日本史の誕生 (ちくま文庫 お 30-2)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480424495

作品紹介・あらすじ

邪馬台国や倭国が、そのまま今の日本になったのではない。日本国の成立には、7世紀・中国の政治情勢の変化が大きく関わっているのである。本書は、東アジア史の視点に立って、中国文明の辺境の地から日本国が成立するまでを実証的に解明し、従来のような、縄文時代、弥生時代、古墳時代といった歴史区分ではなく、世界史の一部として日本古代史をとらえようとした意欲的試みである。

感想・レビュー・書評

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  •  『倭国の時代』とセットにして読みたい。本書序章冒頭に「歴史とは何か」という項がある。歴史に対するスタンスが明快に述べられているので賛同できる方はどうぞ。
     日本を考えると云ったときに思考の支柱の一つに歴史が欠かせない。しかし歴史は叙述だから、優れた叙述か、劣った叙述かという、思考の質に直接関わる問題を孕んでいる。本書の視点に対して様々な意見が生ずるはずだが、そこが出発点というモノだ。
     ☆一つ減点は種々原稿を集約したので重複が多い点。

  • 日本の建国が天智期であることを論証する内容。百済滅亡と唐や新羅の敵対化により、日本国内の統一が急速に進んだ。戸籍や正史の作成、新都の建設、日本語の創造、律令制の導入、どれもが建国の意志を物語る。
    本書は、天智以前において倭国は中国の一部だったと述べる。極論だが解釈によっては、当時の倭国をイメージしやすいという点で首肯すべきだろうか。まず本書は交易が生み出す人の感情や行動に重点をおく。倭の奴国は交易の便益のために国王の印綬を授けられた。また、以降倭国には大陸から人の移動が続き、隋書にあるように大陸の人々が大勢暮らす国もあった。百人一首の序歌で有名な「なにわづに さくやこのはなふゆごもり……」すら渡来人の作である。ここで描かれる倭国は、まだ人種とも民族とも呼べない雑多な人々が暮らす世界の辺境である。
    そこには後世に本居宣長や平田篤胤が思い描いた古代の純粋無垢な世界は存在しない。よく保守雑誌の「諸君!」や「正論」に掲載されてたな……と思っていたが、ヨーロッパにおけるネーションステートの成立に日本が1,000年ほど先駆けていると考えれば、保守系にも受けがいいのかもしれない。そして本書のいう建国前後の様子を、ヨーロッパにおけるネーションステートの成立と対比すると非常に腑に落ちる。

    本書では古事記偽書説に肩入れしているが、歴史書成立の動機が建国のタイミングとリンクするはず……という考えからすれば、当然なのでしょう。

  • 日本国の誕生は紀元前600年ではなく、白村江の戦いに敗れた日本軍が唐の脅威のため自衛を固めたのが実質的建国である。
    魏志倭人伝の耶麻台国の記述も中国側の内部政治の要因によるもので当てにならないと言った記載、斬新な視点で勉強になる。

  • 2019.3.30 amazon

  • ☆日本国という概念は、白村江の敗戦から。日本語は帰化人が倭語をもとにつくった人工語。古事記は偽書。
    (著者)満文老○ 東洋文庫、倭国の時代 あ、倭国あだ、康煕帝の手紙けし、チンギス・ハーン あし、世界史の誕生 けだ
    (共編)民族の世界史4 中央ユーラシアの世界 け、歴史のある文明 けあしだ
    (叢書日本再考)内なる江戸 あ

  • いくつかの刊行物から日本史の誕生に関わる部分をまとめたらしくて重複部が多く、寝ぼけて同じとこ読んでんのかと思うことが多々あった。言葉の端切れの良さは好き。


  • 「日本史の誕生」というタイトルで、どんな本を想像するだろうか?
    「日本=倭国」建国の話で、その時代をいつに特定するかを論ずる本に違いない、と思うだろう。
    したがって、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の時代なのか、はたまた卑弥呼の邪馬台国を倭国建国と見做すのか、更にそれに絡んで邪馬台国九州説か畿内説か、が論じられるに違いない、と誰だもがそう思うだろう。
    しかし、その期待は、見事に裏切られる。
    その裏切られ方があまりに見事なので爽快だ。
    著者は、邪馬台国論争など、中国文献を曲解した無意味な議論として吐き捨てる。

    本書の論述の多くが所謂、「中国史」だ。
    その論述の明快で面白いこと。
    中華帝国の誕生のストーリーが生き生きと描かれる。
    だが待てよ、と思う。
    いつまで経っても「日本史の誕生」が出てこないのだ。
    タイトルにある「日本史の誕生」を期待していた読者は戸惑うに違いない。
    これでは、「中国史の誕生」ではないか?
    何故、「日本史の誕生」なのに、(きわめて面白いとは言え)「中国史」をタップリと読まなければならないのか?
    そんな疑問は、読み進めば氷解する。
    タイトルは間違っていなかったことが、腹の底から分かるのだ。
    中国史と思って読んでいたのは、正しく「日本史の誕生」だったことが分かるのだ。

    一体、どういうことなのか?
    答えは、「日本史は中国史の一部」だからだ。
    言い換えると、「日本は中国の歴史の一部」だからだ。
    えっ?と思うかもしれない。
    しかし、それは間違いではないことが本書を読めば納得出来る。
    日本史は、中華帝国の周辺に、中華帝国の巨大な影響圏の下に成立したのだから仕方ない。
    日本が弥生時代後期にあり、まだ漢字も伝わっておらず(漢字伝来は紀元後4世紀)、日本語の文書など想像すらできなかった頃、中国では漢の武帝が君臨し、司馬遷が膨大な正史「史記」を書き上げていたのだ。
    その圧倒的な文化度の差異。
    日本=倭国は中華帝国というダイナミックなスーパー•ハリケーンの暴風雨に翻弄される存在なのだ。

    日本史の教科書に記述される日本に関する最古の記述は、中国の文章によるものだ。
    日本の古代は、中国の文献という、ピンポイントの覗き窓から覗くしかないのだ。
    「漢書」地理誌に、紀元前1世紀のこととして、倭人に関する記載がある。
    倭人、倭国が登場した歴史上初めての記述だ。
    「後漢書」東夷伝には重要な記述がある。
    洪武帝が「漢委奴国王」に金印を送ったという記述だ。その金印が福岡県の志賀島で発見されたことは誰でも知っている。
    更に、倭国王帥升が生口(奴隷)160人を中国皇帝に送ったという記述も見られる。
    加えて、日本に内乱(倭国大乱)があったことが報告されている。
    そして、次が「魏志」倭人伝の卑弥呼に関する記述だ。邪馬台国の所在をめぐって議論を呼ぶ記述だ。

    日本の古代史に関する記述はたったこれだけだなのだ。
    それも、すべて中華帝国の正史に記載された記述だ。
    その限られた情報だけで「日本史の誕生(倭国の誕生)」を論ずることは不可能なのだ。
    不可能を可能にしようという無謀な努力が、事実を無視した想像力の飛翔による荒唐無稽な説を生み出し続けている、と言える。
    では、「日本史の誕生」する現場を押さえるのことは諦めなければならないのか?

    そこで著者の驚きの見解が出てくることになる。
    「日本史の誕生」する現場を押さえることは出来る。
    何故なら、日本史は中国史の一部に過ぎないのだから、中国史の中に、「日本史の誕生」の現場はある、と言うのだ。
    それは、中国史の中から、日本(倭国)に関する断片的な記述だけを抽出して、それだけを「あーでもない、こーでもない」とひねくりまわすことではない。
    そうしているから、邪馬台国論争もピント外れな議論になってしてしまうのだ。
    「日本史の誕生」の現場を巨大な「中国史」全体の中から浮かび上がらせること、これが著者の目論見だ。
    それは「朝鮮史」についても同様だ。
    「中国史」の中の「朝鮮史」という見方をとれば、「朝鮮誕生」の現場も押さえることが出来るのだ。

    だからこそ、著者は中国古代史を悠々と語るのだ。
    それこそ「日本史の誕生」を生み出す全てだからだ。
    中国史を十全に理解した先に初めて日本史の誕生を見出すことが出来る。

    ひとつだけ、例を出そう。
    卑弥呼は、魏の皇帝から「親魏倭王」の称号を授与される。
    これは倭国が国として認められた画期だと、一般には理解されている。
    それが、邪馬台国を倭国誕生と見做す根拠だ。
    しかし、そんなに甘いものではない、と著者は言う。
    当時の魏の政治状況を見ない限り、「親魏倭王」の持つ意味は理解出来ないのだ。
    当時、中国は三国志の時代、魏•呉•蜀の三国が鼎立し、覇権を争う特異な時代だ。
    三国の中で、魏は優位性を持っていたとは言え、呉•蜀と危険な敵対関係にあった。
    魏の置かれた政治状況から判断すると、魏が敵対する呉•蜀を牽制するために、その背後にある倭国を厚遇して贈ったのが「親魏倭王」の称号だったことが明らかとなる。
    「魏志」で邪馬台国の卑弥呼に関して詳細な記載を行う理由は、倭国に対する知的興味などではあり得ない。
    魏の置かれた政治•社会状況が、政治的手段として倭国に関心を向けさせたのだ。
    魏が東方の小国、邪馬台国に関心を持つ理由はそれしかない。
    その関心が無ければ、邪馬台国の記載はあり得なかった。
    我々が、邪馬台国の女王、卑弥呼の存在を知り得るのは、ひとえに、魏が呉•蜀と敵対関係にあり、邪馬台国が呉•蜀を牽制しうる地理的位置を占めていたからに他ならない。
    魏にとって、倭国の成立や卑弥呼そのものには、何ら関心はないのだ。
    「中国史」視点を持たなければ、卑弥呼の存在(中華帝国とっての卑弥呼)の意味が理解出来ないとはこういうこと

  • 岡田英弘『日本史の誕生』
    リアルな古代日本、本書発行1994年、原型の『倭国の時代』は1976年、古さは感じない。

    ①山地に在来倭人
    ②交易目的中国人が船で来訪
    ③低地に交易拠点→都市、華僑、周辺に稲作集落
    ④混血、酋長は倭人、実務は中国人
    ⑤来訪時期と場所により中国人も言語風習は異なる
    ⑥数百の国が成立、並存、トップが大和王権の連合
    ⑦天智天皇下で防衛のため日本に集約

    古代日本史は中国大陸の情勢と不可分
    ・大陸の荒廃・人口激減期にヒトが半島、列島へ流出
    ・人種も言語も違う人々のコロニーが点在
    ・近畿の集落の多くが渡来系、新撰姓氏録
    ・京の開拓は秦氏、継体父の集落に渡来人
    ・古墳時代に人種混合、日本人誕生、遺伝子研究
    ・6C時点で山口県?に秦王国、陝西方言?隋書

    魏志倭人伝は政治的宣伝文書=司馬懿の功績アピ
    大月氏国と同格の大国を司馬懿担当エリアに創出
    外交成果によって正当性を主張、現代中国も踏襲
    漢=奴国→伊都国、司馬氏&晋=邪馬台国
    晋の衰退で倭国大乱へ
    五胡十六国→南北朝=河内王権・倭の五王
    倭国=数百の国が併存
    日本=天智天皇が集約

    古事記は斉明・天智・天武の出来事を神話に焼き直した
    ・数百の国を「日本」に統合したのは天智天武期
    ・斉明天皇が神功皇后
    ・神武は古事記で初登場する神霊
    ・伊勢神宮&天照も7Cに誕生、ずっと信仰されてない
    ・成立は平安時代の可能性
    河内王権は断絶→継体朝
    応神も神霊で継体までの系図なし

  • ★★★2021年8月★★★



    日本史の誕生はいつ?神武天皇の時代?
    いやいや、天智天皇こそが日本の建国者であると筆者は述べる。過去には中国の一部であった日本。
    白村江の戦いの結果、大陸の足掛かりを失い独立の必要に迫られた。その状況下で日本が昔からの独立国であったかのような歴史をでっち上げたのが『日本書紀』だという。
    筆者によれば、聖徳太子や推古天皇も実在したのか怪しいという。
    邪馬台国については、瀬戸内海に位置した数多くの部族国家の一つであろうと推定する。魏志倭人伝には当時の中国に政治力学上、あたかも大国であるかのように偽装された可能性がある。


    天智天皇については
    今まではあまり大人物とは思っていなかったが
    日本の建国者と聞くとなんだか偉大な人物と思えてきた。『逆説の日本史』では天武天皇に暗殺された事になっているが。 


    歴史にはいろいろな見方がある。

  • OH1g

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著者プロフィール

東洋史家

「2018年 『真実の中国史[1840-1949]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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