- Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480425980
感想・レビュー・書評
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2001年に亡くなった噺家 古今亭志ん朝さんに対する追憶の本。著者は、志ん朝さんが落語の録音を許した唯一の人、京須偕充氏。本書は全4章構成。いずれも様々な媒体で既出の文章。気になったところだけを挙げておく。
1)志ん朝さんが「志ん朝の会」や「志ん朝七夜」を行なった文京区の「三百人劇場」について。
「ここは、その当時まだ硬骨の論陣を張っていた故・福田恒存氏らが創設した、財団法人現代演劇協会の附属施設であった。商業劇場ではない。自治体所属の貸しホールでもない。主目的は俳優の養成を含む現代演劇の公演だが、それ以外の文化事業も手掛けていた。」
商業施設だとばかり思っていたので、驚き。
2)「かの人情噺の大家、六代目圓生も、滑稽噺の方が遙かに至難、が口癖であった」
噺家というのは、人情噺ができてこそ一人前などと思っていたが、なかなかどうして滑稽噺も至難なのだ。
3)「息の長いフレージングの魅力、これも志ん朝の特色である。いや、際立って長くはないのかもしれないが、こんなに魅力あることばの弧線は他には見られない。」
「志ん朝の見事なフレージング捌きの手法の一つに、自分から入れる短い合いの手がある。」
志ん朝さんの噺をする際の語り口が、耳に非常に心地よいのはテンポと声色だと思っていたが、それだけではなかった。
ここまで愛されている噺家はなかなかいないのだな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
志ん朝の生の高座に出会えなかった自分のことを苦々しく思う。
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志ん朝のCD「落語名人会」のシリーズの録音に関してのいきさつや状況について書かれているので、それを聞きながら並べながら読み進めると落語がよりいっそう身近に感じられて良いと思う。(タイムスリップした感じになるかな?)
作者の他の志ん朝本と重複する部分が多い。引用していることも書かれている。京須偕充を完読している人にはちょっとつらいかも。 -
「芸は消えてこそよし、遺すものではない」と言い続けた志ん朝がその録音を唯一許可し、任された著者が、その音源のCD化、DVD化あるいは速記、舞台の運営に至るまで、約30年間志ん朝に関わってきたその時々のエピソード、思い出話が綴られている。志ん朝の裏も表も知り尽くしてのべた褒めである。それも上っ面や軽い言葉ではなくて、理詰めで理路整然と、こんこんと褒めるので、ファンのこちらに異論のあるはずはなく、うんうんとうなずきながら、まことに楽しい一冊だ。「志ん朝七夜」が実現するまで説得の日々。志ん生襲名にまつわるあれこれ。どれも芸にまっすぐで、真剣な志ん朝らしい。生前何かのスピーチで言っていたらしい。「志ん生の文献に比べると自分のはまだまだ少ない。今後もよりいっそう研鑽を積みたい」と。亡き後もこういう素晴らしいものが出版されたことは大変喜ばしい。10月1日 ひととき志ん朝を偲んだ。