- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480430199
作品紹介・あらすじ
本書は、自伝的エッセイと自身の演劇に対する姿勢を書きつづった短編とから成る。タイトルは「客席に千人の青年がいるとしたら、彼らは千のナイフを持っているのだ」という本文から取られている。七十七歳になった今でもその言葉の呪縛から逃れられないと語る蜷川の、若き日の決意と情熱がほとばしりでるエッセイ集。本音を語る魅力あるエピソードは、時を経ても古びない。
感想・レビュー・書評
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遂に、読了。
面白かったので、終わってほしくなかった本。
演劇好き、特に私くらいの年齢の小劇団好きには、たまらなかった。
タイトルは、『客席に千人の青年がいるとすれば、彼らは千のナイフを持っているのだ』と言う本文から、とったもの。
演出家として、それくらいの矜持で臨んでいるということ。
その覚悟があるから、世界にも通用するのだな。
それにしても、彼が俳優(‼)になった頃に、周囲にいた俳優達が、また、素晴らしい。
同時代に、一緒にいたかったな。
私にとって羨ましいモノが、たくさん詰まっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
亡くなって1年ちょっと、前から読もうと思いながら忘れてたエッセイをやっと読みました。1993年の単行本の文庫化なので、だいたい80年代~92年くらいまでに書かれたエッセイ。
「演劇をめぐる自伝」がとても面白かった。昭和30年代、劇団青俳に入って芝居を始めた時期の話は、戯曲を書いていた安部公房や、私はさすがに名前を聞いてもすぐに顔が浮かばないけれど戦後の名優たち(木村功、岡田英次など)とのエピソード、その後、青俳を退団、自ら脚本家の清水邦夫、当時まだ若手俳優の蟹江敬三、石橋蓮司らと劇団「現代人劇場」を立ち上げ演出家デビュー、解散後「櫻社」を経て、商業演劇の世界に身を投じ、海外公演での高評価まで、とにかく舞台が大好きで突っ走ってきた半生の挫折や成功が描かれていて、興味深かった。
樹木希林と岸田森が同棲していた頃の話だの(のち二人は結婚、離婚)、まだグループサウンズ時代の10代のショーケンが江波杏子の部屋にいて(まるで昭和版きみぺ)蜷川さんとも仲良くなり、あるとき電話をかけてきて「金子光晴っていうおじさん知ってる?そのおじさんからコクトーって人の詩集をもらったんだけど、コクトーってどういう人?」と質問されたエピソードとか微笑ましくてとても可愛い。
自分で自分にインタビューする対談がいくつか収録されているのだけど、批評家が大嫌いで「まず自分で切符を買って観に来い」的なことを何度も言ってるのがとてもカッコイイ。稽古中に灰皿を投げる等の伝説ばかりが有名だけれど、とにかくアツいんですね。芝居に向けてる熱量が尋常じゃない。商業的に成功してもそこが全然変わらないのもすごい。
俳優としてはイマイチだった蜷川さんに太地喜和子が「演出家として尊敬できなくなるから俳優は辞めて」と言った話とか笑ってしまった。どんだけ下手だったのか(笑)でもまあ名選手が名監督になるとは限らず、その逆もしかりで、名優でなくとも演出家の才能は別だったわけですね。
私の蜷川演出舞台体験は1989年の『唐版・滝の白糸』で始まって、2013年の『唐版・滝の白糸』で終わっているのですが(『ビニールの城』は追悼公演になってしまい代打・金守珍演出だったし)、私の偏愛するこの舞台についても1989年当時のエッセイではいくつか言及されており、唐十郎とのエピソードや岡本健一のエピソードなどは懐かしく嬉しかった。 -
演出家・蜷川幸雄の自伝的エッセイ。演劇に対してどこまでも真剣でストイックな姿勢にはひれ伏すしかない。ただどんなジャンルであれ、成功した人のエピソードには「成功しなかったらただのイタい人」的なものが多い。いくら自分を奮い立たせる為とは言え、玄関の表札に『天才蜷川』って。
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「あの」蜷川幸雄さんがこれまでの歩みを振り返ったエッセイ。
蜷川さんの「スゴさ」だけではなく、
舞台を作っている上での想いや不安など、
「もの作りに携わる人」の内面がかいま見える一冊です。