- Amazon.co.jp ・本 (382ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480425881
感想・レビュー・書評
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名前の匂い
人の名前には匂いがあると思う。
温度のようなものもあるような気がする。
もっとも、それは単に名前の文字からだけ来るものではなく、名前には必ず顔がついているからそう思うのかもしれない。
私の知っている〈秋子〉という名の人は、どの人もつつましく涼しげだし、〈朱美〉には華やかでいろっぽい人が多い。
それはよく言われることだが、自分の名前と長年連れ添って暮らしているうちに、人の方から名前に近づいて行くからなのかもしれない。
人とその名前は、どこへ行くにもいっしょである。
いっしょに思いあぐね、いっしょに頬を染め、いっしょに怒ったりするうちに、名前に匂いが移り、体温も伝わって行くのだろう。
女の名前は特にそうである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
向田邦子が好きである。
何故好きかと言われると、ストーブの匂いを思い出すから、と答えてしまいそうだ。それは国語の國安恩師が好きであったのも加味されているが、あの時あの頃の時代の匂いを思い出すからだ。時代が違えどなぜか懐かしく切ない。
212ページの「縞馬の話」は涙が出そうになった。
フェデリコ・フェリー二の道、という映画について語っていた部分だった。それを読み進めるうちに
信じる、とか約束、とかもはや現代社会で暮れなずんでいる言葉達を思い起こした。今繁茂している、たくさんの言葉の海に隠れたその生々しい傷を思い出す。いつかジュノでとんかつたべいこうよ、とか、今度こそ夜景見に行こうねとか、また来年も海に行こうね。
そういう悲しくも美しい果たせなかったものたちが心の片隅で燃え煤のようにちりぢりしているのだ。
それは今現代社会でもきえうせているものではあるまい。 -
タイトル通り、久世さんが語る向田さんの本。
客観的ではなく、あくまで久世さんの目から見た向田さん、久世さんが知っていた、そして知ることのできなかった向田さんについて。