤となる知識が足りなかったためだろう。
    評価できるほど、咀嚼し反芻できていない、というのが正直な感想。

    (以下は気になった部分の抜粋)


    日本では女性のアイデンティティが曖昧で限定されている。少女が自分自身や彼女の愛する人を守るという、発想は、日本の少女たちにとって価値がある。
    女性は男性が望ましいとする少女のあり方から抜け出し、彼女たち自身の性的自由を宣言しなければならない。性的に成熟し、自らの外見やセクシュアリティをコントロールできるキャラクターは女性の自立のもう一つの形である。

    P316
    綾波レイの空虚さは、おそらく戦う少女すべてに共通する空虚さの象徴ではないか。存在の無根拠、外傷の欠如、動機の欠如…。彼女はその空虚さ故に、虚構世界を永遠の住処とすることができる。「無根拠であること」こそが、漫画アニメという徹底した虚構空間の中では逆説的なリアリティを発生させるのだ。

    描かれた金銭、描かれた権力、そうしたものがわれわれの欲望を歓喜することはない。しかし描かれた裸体となると話は別だ。ネコジャラシに飛びつく猫を笑えないほど、その反応は確実だ。

    ファリックガールは自らの性的魅力について無自覚、無関心である。言い換えるなら無関心でありながらも性的魅力を発揮せずにはいられない。こうした無関心さとそれを裏切る誘惑的な表層とのギャップは、ヒステリー最大の特徴である。無関心さ、例えば無垢かつ、天真爛漫な、振る舞いこそが最大の誘惑となりうること。

    決して到達できない欲望(物語の中に存在する彼女と性行為を持つこと)の対象であるからこそ、彼女の特権的な地位が成立するということ。

  • セーラームーンまでの戦う女の子アニメの系譜を精神科医が探る。
    だれ徳な話が多いけど、後半の系図や分類は見事。

  • 日本アニメによく登場する「戦う少女」について、分析した本。
    もともと欧米からきたイメージだろうと思っていたので、"欧米には「戦うヒロイン」はいても「戦う少女」はいない"という記述にハッとしました。
    どうやら、魔法で何でもできるファンシーな魔法少女の系列から、より具体性をもつ戦うキャラクターへと派生してきたもののようです。

    魔法少女は、日本独特の流れだと思いますが、そもそも『魔法使いサリー』はアメリカンホームドラマ『奥様は魔女』にヒントを得て制作されたというのは驚きでした。
    全く関連性を感じませんが。そして、日本に取り込まれる段階で、主婦から少女に若年化しているのが、日本の特徴だそうです。

    自分が子供のころは、戦う少女たちを「かっこいいな」「男の子キャラに負けてないな」と思って、単純に応援する気持ちで見ていましたが、男性はまたかなり違う目線でとらえていたことを知りました。
    この本はとても深遠で哲学的で、ここまで論述化されることに驚きを感じます。

    単純に言えば、日本の男性は、日本の戦う少女たちキャラクターに「けなげさ」「か弱さ」「いじらしさ」を見て愛好しているとのこと。
    逆に、そうした需要の文脈は欧米圏にはほとんど見られない、日本独特の嗜好だそうです。

    「戦う少女」といったら、つい少女が活躍する宮崎駿作品を連想しますが、彼の作品の中で、本格的な戦闘美少女ヒロインは、ナウシカともののけ姫のサンしかいないとのこと。
    確かに、誰もが的にひるまない強い精神を持ってはいますが、実際に武器を取って戦っているわけではありません。
    それでもナウシカやサンは、男性に頼らない独立的な存在がとても特徴的だと思います。

    ヘンリー・ダーガーの作品分析に文字数を割き、広範なアニメ知識の上にラカン派精神分析やベルクソン、シニフィアン論を展開させており、どれほどまでに広がっていく論文なのかと思いますが、明確な結論には至らず、風呂敷を広げすぎて雑然とした印象が残ります。
    「戦闘美少女の出現は、ヒステリーの症状が虚構空間において鏡像的に反転したもの」と言われても、まったくピンとこずに、首をひねるばかりでした。

    さまざまなアニメが紹介され、著者の見方、とらえ方がわかったのはおもしろく感じましたが、タイトルにうたわれた「精神分析」本と見るにはどうかという感想。
    今のアニメ全盛期以前に出版された本なので、こうした事象が問われる黎明期の書としての価値を見るべきものだと思います。

  • アニメ、漫画研究対象とする意義・意味の説明や、それ自体の構造の説明に使えそうな文献。日本↔米のアニメ、漫画に関する比較有り。ことばに関する記述はほとんどなし。

  • 先生ということで言葉が難しい。
    言っていることは理解できますが、もっとスマートに書いてもいいんじゃないかと思います。

  • 戦闘美少女に「あの日」はあるのか
    その辺りのことは書いてなかった

    戦闘美少女に「あの日」がないのだとすれば
    惣流・アスカ・ラングレーは戦闘美少女失格である
    式波さんのほうはどうであろうか
    「Q」予告編のあの有り様を見るに、
    ふつうの女の子が戦闘美少女になるための代償は
    相当大きいものなのかもしれない
    ううん

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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