- Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687401
作品紹介・あらすじ
何も語らないけど、たくさんの言葉があふれている。「無言館」は、そんな美術館です。戦没画学生の描いた絵は静かに、生き生きと私たちの心に迫ってきます。
感想・レビュー・書評
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太平洋戦争で亡くなった「戦没画学生」の遺作を収集し保存するための慰霊美術館、長野県上田市の『無言館』の館長窪島誠一郎さんが優しくメッセージを伝えるように語りかけてくれる。2022年24時間テレビでドラマ化されたとは知りませんでした。
この本には直接登場しませんが、設立に貢献された福岡県出身野見山暁治氏は2023年6月逝去(102歳)。春に訪れた福岡県立美術館企画展では、学生の前で講話なさっておられました。
名前の由来は「何も語らないけど、たくさんの言葉があふれている美術館―だからムゴンカン」とのこと。みんな絵の前で黙って立ちすくみ、何も言わずに静かに帰っていくという。
正規に学校に通う期間を無理矢理短縮させられ、繰り上げ卒業させられて戦地へ向かわなければならなかった画学生。戦争に役に立つからと理系の学生は残され、戦争の役に立たない芸大生は戦地に向かわされたという話も聞く。油絵、水彩画、デッサンなどが約二百点展示。「戦争が画学生の大切な夢を奪い、苦労して育てた両親やカゲで支えてくれた兄弟姉妹、勉強の手助けをしてくれた先生や友人たち、たくさんの人たちの夢や希望を奪った」「画学生たちはこの絵を戦争にゆく直前に描いた」「人間が生きているうちに自分の仕事にこめることのできる命」「何かにうちこむことによって生かすのが生命」「画学生の絵は今もちゃんと生きている」「絵を描くことへの愛情があるから、いきいきと私たちの心に光かがやいてみえる」
どの絵もかれらの周りにいた愛する人々、幼い頃から自分をかこんでいた何でもない身近な風景を描いたものばかりとのこと。いつか訪れてみたい場所の一つになった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ふむ
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小学校高学年から読める。戦没画学生という重いテーマを、子どもたち向けに軽い文体で書いてある。非常に読みやすく、すぐに読み終えることができる。それでいて、大事なことについて、深く考えることができる。
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長野県上田市にある戦没画学生の絵を飾る美術館。それが無言館。実は行ったことが無い。行こう行こう行こうと思って行ってない。そこの館長が無言館の紹介を兼ねて様々なメッセージを伝えます。画学生たちが描いた絵もいくつか載ってます。
実はこの著者には一度お会いしたことがある。高校時代に講演会に来てくれた。実に安い謝礼で来たってことボヤいてました。
その講演の中で、「彼ら(戦没画学生)は戦争の被害者かも知れないが負けて無い。絵を描き残したことによって戦争に打ち勝った人たちなんだ」と涙ながらに伝えていたのは、今でも覚えてる。当時の俺はスルーしてたけど。
その講演の話は、おそらく本書の「人間には命は二つある」という行に当たるんかなと思う。
若年者向けに書かれているんだろうけど(プリマーだし)、描き方がホントに若年向けに伝えようと必死に書いてるのがよくわかる。言っちゃなんだけど相当キモイ。ほんとに若者に通じるのか、だいぶ疑問。
それでも伝えたいことはわかる。伝えようとする努力もわかる、そして伝えようとしている。シニカルに構えるより、その姿勢は見習うべきなのかなと、社会人になって思うようになりました。 -
無言館とは、戦没画学生の作品と遺品を収めた美術館である。
本書は、その館長さんによる作品。
本書の内容は、まあその美術館の紹介に過ぎないのだけれど、
このような活動をされていることに敬意を表したい。
いつか、無言館に行ってみたいと思った。
本書の役割は、そう思わせることだろうから、筆者の意図は成功しているのだろう。 -
いろいろと考えさせられる1冊でした。
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いつか行ってみたい所です。数年前、青森で企画展を見ました。戦争が、未来を奪う行為であることを淡々と伝えているような気がしました。
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今までに5回、作者と私は「出会」っている。
最初は25年前。
朝日新聞の東京版の記事の中で遭った。
著名な作家水上勉氏が、生き別れの息子と再会を果たしたとの記事だった。息子は成長して青年となり、明大前で小劇場を経営しているのだという。劇場名は「キッド・アイラック」、喜怒哀楽にに由来する。テレビさえ持たない学生だった私の脳裏に、劇的すぎるストーリーがくっきり残った。
2度目は5年前。
ある業界団体相手の仕事で、明大前にある相手の事務所を訪ねた帰りのこと。通りがかりに入った喫茶店でだった。
何気にふと壁を見ると壁の絵が只ものではない。「KAITA」とサインがある。知る人ぞ、の夭折の天才村山塊多ではないか。さすがに田舎の喫茶店とは違う。店内の静けさも良い。楽に文庫本が半分は読めた。
勘定をして出たが、オーナーが居合わせたら、
「ご馳走様。あれ、村山塊多でしょ。すごいですね。静かで本も読めたし、ありがとうございました」と、言ってたところだった。
ビル名表示を見たら、「キッド・アイラックビル」とあった。記憶が瞬時に甦った。あの「青年」の店だなここは。確信があった。
3度目は本屋の中。
「おや」と見つけた新刊本が『「明大前」物語』。四半世紀にわたる謎が全て霧消した。父との再会から、明大前での生活、美術館の設立、全てが自伝的に綴られていた。名無しの「青年」は、著者で、オーナーで、美術館もやっている「窪島さん」になった。
次はNHKの「日曜美術館」。番組の冒頭のところで、「あ、俺この人知ってる」と不覚にも口走ってしまった。顔を見るのも初めてなのに。
番組は戦没画学生の作品を集めた「無言館」の紹介特集。
「描きたい」という切な思いからも、愛しい人からも、もぎり取るかのように切り離され、「未熟」で「未完」なままの作品だけを残した彼ら。
簡単な言葉で語ることさえも憚られる。黙って見るしかない作品群。
そして五度目。最後の出会いは、あまりにも唐突すぎた。
2月の青森駅は吹雪の中、行き交う乗降客は皆無口だ。PCが2台入ったバッグは忌々しい重さで、階段にはエスカレーターもない。雪の付いたキャスターは思ったようには転がらず、乗り遅れそうになっていた。
ポスターが見えた。走りながら見る。
コピーが無理やり目に飛び込んでくる。
「姉さん、もし帰れたら巴里に行かせてもらえますか」
即座にわかった。
東京駅の中の東京ステーションギャラりーで、
「無言館展」を開催中との告知だ。
「東京駅までなんか行かないの。仙台で降りるんだから」
人には聞かれないように声を殺して叫ぶ。
「ばかやろぉ、帰ってこれるワケねえじゃねえかよ、還れたはずないだろう」
「巴里になんか、行けたはず、ないんだよ」
描きたかったのかそんなに。見たかったのかパリが。そんなにも。
親父が死んだ時と同じ位。涙が、でた。
『「無言館」にいらっしゃい』
窪島さんのお誘いはあまりに優しい。
ルビが振ってあって小学生でも読める本です。 -
無言館紹介本の一つ
無言館が何かは調べて欲しい。
語りかけるように筆者が読者に訴えかえる本
よく言えば親しみやすいのだが、中学生や小学生をターゲットにしてるのかな?って本にも見える。
ともあれ、戦没画学生の遺作を紹介しながら今再び現代に問いかえる『平和』とは何か?生きるとは何か?
是非読んでおきたい一冊