日本人のための怒りかた講座 (ちくま文庫 ま 33-4)

  • 筑摩書房
3.50
  • (2)
  • (6)
  • (9)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 118
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480433633

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • パオロ・マッツァリーノ作品が好きすぎて、購入。
    真面目なことでも、日常のことでも、つまらないことでも、をオモシロおかしく表現するのって、才能だと思いませんか?
    私は思います。そして、大好きです。
    日常的に、気になることについては、他人に対して、注意し続けているマッツァリーノ氏が教えてくれる、上手に怒る方法。
    ブラック・ユーモアたっぷりの文章に、「正義や義務にノルマはない」(p.130)とか、刺さる一文があって、ドキドキするのも大好きです。
    私たちは、絶対的な正義を求めすぎているように感じます。
    何か正しいことを言う人は、365日24時間、全方面において正しくなければならないの?
    ちょっとでも正しくなかったら、よってたかって、石を投げつけられていいの?
    そんなバカな。
    マッツァリーノ氏は、気分によっては、注意したくない時はしないし、したい時はします、それは僕の自由です、と言い切っています。
    だって、義務じゃないから。
    でも、一回でも、注意すれば、良くなるかもしれないし、しないよりはマシじゃないか、というお話です。
    この部分、とても心にしっくりきました。

  • その場で注意しないで、後でブログで愚痴ってんのカッコ悪!聞こえるように悪口言うパターンもあるし、何なんだよ本当!ふざけんな!と言う気分になりました。

  • 注意するというより、交渉だと考えよう
    <blockquote>注意する際のコツ
    ・気づいたら、すぐに。
    ・真面目な顔で。
    ・具体的に。
    ・声を荒げない。
    ・乱暴な言葉を使わない。
    ・注意ではなく、権利の交渉のつもりで。
    ・気が向いたときだけでもかまわない。
    ・完璧な結果(解決)を期待しない。
    ・主張の一貫性にこだわらない。
    ・深追いしない。
    ・暴力からは逃げる覚悟で。
    ・正義の味方には、なってはいけない。</blockquote>
    本書pp.179-180

  • 書き方は挑発的なのですが、頷ける部分が非常に多くありました。
    怒るという言い方がしっくりこないのですが、要は自分の権利をしっかり主張するが、別に社会正義を代表している訳ではない。という事と、主張をして相手がそれを受け入れるかは別の話で、しっかり「主張した・交渉した」という事が重要という部分に頷けました。
    結局は、①最初から②冷静に③真剣な顔と口調で 交渉するという事ですね。
    THE日本人という性格の僕ではなかなか敷居高いですが。出来る限り実行してみたいと思います。

  • この作者のいつもの社会と歴史の実態を暴くという本ではなく、大人は、もっと他人の起こす迷惑に対して、面と向かって怒りましょうという本。

  • 視点を変えてみてみると、解った気にさせられていた「常識」が、とんでもない嘘であったりすることは、都市伝説はじめ、確かに沢山ありそうな気がする。
    著者の丁寧な戦前・戦後の資料の探索により発掘された事実の数々は、とても興味をそそられる。

  • 2016.9.11
    怒りについて考えてみたかったので読んでみた。なかなかに痛快。確かに言われればそうだな、と思うと同時に、正直、この人めんどくさいな、とも思う内容。著者のデータの裏付けをしっかり取ろうという姿勢は素晴らしいと思うが読む側としては少々読むのがめんどくさかった。
    根本的なところで考えてみる。この本での主張は、怒りというか、言いたいことは、間違っていると思うことは主張し交渉すべき、という。そしてその根拠は、人間にはそうして自らの権利を主張することができる、というものである。各々の人間が自らの幸福のために他者と権利をめぐって対話する権利がある、という。しかし、自己肯定感が低い人間にそれは可能だろうか。私はそういう風に考えたことはなかった。自分の権利や幸福よりも、他者を害してはならない、という視点で考えることが多かった。それは、心のどこかで、自分は自ら幸福を求める権利などないと思っていたからではないだろうか。この根本的な権利意識の中に、私はどうしても拭えない違和感を感じている。
    しかしである。言わなければどうなるか。いおうと言わまいと、怒りは溜まっていくのである。本著でも言うように、正しいと思うことを言うことは、世直しでも正義感でもなんでもなく、ただ言いたいがためにいうというものである。そしてそれを言わなければ自分の中に怒りがたまり、たまった怒りは腐臭を帯び、恨みに変わる。もしも、怒りを溜めずに、クリーンなままにできるというのであれば、それもいいのかもしれない。しかし恨みに変わるようなことがあるなら、そしてそのせいで相手のことを嫌いになることがあるのならば、やはりいうべきなのではないだろうか。その時その瞬間に相手に反論し多少関係がこじれるのと、恨みを溜め込んで表っつらだけ温厚で腹の中では憎んでいるなんて関係と、どっちがいいだろうか。バレなければ後者でもいいだろうか。ここあたりが私にはまだ答えが出ない。
    怒ることそのものが悪い感情だとも思っていた。それは暴力以外の何物でもないと思っていた。これも間違っている。暴力は感情でなく、その感情の伝え方である。そしてそれは、イラついた直後に行動に移す場合によりも、溜め込んだ恨みが爆発するときに起こることが多いのではないだろうか。「あんなにいい子がこんなことをするなんてねぇ・・・」というのがまさに怒りの暴力化である。私もこのおかげで、二、三人友達との関係が悪化している。表面化はしていないが、心底嫌いだ、という感情が大きくなっている。なんとかしたい。
    言っても関係がこじれることはある、言わずともそうである、ではなぜあえて言う方を選ぶべきか、それは人の執着と関係があるのではないだろうか。なぜかはわからないが、人はできなかったことにはあまり執着しないが、やらなかったことにはとことん執着するのではないだろうか。執着とは自分の記憶を反芻し、その時の嫌な感情を何度も何度も味わうことである。やはりそうやって心を腐らせるくらいなら、言った方がいいのかもしれない。

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

パオロ・マッツァリーノ(Paolo Mazzarino):日本文化史研究家。著書に『反社会学講座』『続・反社会学講座』『誰も調べなかった日本文化史』(以上、ちくま文庫)、『読むワイドショー』(ちくま新書)、『「昔はよかった」病』(新潮新書)、『サラリーマン生態100年史』(角川新書)、『思考の憑きもの』(二見書房)などがある。

「2023年 『つっこみ力』 で使われていた紹介文から引用しています。」

パオロ・マッツァリーノの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×